山中の異変
三人は馬の準備が整えば、すぐに出発して森林が豊かな山を登って数十分が経過していた。
決して緑が深い場所ではないが、遠くを見渡すことはできないような山で、蛇行して踏みならされた道。
そんな山道を登る馬にはシャウが自ら後ろの方へ乗っては手綱を握り、ミズキを前に座らせていた。
タナトスは一人でしか乗ったことがないために分からないことだが、どうも二人で乗った場合は前の方が揺れが少なく慣れていない人を馬の前方に座らせるようだ。
しかしそれでもミズキの姿勢は明らかに不安定で、馬を走らせたら落馬するんじゃないかと思わせるものだ。
心なしか呼吸も乱れているし、なぜか緊張しているのが分かる。
だからシャウは気遣って、かなり慎重に馬を進ませていた。
「大丈夫、ミズキちゃん?もっと体を密着させて、私の揺れる胸を堪能してもいいんだよ?」
「は、はひぃ…大丈夫ですよぉ…!自分が何もしていないのに進んでいることに、少し驚いているだけですから…!」
「あれ、乗馬の経験はあるんだよね?ってか、それだと船とかもキツそうだね」
「船は…多分大丈夫です!ただ馬だけはどうも…。馬車に乗った時は平気だったんですけれど…!」
どこか必死さが込められているミズキの口調。
あまりにも余裕が無さそうだから、ついタナトスも心配の声をかけた。
「本当に大丈夫なのか?あまりにも酷いようなら背負うぞ?」
「ど、どうしましょう。本当にそうして貰うか悩んでしまいます…!」
「駄目だよミズキちゃん!タナトスはドスケベ野郎だからね!あんな紳士的に振舞っているのは見せかけで、内心ミズキちゃんの柔らかい胸や可愛いお尻を触りたくて我慢しているだけだから!」
「え、そうなんですかタナトスさん!?…でも背負って下さるのなら、少しくらいは触れても不可抗力でしょうから私は別に……」
「ミズキちゃん!?駄目だよ、女の子がそんな簡単に体を許すような発言は!平和の勇者として聞き捨てならないよ!」
勝手に言いがかりを口にしては騒ぐシャウと、どこか天然というか間抜けに近い思考をするミズキ。
その二人を見てタナトスは先に進みながら呆れてしまっていた。
「勝手に漫才していてくれ…。もう面倒だから頼まれても背負わんぞ。どうしてもキツイ時は、馬にロープでも繋いで引っ張って貰うんだな」
「えぇ……どこぞの拷問ですか、それ…。私、痛いのは嫌ですよ」
どうしようもない会話を三人はしながら進み続けていくと、山の中腹辺りで葉に血が付着しているのをタナトスとシャウが発見する。
葉から血は垂れていて、まだ新しいものだとひと目で分かる。
すぐにタナトスは目線をミズキ達に送って、ミズキは不思議そうな顔をするがシャウは頷いてみせた。
「登山は終わりだ。どうする、別個で捜索するか?」
「そうだね。この山に詳しいのは私だから、少し遠くまで行かせて貰うよ。タナトスは周辺をお願い」
「分かった」
シャウとタナトスは普通に会話をしているが、ミズキだけは状況を呑み込めずに戸惑っているばかりだった。
しかしシャウとタナトスは気にせずに探索の動きを見せ始めて、シャウは馬から降りてはタナトスは鞘から剣を僅かに一度抜いてから手に取りやすいように調整する。
遅れてミズキも馬から降りて、シャウと一緒に手綱を近くの木にかけて馬を逃がさないようにした。
「一応言っておくが周辺を捜索するとは言っても、俺は馬を見張るだけだぞ。あとは任せた。あまり時間をかけるなよ」
「はいはい、薄情のタナトスはそれでいいよ。じゃあ行こうか、ミズキちゃん」
「え…?え?あ、はい。それではタナトスさん、気をつけてください」
すぐにシャウとミズキは行動を開始して、奥の方へと草木をかきわけて探索しに行く。
その様子を見届けるとタナトスは溜め息を深く吐いた後、シャウ達とは反対の方向へと足を運んで探索に動き出した。
するとタナトスは早くも事件現場に遭遇することになる。
切り刻まれた馬と人の死体が一体ずつ血だらけで倒れていて、飛沫した血が草木を赤く染めていた。
そして死体とは別に、一人の男性が息切れの状態で倒れていることにタナトスは気づき、その人間に近づいた。
動きやすい鎧を着ているのを見るところ、おそらくシャウが言っていた民兵の一人だろう。
タナトスは民兵である男性に歩み寄り、屈んでから声をかける。
「大丈夫か?しっかりとした意識はあるか?」
「…う…、誰…だ?あぁ……誰でもいい。すまないが……水か何かを…」
「水か。大した量はないが手元にある。飲ましてやるから口を開けろ」
タナトスは残り少ない水が入った革袋を取り出して、咽せ返さないように少量ずつ垂らす形で民兵の口に水を注いだ。
時間をかけて水を飲ましてあげて一息をついた所で、タナトスは民兵に質問をする。
「早速で悪いが、いくつか訊きたいことがある。一体何があった?それと、もう一人倒れているのは民兵みたいだが、少なくとももう一人……馬小屋を営んでいる男性がいるはずだ。そいつはどうした?」
「あぁ…、馬小屋の主人は分からない。おそらく誰かを呼びに登山か下山をしたんだと思う…。それか追われて逃げているのか」
「ずいぶんと曖昧だな」
タナトスはそう言いながら、メメという少女の父親である馬小屋の主人がどこへ行ったのか考えていた。
しかし数秒のみの思考で、タナトスは馬小屋の主人がどうしたのか理解する。
最初に至った結論は、死んでいるか拉致されているのどちらかだというもの。
まず娘を置いてレイアに向かって登山するのは考えられない。
民兵も連れ出している以上、父親として娘の安否は気になって仕方ないはずだ。
そしてタナトス達がここまで登山していて、父親らしき人物と出会うことはなかった。
馬小屋の主人もシャウも登り馴れている道のはずだから、なるべく馴れているであろう同じ道を通るはずだ。
それで出会うなりシャウが違和感を覚えないということは、主人は下山できる状況又は状態ではなくなったということだ。
だが、もし襲撃を仕掛けた盗人が馬小屋の主人を拉致したとして……何か意味があるのだろうか。
タナトスの知る限りでは拉致する利点が無い以上、殺されている可能性の方が高いように思えた。
「まぁ馬小屋の主人はこちらで捜索を続けるからいい。お前はどうだ、動けそうか?」
「……正直、かなり辛いが大丈夫だ。下山するくらいなら、一人でも何とか……。それより気をつけろよ…。もしかしたら俺を餌に待ち伏せをしているのかもしれない」
「ふん、別に待ち伏せされていてもゴロツキ程度にやられはしないさ。たとえ何人いようとな」
「いや違う。そうじゃない」
民兵の突然の否定的な言葉。
その口調は厳しく、慌てているようでもある。
だがそもそも一体何に対しての否定の言葉なのか分からず、タナトスは聞き返した。
「どうした、何が違うんだ?」
「俺たちを襲ってきたのは盗賊とかじゃない。魔物だ…!」
「何だと?」
勝手に盗人の類だと思っていたタナトスは少し驚きはしたが、表情は訝しく眉をひそめて眼を細めるものだった。
この表情は疑問からくるものだ。
物品を盗むという話を聞いていたのに、魔物だと言うのなら話の辻褄が合わない。
どういうことなんだと更に訊こうとしたとき、タナトスは地響きする低く鈍い唸り声が遠くから聴こえてくるのを耳で感じ取った。




