最大都市・リール街
そうしてしばらく二人は危険が多い森の中を歩き続けて、ようやく整備されている街道へと出た。
同じ外だというのに、森林の中とは空気の軽さが不思議と違うように思える。
心なしか、呼吸すればするほど外が暖かいと実感できた。
「うーん、何とか無事に出れましたね。大変助かりました」
「まだ目的の街には着いていないから、礼を言うには少し早すぎるな。別にここまでで良いなら、それでも俺は構わないが」
「それは困ります!契約の変更はありません。どうか街までお願い致します」
「っくはは、分かってるさ。ただの冗談みたいなものだ。だからそう畏まるな。とは言っても俺の記憶が正しければ、ここまで来れば大して苦労もなく街に着けるはずだ」
タナトスは念の為に森から魔物が追ってきていないかと、剣の柄に手を添えては森林の方を一瞥する。
森林の付近は彼が切り裂いた魔物達が血まみれの姿で倒れているだけで、こちらの様子を伺っている気配はない。
そのことを確認したタナトスは水色髪の少女であるミズキに向き直り、会話を続けた。
「それよりもだ。そもそも、なぜ森の中に入ったんだ?知ってのとおり、あそこは足を踏み入れてしまえば命を落としてもおかしくないほどに危険性が高い。例の仲間探しのためだけが理由なのか?」
「…うーん、そうですね」
彼の質問に対して、ミズキどこか曖昧な言葉で返答する。
だからタナトスは街の方へと向かって歩きながら、更に質問を投げかけた。
「歯切りが悪いな。じゃあ、お探しの仲間とやらはあの森ではぐれたのか?」
「いえ、そうではありません。もしかしたら、森にいるかもしれないという可能性で行ったのです。タナトスさんが知る限りでは、私以外の人間が森の中に入った痕跡すら無かったようですが」
「特別、いつもと違った血痕は無かったからな。あの森に入ってしまえば嫌でも魔物に襲われる。血が流れないわけが無いと断言してもいいぐらいだ」
つまり、あの森ではどうしても魔物との血生臭い戦闘が発生するということだ。
そのことを暗にタナトスが言うものだから、ならなぜ彼は危険な森の中に居を構えているのかと、ミズキは口に出しはしなかったが不思議で仕方なかった。
「それに関しては身を持って体感させて貰いました。…とにもかくも、私の仲間については街で探してみないといけません。きっと街にいるはずです」
「仲間か、見つかるといいな。俺は……人ではなく、仕事が見つかればいい」
「仕事、ですか?え、もしかしてタナトスさんって無職なのですか。っけひひひ。失礼ですが、どうやって生計を?」
「今、微妙に笑わなかったか?…えっと、森には魔物が生息しているからな。それだけ自然で育つ食料が森に溢れているということだ。それに魔物の肉は食えないわけでもない。ただ他人が俺のような生活をするものなら、食に関してはかなり好みの差が出てしまうだろうけどな」
「なるほど、完全な自給自足ですね」
現在の情勢からして、自給自足は決して珍しいことではない。
しかし魔王が打ち倒された今、魔物が大人しくなっているから人間の貿易や商売などの交流は非常に盛んとなっている。
だから自給自足で、その日を凌ぎ凌ぎで生活している人は少なくなっていると言ってもいい。
それほど今は何においても金銭による取引が主流で、物資で困ることは減少傾向にある。
そして今、タナトスとミズキが向かっている街はその典型的な近代情勢の象徴となっている。
全てが盛えて繁栄していて、大陸で最も賑やかな主要都市と言い表しても差し支えない街だ。
「俺の生活のことはどうでもいい。それより目的地の街についてだ。俺は普段、森の中に籠っているがために街には正直詳しくない。行った回数も手の指で数えれる程度だ。どんな街か、できれば説明してもらえないか?最も栄えているとだけは記憶にある」
「そうなのですか。リール街のことを全く知らないのは珍しいですね。えっと、今から行く街はリール街と呼ばれています。タナトスさんが言う通り大陸で一番栄えており、私達人間においては最も不自由しない場所と言っても過言ではありません」
更にリール街へ続く道は平坦な地が多いため、海沿いの街との交流も比較的盛んである。
もはや多くの街たちの中心街という存在で、リール街が無ければ国が成り立たないと言っていい。
それらを踏まえて、ミズキは水色の髪を揺らして歩きながら説明を続けた。
「他には鐘の塔や大規模の劇場があったりしますね。あと何よりリール街には最大の城塞であるリール城が隣接しているため、軍事力において他の街と比べて最高レベルです。だから最大規模の街でありながらも治安は比較的に良く、理想の街と言えるかもしれません。当然、防備も素晴らしいですから。まぁ、何もかも大陸を治めている国王が優秀だからこその話なんですが」
「王か。あまり好きな言葉じゃないな。……そうだ、国王がいるならあいつはいるだろうか」
「あいつ?それはどなたでしょうか」
「平和の勇者のシャウ。シャウ・コヨルだ。シャウと俺は少し個人的な面識があるからな。あいつがいれば何か仕事を紹介してくれるかもしれない」
世間を知らないタナトスの何気ない一言に、ミズキは素直に驚く。
驚いた理由は他でもない。
彼が、魔王を打倒した英雄である平和の勇者シャウと知り合いだと言うからだ。
どの程度の面識かはともかく、タナトスの口ぶりからしてそれなりの仲なのは充分に伺えた。
「平和の勇者様とお知り合いなのですか!?それは凄い話ですね。とても驚きました」
「あぁ、そいつとは一緒に戦った仲だからな。月日は経てど、俺の顔くらいは覚えてくれてはいるだろう」
「一緒に…、ですか?」
次にミズキは、タナトスの言葉に対して疑問を抱いた。
平和の勇者であるシャウは魔王を倒して世界を救った英雄であるがために、共に戦った仲間に関しても既に語り継がれていて記録として残っているほどだ。
その話や知識に関しては、一般人であるミズキもよく知っている。
でも同時に、タナトスのような黒ずくめの剣士と共に戦ったなんて記録がないのは確かだったことまで知っていた。
それどころかタナトスという人物が、平和の勇者と一緒にいた所を誰も目撃すらしていないのだ。
噂や記録があるとは言え、どうしてタナトスが平和の勇者シャウの仲間として一緒に戦っているわけが無いと断言できるのか。
なぜなら平和の勇者と共に魔物の大陸へ行って戦って生き残ったのは、平和の勇者本人含めても僅か二人だけだからだ。
他にも数人の仲間がいたが全員は戦死済みだと記録が残っている。
だから少なくとも平和の勇者と共に戦って生き残った仲間は一人だけ、それは間違いなかった。
しかも生き残った仲間が女性だとはっきりしているので、絶対にタナトスのことを示してはいない。
そのため本当に平和の勇者と共に戦ったというのなら、変な話ではあるが辻褄を合わせようとしても残っている記録からしてタナトスが生存しているのはありえなかった。
そんな疑問や疑心を彼女が抱いているなんて露知らず、タナトスは呑気に声をあげる。
「お、やっと街が見えてきたな。うん、なかなか壮観な囲いの防壁だ」
「え、あぁ…はい。街も大きいだけではなく軍備としての設備が充実していますからね。外壁は最高の強固さを誇っていますよ」
そう説明するミズキとタナトスの視線の先には、高くそびえ立つ外壁があった。
外壁は数メートルもある厚さを誇り、高さも二十メートル以上はあってあらゆる攻撃に耐えられる鉄壁の防備として機能している。
外壁の硬さには実績もあり、多くの魔物の侵攻を防いでは阻んできた歴史が傷ひとつひとつに刻まれていた。
それに平和になった影響か、リール街へ入るための正門付近では多くの人が往来をしている。
まだ街の外は危険には変わりないのに、外にも関わらず人だかりができているのはさすが最大の街なだけはあると言えた。
タナトスとミズキはその人だかりに揉まれながらも正門へと何とかの思いで辿りつき、外壁の近くにある受付の窓口へと顔を出す。
すると受付の担当である女性の人が営業的な笑顔を浮かべて、元気ある声で言葉を交わしてくる。
「ようこそ、リール街へ!まずは身分証明の提示をお願い致します!」
この言葉にタナトスは面をくらう。
それもそのはずでタナトスは仙人のような暮らしをしていたばかりに、身分証明の類は持っていないからだ。
だからタナトスは声を潜めてミズキに小声で話しかけた。
「おいおい、ミズキ。いつから身分証明の提示なんてものが施行されたんだ。少なくとも数年前、俺が初めてこの街に来たときはそんなものは無かったと思うが」
「魔物による被害が極力無くなれば、王様として次に備えるのは必然的に人間の犯罪ですからね。魔王を打ち倒して間もなく導入されました。最大の街であるからこそ、簡単に人の往来を許してはいないんですよ。簡単に許してしまえば、それだけ良くない物の物流も許してしまいますから」
「門の周りの人だかりもその手続きによるものか。参ったな。俺は身分を証明できるものを持ち合わせていない」
「安心して下さい。同行者である私が保証すれば、簡単に発行してくれますよ。まだこの身分証明というものも簡易的な措置に過ぎませんからね。現段階では、あくまでその人物の名前、性別、どのような生業なのかのチェックだけです。あ、すみません。出身地はどこですか。一応その部分も身分証明には必要なので」
ミズキは窓口の受け付け嬢から身分証明書の発行のための紙を貰っては、羽ペンでタナトスの代わりにサインをしようとしていた。
それを見ていたタナトスはすぐにミズキから羽ペンを奪い取って、少しばかり強引に立ち場所も押しのけて紙を背で隠しながら書き始める。
「これぐらい俺が書くからいい。タナトス・ブライト、と。男性で……職業だと?ちっ……、無職。出身地は………ここでいいか。あとは指印?指先にインクをつけて紙に押せばいいのか。よし、これで大丈夫か?」
無職という文字を書いた紙を見せるのは気が引けるが、タナトスは一通りにサインを終わらして受け付け嬢に手渡した。
受け付け嬢はそのサインに目を通して確認すると、サイン書を手に笑顔で言葉を返してくる。
「はい、ご苦労様です!無職のタナトス・ブライトさん!では身分証明書の発行まで少々お待ち下さい!ミズキ様は中へ入ってもよろしいですよ!」
タナトスはそう言われて仕方なく窓口の近くの壁に寄りかかって、大声で無職と晒されたことに顔をしかめながら発行まで静かに待つことにした。
だが、ミズキが近くに来るものだからただ静かに待つことはできなかった。
「おいおい、ミズキ。お前の身分証明は終わったんだろう?なら街中へ入ればいいんじゃないのか。俺との契約は終了のはずだ」
「あ、いえ…。せっかくここまで来ましたからタナトスさんと一緒に発行を待とうと思いまして。えっと、ご迷惑なら先に行きますが」
「……好きにしろ。しかし俺と居ても面白い話題は提供できないぞ?」
「あー…、それなら平和の勇者様と一緒に戦った時の話を聞かせて貰ってもよろしいですか?私、大変興味があります」
ミズキは何かの話題作りのためとかではなく、純粋に疑問だったがためにそのような質問をなげかけた。
何気ないタナトスへの探りでもある。
彼はそのことに気づきながらも、特に気にかけず仏頂面で答えた。
「あぁ、そうだな。シャウと一緒に戦ったのはほんの一度だけだが、その一戦はとても苛烈な戦いだったよ。平和の勇者の仲間は一人以外は全員その場で死に、俺も死力を尽くした。今こうして思い出しても、本当に激戦だったと思える」
「え?ちょ……ちょっと待ってください!平和の勇者の仲間は道中でも命を落としたとは聞いています。でも仲間一人だけを残して他が死んでしまったのは、魔王との戦いだけだったはずです!それにタナトスさんの実力を考えれば、かなり武闘派の魔物だろうと単騎で互角に戦えるのでは…?」
「そうだな。俺が本気を出せば相手がどんな実力者だろうと、一対一なら負けないだろう。それでも平和の勇者と共に戦った時は苦労したが」
「つまりそれって……、記録を頼りに考えると平和の勇者様と一緒に魔王と戦ったってことですか?嘘、そんな話ありえない」
ミズキは衝撃的なショックを受けたように目を見開いては、口を開けて呆ける顔をした。
でもすぐに首を横に振って、現実へと戻って言葉を続ける。
「魔王との戦いの記録、とは言っても平和の勇者様が付けた記録に過ぎないのですが、その公開された記録にはタナトスさんのことは少なくとも書かれていませんでした。もしかしてタナトスさんは、冗談でそんなことを言っているのですか?」
「記録とやらの事については俺がシャウに、俺に関しての記録は残さないようにと念を押しただけだ。シャウは面白い性格ではあっても律儀だからな。素直に願いを聞き入れているようで良かった」
「にわかに真実だとは信じられませんが、もし……もし本当なら何故そのようなことを?記録に残されていれば今頃賞賛と名誉を授かり、お金に困ることも無かったでしょうに」
お金がどうこう言われると、少しだけタナトスは困った表情を浮かべた。
格好よく反論してやりたい気持ちはどこかにあったが、現在は金欠によってこうして街へと出るハメになっている。
だからとも言うべきか、タナトスは素直に答えるしかなかった。
「記録に残されたら金欠より困ることがあっただけだ。それに誰だって都合よくできるなら、そうなるようにするだろう。俺はたまたま記録に残さない方が都合が良かったにすぎない」
「はぁ……?そうなんですか…?」
タナトスが曖昧な言葉で返して来たために、ミズキも曖昧な反応となってしまう。
でも今の話だけでは納得できないことは多い。
更にミズキは詳しく訊こうとしたとき、受け付け嬢がタナトスの名前を澄んだ声で呼んだ。
「無職のタナトス・ブライトさん!身分証明書が発行できました!どうか受け取りに来て下さい」
「おっと、もうできたか。仕事が早いのは良いことだな。それじゃあ行ってくる」
タナトスは呼ばれるとミズキから離れて受付けの窓口へ行ってしまい、彼女は完全に訊きそびれてしまう。
仕方なくミズキは遠目で彼が手続きを終わらすのを眺めていると、ものの数分もしない内に戻ってきてタナトスが声をかける。
「よし、行くぞ。とは言っても、これでお別れだな。これ以上、二人で一緒にいる必要はないだろ」
「……えぇ、そうですね。他にも訊きたいことはありましたが、それぞれやることがありますからね。余計な詮索も無礼というものです。ここまでありがとうございました。えっと、どれほどお金を支払えばいいでしょうか」
「大した仕事はしてないからな。小金貨二枚も貰えればそれで十分だ」
「分かりました。では小金貨二枚をお渡しします。……あれ?すみません、小金貨が少ないので銀貨でもよろしいでしょうか?」
「構わない。なら銀貨二十枚だな」
ミズキは丁寧に銀貨二十枚を数えながら財布から取り出して、その銀貨を彼に手渡した。
タナトスは受け取ると特に枚数を数える真似はせずに、そのまま自分の財布へと入れて硬貨の音を鳴らす。
支払いは済み、これで契約は終了だ。
ただ行く場所は同じのために二人で揃って門をくぐり、共にリール街へと入ることになる。
二人は沢山の人と馬車が往来する道を通り、解放されている門を通ればそこには賑やかな街中の光景が目の前いっぱいに広がった。
整備された石畳の通路、どこを見渡してもレンガの建物が並び、街の入口にも関わらず多くの露店が開店している。
そして道端で芸を見せる人、老若男女と様々の沢山の人、巡回する警備兵、子供と一緒に走り回っている犬と賑やか過ぎるほどに騒がしい。
それに快晴のために、より一層この場所には活気が満ちているようにタナトスには見えた。
「中々やかましい所だな」
「っけひひひ、でもそれだけ今の皆さんは元気に有り溢れているということです。魔王と戦争している時は、さすがにここまで賑やかではありませんでしたし。それではここでお別れですね。本当にありがとうございました」
「そう何度も礼を言うことじゃないさ。探している仲間、見つかるといいな」
「はい、そうですね!タナトスさんも無事に仕事が見つかるよう祈っておきます!頑張って無職から脱却して下さい!」
ミズキは悪意がないようだが、妙に煽りに聞こえるような言葉を述べてから頭を軽く下げる。
それから笑顔で手を振りながらタナトスから離れていっては、人ごみへと入って水色の髪が特徴的だった少女の姿が消える。
その様子をタナトスは見失うまで眺めて見届けていた。
しばらくしてタナトスも街中へと歩き出し、露店を見回しながら前へと歩くのだった。
「なになに、リンゴ一つ銀貨二枚?……くそ、相場が分からずに銀貨二十枚とは言ったが、まさか俺のさっきの働きがリンゴ十個分だったのか。もう少しふっかければ良かっ……って、えぇ!?この布服で小金貨四枚だって!?服も買えないじゃないか!これは早く仕事を見つけないとな。このままでは剣を売る羽目になってしまう。まずは平和の勇者と謳われているシャウを探さないと」
タナトスは露店の値札を一つ一つ見ては自分の金銭感覚が頼りにならないと知ると同時に、毎回驚きの表情で言葉を漏らしていく。
これによりタナトスは自分が如何に世間では金欠で貧乏なんだと理解して、とりあえず平和の勇者に会おうとリール城へと人ごみをかきわけながら早足で向かうのだった。