シャウの師匠
シャウは持ち前の瞬足で鉱山の街レイアの道を走り、民家や外に設置されている窯の間を駆け抜けていった。
夜の冷たい風を全身で受けつつ、彼女は一つの民家へと一直線に向かって行く。
「お、明かりが点いてるじゃん。師匠、レイアに滞在はしているのね」
シャウは一見、他の民家とは代わり映えしない家を見ては呟き、窓から明かりが漏れている家へと近づいた。
そして扉の前に立ち、ひと呼吸だけ整えてから扉を静かにノックして声をかける。
「師匠、私です。シャウだよー。どうか、ひもじい思いをしている私にお恵みをー」
シャウなりの冗談を交えた呼びかけの言葉。
すると案外にも反応は早く、玄関の扉は開かれて一人の女性が姿を現した。
背はシャウより一回り高く、顔つきや体つきもだいぶ大人びている女性で、見た目だけで言えば現れた女性の方がシャウより明らかに年上だ。
そして髪は少し毛先が荒いセミショートの白髪が混じった金茶髪で、シャウの顔を見るなり『頭の上にある毛に包まれた耳』をピクリと反応させた。
それから目を細めて、どこか独特なイントネーションがありながらも落ち着いた口調でシャウに話しかける。
「シャウ、何だか血の臭いが強いのう。また流血をしたな?」
「わははー、さすがポメラ師匠。羨ましいくらいに嗅覚が良いねぇ。で、とりあえず中に入れて貰っていいかな?すっごく大事な報告があるんだよね。あと訊きたいことも」
「訊きたいことか。大方、山の騒動のことじゃな」
ポメラと呼ばれた犬のような耳が生えている女性は、シャウを家の中へと招き入れながらそんなことを言った。
その発言はまさにシャウの訊きたいことであり、何だ知っていたのかと、ちょっとした肩透かしをくらった気分となってしまう。
「そうそう、訊きたいこと自体はその話。で、どうして山の騒動を放置してたの?」
「放置していたわけじゃないんだがのう。すぐに犯人そのものは見つけておったし、レイアでは警戒するよう連絡は飛ばしていた。それに一度罠に嵌めて対峙はしたが、私一匹で相手するのは厳しいものがあったからな。だからシャウが戻るのを待っていたんじゃ。流血した所を見ると、解決してしまったように思えるが…相変わらず、無茶をする」
「あぁ…そうなの。なら、ポメラ師匠の判断はもの凄く正しかったんだね。騒動の原因と対峙して私、死にかけたから。でも解決はしたよ。ちょうどタナトスもいたから」
タナトスという名前を聞いて、ポメラの犬の耳がまた反応する。
それだけではなく、毛に包まれて生えている尻尾が振られるなど落ち着きがない挙動となっていた。
シャウとポメラは居間の椅子に向かい合わせで座り、ポメラの神妙な顔つきがランプの灯りによって照らされる。
「タナトスじゃと?あやつがレイアに来ているのか?」
「うん、今は私の家で絶賛休息中。騒動について本人は乗り気じゃなかったけど、だいぶ助かっちゃった」
「いくら魔王討伐に協力をしてくれたとはいえ、こちらの面倒事を助けてくれるとは妙なことがあるものじゃな。それでじゃ、大事な報告とは何だ?勇者会議のことか?」
ポメラは机の上に置いてあったカップに、温めていたハーブティーを淹れてはシャウの目の前へと一つ置いた。
そしてもう一杯ハーブティーを別のカップに淹れて、ポメラはかすかに啜る音を鳴らしながら味わうようにして飲む。
その間にシャウから質問の答えが返ってくるとポメラは思っていたが、シャウは唸るばかりでなかなかに答えない。
だからポメラは、つい返答を促すようにして再度質問をぶつけた。
「どうしたんじゃ?勇者会議のことじゃないのか?」
「いや、うーん……報告に関しては勇者会議というか、タナトス関連でって言えばいいのかな。まぁ、とりあえず大きなことを簡単に説明すると、勇者会議直前にリール城で王様が殺害されて、タナトスが暗殺の濡れ衣を着せられているってことだね!」
「…ぐっ!?ちょっと待て…!げほっげほっ…!」
シャウの言った言葉は唐突にして事が重大過ぎで、思わずポメラは飲んでいたハーブティーを噴き出しかけて激しく蒸せた。
驚くのも無理はない。
なぜならまだ王の暗殺という大事件のことは、鉱山の街レイアには風の噂すら届いていない。
それに王が殺されたとなると、大きな騒動という言葉では済まされないほどの出来事だ。
ポメラは汚れてしまった机の上を近くに置いてあった布巾で拭き取りながら、当然詳しい説明をシャウに求める。
「なんだそれは?本気で言っておるのか?冗談だとしても笑えないものじゃろうが。詳しく話せ」
「わはは、冗談なんかじゃないし、もちろん詳しく説明するよ!とは言っても、私もまだ全体を把握しきれているわけじゃないんだけどね!」
普段のように明るく笑ってみせてから、シャウは事のいきさつを師匠であるポメラに知る限りの全てを話した。
勇者会議の前に王様が殺されたこと。
王様の遺体を確認していないが、シャウを王の所へ連れて行かなったことや、兵士の口ぶりからして即死であったこと。
そして、たまたまタナトスがリール城での殺害現場に侵入していたがために疑いをかけられていること。
ミズキという少女について。
ミズキの妹が暗殺者という可能性のこと。
ひとまずは協力して、暗殺者を探す事と疑いを晴らすことをシャウ自ら持ちかけたこと。
レイアに向かう途中で遭った山の出来事も、シャウは共に魔王討伐の旅に出た師匠であるポメラに話した。
それらを話している途中、ポメラは時折耳と尻尾を反応させながらも黙って話を聞いていた。
そうしてシャウが全て語り終えた後、ポメラは目を閉じてしばらく考えるようにして小さく唸る。
とは言っても、目を閉じていたのはほんの数十秒足らずのことだ。
考えにある程度の整理がつき、再び目を開けた第一声は、シャウが密かに予想していた通りの反応のものとなる。
「その暗殺、本当にタナトスは関わっておらんのか?」
「あー……、まぁそうなるよね」
「話を聞く限りだと、どう考えてもタナトスが暗殺に一枚噛んでいると断言してもいいほどに疑わしい。それとミズキという少女も怪し過ぎるじゃろ。まず、本当にミズキに妹は存在するのか?本人が妹が居ると言っているだけでは、ただの狂言に過ぎん。妹という存在に関しては、あまりにも信用できる話じゃない」
厳しい言葉かもしれない。
しかしシャウと違って一歩身を引いて考えてみれば、ポメラの考えは至極当然のもの。
シャウのように初めから信用して物事を見るなんて、普通ではありえないと言っていいかも知れない。
だから信用している立場として、シャウはこの場にはいないミズキのためにフォローをかける。
「んー、でもミズキちゃんは嘘とかすっごく苦手そうな子だったよ。私も知り合って日が浅いから一応、できるだけ行動を共にして注意深く観察はしていたけど、私のように素直で純粋に良い子だなーって感じ。それと山の騒動の時も必死になっていたし」
「…私はミズキという子を見ておらんからな。私自身も言いたくて言っているわけじゃないが、無粋なことしか言えん。それと、もし本当にミズキという子に妹が居てもじゃ。妹と手を組んでいる可能性が少なからず、むしろ非常に高い可能性であるのでは無いのか?だいたい王の暗殺など、どこからの差し金なのか明白よ。目的もだいたい察しがつく」
「いや…、うん。タナトスとミズキちゃんにはあえて伏せてはいるけど、私も王が暗殺された理由というか目的は分かっているよ?何でよりによって勇者会議の時に決行したのかは謎だけどね。まぁ王様は優秀だけど、政策の全てが万人に受け入れられるわけじゃないからねぇ。魔物の一部と条約結んでいるとか、市民の誰も知らないよう事もしているぐらいだから、相手が遅かれ早かれ強行手段に出るだろうなー、とは思っていたし」
「あとタナトスもどういう立場で動いておるのか見えてこない。我々の敵、すなわち過激な反抗組織か、魔物の立場として動いているのか理解できん」
タナトスが魔物の立場として動いている。
まるでタナトスが魔物のような言い方。
でも、タナトスがどのような人物なのか知っているからこそ、ポメラのその発言は無理もない。
しかしポメラの疑り深い言葉に対し、シャウは自分の感じたことをそのまま口にする。
「一応私からしたら、タナトスは本当に巻き込まれただけって感じがするけどな。なんか旅路のとき、金欠が何とかって愚痴っていたし。あ、ハーブティー頂くね」
「シャウよ。タナトスの正体を知っているのは、人間では私達二人だけと言ってもいい。だからこそ私はタナトスの立場を疑うぞ。なぜなら、あやつは魔王を倒したとはいえ…、魔王に造られた存在の魔人。死神の名を冠した魔王の元幹部タナトスじゃろうが。魔界大陸では魔王の息子や、次期魔王とまで噂されているような奴じゃった。さすがにどこかで魔物絡みが出てきそうな話となると、今回の件はタナトスが関わっていない方が不自然だと思ってしまうほどだろう」
タナトスの素性を再確認するようにして、冷たい口調でポメラは言い放つ。
でもタナトスが人間とはかけ離れた存在という事に関しては、シャウにとっても共通認識だ。
今更、タナトスが人間に似て非なる魔物の魔人だとか、魔王の元幹部だとかは驚くことじゃない。
それに一緒にいればタナトスはどこか人間ではないのだと、いずれ嫌でも分かることだろう。
もしかしたら、早くもミズキですら薄々と勘づいている可能性すらある。
シャウはハーブティーを啜っては、それでも自分の思ったことを変わらずに発言し続けた。
「もし今回の暗殺がどこかで魔物絡みがあったとしても、間違いなくタナトスは関知してないね。タナトスが実父と言ってもいい魔王をどんな想いで殺したのか、ポメラ師匠でも知っていることのはずだよ」
「む、それは…そうじゃが」
シャウの言葉にポメラは苦々しそうな表情を浮かべた。
人間から見たら魔王はただの敵に過ぎない。
でも、タナトスからしたら当時は魔王は親同然だったはずだ。
親を殺すなど、よほどの都合があってもしない行為と言ってもいい。
確執とした憎しみや敵意がないと、ありえないことだ。
そしてタナトスは、尊敬している親と見ながらも対峙して魔王を討った。
対峙した理由は、実はシャウもポメラも詳しくは知らない。
ただ魔王を倒した後、タナトスが悲しみによる涙を流していたのは二人共目撃していた。
どのような心境だったのか分からずとも、タナトスを見る限り喜びではなく悲しみに満ちていたのは嫌でも分かった。
「それと、タナトスが魔王を討ってくれたおかげで私たち人間が救われたのは紛れもない事実。だからだよ、私がタナトスを助けようとしているのは。今度は私がタナトスを救う出番。人間を救ってくれたのをタナトスだと知っているのは、私とポメラ師匠だけ。その数少ない内の一人である私がタナトスを見放すわけにはいかないよ」
「そう言われると、私も手助けしなければいけない気がしてしまうではないか。確かに義理立てくらいは…してやりたい気持ちはある」
「もし僅かでもそう思ってくれているのなら、私達に力を貸して欲しいの。このあと、近いうちに私達はレイアを発って、大陸中を探索して犯人と真相を暴かなければいけない。でも王殺しの濡れ衣がある今、間違いなくパーティーを含めた奇跡の勇者、正義の勇者、殺戮の勇者、リール城の精鋭兵士や戦士長、腕の立つ傭兵やらが仕掛けてくるのは間違いない。それに反乱組織や対立派も都合良くするために、きっとタナトスとミズキちゃんを暗殺しようとする。とにかく力が必要なの。お願い、ポメラ師匠。危険な冒険となってしまうけれど、平和の勇者の仲間として、タナトスとミズキちゃんの味方として一緒に来て」
気づけば、シャウの眼は真剣な眼差しとなっていた。
さっきまでのような、普段のお気楽なものじゃない。
英雄として、勇者として相応しい目つき。
まさに眼が想いを晒しだしていると言ってもいいものだ。
何もかも物語るシャウの目を、ポメラは見つめ返す。
その時間はほんの数秒。
けれど長年の時を一緒にしていたポメラには、如何にシャウが本気なのか充分に伝わって根負けしたかのようにポメラは薄く笑った。
「くぅん…、その強い意思を感じさせる口調と眼。魔王討伐のために始めて出た旅のときを思い出せるのう。……いいじゃろ。弟子が危険な目に遭わないように見守るのも、新たな時代へのうねり見届けるのも師の役目じゃ。今再び、平和の勇者シャウの師として全力を尽くすことを宣誓しよう」
「よしっ!ありがとうポメラ師匠!師匠のその弟子に甘い所、私大好きだよ!これで他の勇者には何とか対抗できそうだね。私一人だとミズキちゃんを守る以前に、自分の身すら守れないだろうし!それといくらタナトスでもパーティーを相手にするのは無理だからね!さて、そうと決まれば旅の用意しておいてね!早くても明日の午後には、レイアから発つつもりだから!」
「ずいぶんと気が早いと言いたい所じゃが、そうでないと間に合わんか。何とか間に合わせよう。そちらも遅れることがないようにな」
「もっちろん!じゃあ、いい夢を!」
「あぁ、いい夢を。この可愛い馬鹿正直な弟子め」
最後にポメラはちょっとだけいじわるな笑みを見せては、冗談交じりに別れの挨拶を返した。
それからすぐにシャウがポメラの家から出ようとしたときのこと。
シャウの家に一人の来訪者が来ていた。
その人物は髪が淡い青水色で、青いマフラーとゴーグルで顔の半分ほどは隠してしまっている少女。
まるで夜に潜む野生の獣のような、無音に近い足取りと洗練された静かな呼吸。
あまりにも気配の消し方が並の者では有り得ない領域で、下手したら夜道に一般市民が隣を通り過ぎても少女の存在に気づけないかもしれない。
それほどに気配が消えていると同時に、人としては異常なまでに闇夜に馴染んでいた。
しかし玄関扉を前にすると、ふっと溜め息に近い息を吐いてから水色髪の少女は扉をノックする。
すると、すぐにノック音に気がついて扉越しから別の少女による声が反応して返ってきた。
「はーい、シャウさんですかー?無用心ながら開いてますよ~」
ミズキの声だ。
でもそんな返答など気にせず、ノックをした水色髪の少女は玄関扉の前で棒立ちしていた。
やがて内側から玄関扉が開かれるとき、ミズキはノックしてきた人物の顔を見て驚くことになる。
よく見知った顔、誰よりとも一緒にいた人物、苦難を共にしたと言ってもいい少女。
ミズキはその自分に瓜二つな程に似た顔を見て、ノックしてきた少女の名前を呟く。
「スイセン……!」
スイセンと呼ばれた水色髪の少女が優しい笑みを浮かべて、言い返すようにして相手の名前を言った。
「ちょっとだけお久しぶり、ミズキお姉ちゃん。悪いけど、平和の勇者を殺すまで眠ってて」
「え…?」
単にうまく聞き取れなかったのか、それとも双子の妹の言葉を信じれなかったのか、ミズキは無意識に聞き返すような言葉を発していた。
しかしミズキの双子の妹である暗殺者のスイセンが少女らしい微笑みを見せたとき、ミズキの意識は暗闇にまどろんで深く深く落ちていった。




