生涯の誓約
タナトスとアリストによる休憩の間の話合いは食の街アルパへ戻ることにまとまり、まずはシャウ達との合流を優先した。
そのため移動を再開したが、負傷者による行軍は遅く、夜になってもまだアルパ街は見えてこない。
それどころか、ついに兵士の中で倒れる者が出てきてしまった。
そのせいもあり、近くの小川で全員が再び休憩を取ることになってしまう。
空を見ればすでに月が昇っていて、小さな星々が多く輝き出してしまっている。
それに肌寒くなっていて、もう夜更けだ。
つまりアルパ街で地割れに呑まれてから、ほぼ丸一日経過したことになる。
さすがに小休憩では疲れが取れていない様子が濃く出ていたため、タナトスはアリストに再び話しかけて相談を持ちかけた。
「どうする、アリスト。ずっと睡眠も食料も取ってないから、多くの者達が体力の限界だ。アルパ街まではあとどれくらい歩けばいい?」
「今のペースだと、まだ半日近くはかかるよ。……仕方ないね。負傷者がいるから早く到着したかったけど、ここで一晩明かそうか。今、身を守れることができるのはあたいとあんただけだから、あいつらを置いて先に街に行くわけにも行かないからね」
「分かった、俺もそれには賛成だ。なら、見張りは俺とアリストでやろう。みんなには休むよう伝えておく」
「あぁ、頼んだよ」
小川の近くで一晩明かすことになり、タナトスは兵士達にそのことを知らせて傷や体調の確認をした。
それらが一通り終えた所でミズキとスイセンの二人が休んでいる場所へ行き、彼は今後についてのことを教える。
「ミズキ、スイセン。空腹で寝づらいと思うが、ここで一晩明かすことになった。アルパ街に着くのは明日の朝だ。見張りは俺とアリストでやるから、二人は寝ていてくれ。それと念のため聞いておくが、体調は大丈夫か?」
タナトスの質問にスイセンは頬の赤みを見せながら手をひらひらと振って、いつもの調子で答えてみせた。
「おかげさまで大丈夫ですよぉ。ちょっと熱っぽいですけど、気になるほどでもありませんのでぇ」
「私も大丈夫です」
スイセンに続けて、ミズキは目線をそらしながらも答えた。
何か緊張しているような面持ちで、落ち着いている様子ではない。
するとタナトスは一息浅く溜め息吐いてから、黒い瞳を少しだけ悲しそうにさせては彼女に話しかけた。
「そうか、それならよかった。それでミズキ、話がある。少し離れた場所で話そう」
「っくひひ、私はお邪魔虫ですかぁ?」
スイセンは少し探りを入れるようにして、茶化しながら言ってみた。
けれどタナトスは調子を合わせずに、真剣な口調で言葉を返す。
「すまない、スイセン。いずれスイセンにも話すことだが、先にミズキにだけ言っておきたいんだ」
「あぁ、大丈夫ですって。分かってますぅ。ちょっとした冗談ですよぉ。どうぞ、お構いなく行ってください」
変わらずスイセンは気楽そうに言った。
いい加減に姉が相談してきたことに関係することだとスイセンは察していて、これ以上は下手に追求する真似はしない。
そんな彼女に対して、ミズキは軽く頭を下げながら立ち上がった。
「ごめんね、スイセン。先に寝てていいから」
「少しくらいなら、待ってるよぉ。お姉ちゃんがどんな話をしていたのか、聞きたいからねぇ。っくひひ」
スイセンは珍しく冗談を口にし続けた。
いつもならもっと淡々としているのに、女の子らしいとも言える気の緩みの見せ方だ。
タナトスも軽くスイセンに手を振って応えては、ミズキに声をかけてから歩き出した。
「そろそろ行こうか、ミズキ。こっちだ」
「あ、はい」
ミズキは前を歩くタナトスに案内されて、隣ではなく後ろについて行った。
ちょっとだけ顔を俯かせながら彼の背中と地面を交互に見て、静かに追い続ける。
いざとなると、やはりミズキにはまだ怖い思いがあった。
タナトスからどんな話されようと受け入れる心構えはできたが、自分自身が堪え切れるのか心配だ。
でも、もうどれだけ不安に思っても知る時が来てしまったのだから、スイセンの言葉を信じて自分の心を強く持つしかない。
彼に抱いているこの気持ちを、変わらずに想うようにする。
ミズキがそんな葛藤をしている間に、二人はみんなから離れた場所へと移動していた。
そこは小川のより上流の方で、辺りは草原が広がっていて空には満天の星々が輝いている。
小さな星々と月明かりに照らされて光りを反射する小川の近くで、二人は近い距離で向かい合った。
とても大事な話をすると分かっているから互いに座る気にはなれず、立ったまま見つめ合う。
黒い瞳と水色の瞳が交差して、お互いの顔を瞳に映し合っていた。
黒い髪と水色の髪がそれぞれ夜風に吹かれて優しくなびかれて、ミズキの方は水色の髪を指で撫でて耳にかけた。
対してタナトスは自分の髪に肌をくすぐられても気にせず、ただ真剣な眼差しで彼女を見ていた。
その真剣な眼で見つめられ続けたミズキは、静かな呼吸に比べて心臓の鼓動が早くなる。
勝手に、自然と緊張感が増してしまう。
視線を合わせたのは実際は二秒くらいだっただろうが、ミズキには何倍もある数十秒に感じられた。
そのため彼女はたまらず、タナトスが最初に話し出す前に口を開いた。
「あの、話って何でしょうか?」
先に口走った言葉は何気ない問いかけで、無意味な質問だ。
本当は分かっている。
タナトスがこれからどんな話をするかなんて、想像がついている。
だからタナトスが返事にした言葉は、聞くまでもなく分かっていたものだった。
「俺の過去、そして俺自身がどのような人物なのかについてだ」
タナトスはどのような人物か。
面倒事に巻き込まれやすくて、お酒に弱くて、剣術を扱う人で、とても強くて、嫌そうながらも人助けをしてくれて、力を貸してくれて、危険なときは守ってくれて、不器用だけど頼りがいがあって、本当は心が優しくて、魔王を倒した影の英雄であり、私のために命を懸けてまで救ってくれた大切な人。
それがミズキから見たタナトスという人物像だった。
これは彼が今からどんな話をしようと覆ることはない事実だ。
でも、歪む恐れがあった。
本当は反抗組織の統括者リボルトみたく裏があって、自分が勝手に好意的解釈しているという恐れだ。
しかし、彼に限って決してそんなことはないと信じたい。
だからミズキはすでに決まっている覚悟を胸に、小さく頷いた。
「話を聞く覚悟はできています。教えてください。タナトスさんの全てを」
彼女の小さな手に自然と力が入る。
逸らさない眼差しと手に込められる力が、ミズキの覚悟の表れだ。
それにタナトスは一度夜空を仰いでから息を吐いては、彼女に向き直ってゆっくりと口を開いた。
「ミズキ、俺は…」
言葉に一瞬だけ間があいた。
それはタナトスにも真実を口にすることに恐れがあるという証だ。
けれど戸惑いは一秒にも満たなくて、すぐにタナトスは言い切った。
「俺は、人間じゃないんだ。俺は魔王に造られた人間に近い魔物で、魔人と呼ばれている」
この告白にミズキの頭の中では混乱が起きていた。
薄々、人間とは何か違うとは思っていた。
でも姿は人間で、性格も人間っぽくて、ケガをしたときも人間と同じで、それだけ挙げれば彼の何が人間と違うのか分からないくらいだ。
タナトスの言葉にミズキは反応できない。
そんな彼女を見つめながら、タナトスは低い声で冷静に語りだした。
「今の話を踏まえたうえで、順序だてて一から話す。混乱するとは思うが、よく聞いてくれ。まずは俺が造られた経緯から話すぜ。……実は魔王は体質上、子孫が残せなかったんだ。しかし先のことを考えると魔王の後継者となる存在が必要で、魔王軍の幹部の一部からもその存在は熱望されていた。結果、魔王は研究して実質子孫となる存在を造り始めたんだ。その実験と研究を繰り返した末、俺という存在タナトスが誕生した。つまり魔王は、俺の実の父親でもある」
一度、旅の道中で両親の話になったとき、タナトスは妙に曖昧な言い回しをしていた。
思えばそれは親が魔王だから変な発言になっていたのかもしれない。
しかしそれより衝撃を受けたのは、タナトスが魔王を殺しているということだ。
いくら魔王だと言っても実の父親を殺すなんて、人間の良識では考えれない。
少なくとも彼女には想像がつく行為じゃない。
ミズキはそんなことを思いながら、黙って話を聞き続けた。
「そして俺は魔物達の手によって育てられることになる。戦闘能力については、幼い頃からすぐに開花した。なにせ、俺は魔王の息子というより複製同然だったんだ。まさに第二の魔王と言ってよかった。ただ研究の結果、魔王と同等の力を発揮させるには人間の造形が理想ということになっていて、俺は魔物より人間寄りの生物だった。魔物でありながら魔物ではなく、人間に近い存在でありながら人間からもっともかけ離れた存在。それが俺だった」
タナトスは思いふけるようにして息を吐く。
魔王の息子ということで魔界大陸では通っていたが、姿が人間だったから影ではどう思われていたか分からない。
少なくとも表向きは歓迎はされていた。
でもタナトスの目には、それは上っ面の態度に見えて仕方なかった。
魔王の息子だから良くされていた。
なら魔王がいなくなったら、どうなるだろうか。
魔王が亡くなったらタナトスは魔物でも人間でもない、半端な生物としてしか見られないだろう。
そう、後継者というのは熱望されていたにも関わらず、魔物によっては煩わしい存在でもあったのだ。
そもそも後継者を熱望していた幹部は、魔王に心酔していた者だけだ。
だから自分が次の魔王だと名乗りあげたい野心的な魔物は、少なからずいた。
タナトスはそんな過去を思い出しながら、話を続ける。
「やがてそんな半端者でもあった俺は力を大きくつけて、多くの魔物から本当の意味で認められるようになり始めた。そしてついに魔物の中でも強者となったとき、俺は魔王幹部へと昇格した。実績そのものは無かったが、実力は幹部の中でも屈指のもので異論を挟む者はいなかった。しかし、俺が幹部になって間もなくだ。奇跡の勇者アカネが魔界大陸へやって来て、魔王と戦闘を繰り広げた。更に後日、平和の勇者シャウも魔界大陸へ上陸して俺と出会った」
平和の勇者シャウとの出会いは、今でもタナトスは鮮明に思い出せる。
なぜならシャウは、タナトスが初めて戦った人間だ。
仕留めるつもりで戦って、当時は敵だったから殺そうとした。
でも逃がしてしまい、更に次にシャウと会ったときはタナトスの事情が変わっていた。
そのときもシャウには警戒されたが、魔王から助けるという土壇場で信頼を得て協力し合った。
「シャウと出会った俺は協力して、父親である魔王を殺した。父親と敵対した理由は言うほどのことじゃないから口にしないが、俺が魔王を殺したのは間違いない事実だ。それからすぐに俺は魔界大陸中から狙われる存在となって、この大陸へと逃げて来た。あとはミズキが知っている通りだ。俺は世間との交流を絶ってあの森で暮らしていた。お前と出会うまでの二年間だけだがな。……これが俺の全てだ」
彼は自分の過去を全て話した。
この話の証拠は不要で、目の前で証明済みでもあった。
地割れのときに全員を救った彼の力は、間違いなく今の話を裏付けるものだ。
それにミズキが魔王とタナトスの力を重ねて見たのは、タナトスが魔王の複製だから当然と言えた。
そして全てを話した彼に、ミズキは息を呑んですぐには言葉を返さなかった。
躊躇いを見せて、目を伏せて、落ち着きがないように手で胸の辺りを掴んだ。
それからしばらく沈黙が続いた後、ミズキはようやく喋りだした。
「正直、何て言えばいいか分かりません……。どう捉えればいいのかも分かりません」
これは偽りない本音だ。
彼は人間ではなく、魔物でもない。
そう言われても、よく分からないだけだった。
しかも魔王の複製で息子でもあると言われても、余計に混乱ばかりしていた。
そもそも造られたということ自体が、想像できることではない。
どうやって作ったのか分からないし、おそらく説明されても理解できるものではないだろうと思っている。
けれど問題はそこじゃない。
ただ彼は、タナトスは人間ではないことだけは確かだ。
そのことを分かったうえで、ミズキは言葉を続けた。
「覚悟はしていたつもりだったんですが、それでもやっぱり話を聞いて戸惑いはあります。けど、それがタナトスさんという存在なら私は全てを受け入れます。タナトスさんが人間じゃなくても、魔物じゃなくても、私の知るタナトスさんには変わりないですから」
そう言って、ミズキは儚く微笑んだ。
彼が何者だろうと、ミズキにとってのタナトスという存在に変化はない。
ただそういう生を受けた人なのだと、彼女は思うしかなかった。
これは事前に覚悟ができていたからこその考え方だ。
もし覚悟が無かったら、酷く混乱してこの場から去って行ったかもしれない。
彼の過去を聞いた彼女は言葉を続けた。
「それにタナトスさんは、これからも私とスイセンを守ってくれるんですよね」
一番大事なことをミズキは訊いた。
この問いかけにタナトスは瞳を逸らさず、小さく頷いてみせた。
「あぁ。これからもお前たちを守るからこそ、話したことなんだ。だから言わせてくれ。こんな俺でも、人間でも魔物でなくても、王を殺した裏切り者でも、ミズキとスイセンを守っていいのか?」
「もちろんです。むしろ私からお願いしたいくらいです。だって私は……、タナトスさんのことを心の奥底から信頼していますから」
揺るがない意思が込められた本気の言葉。
その言葉は、タナトスにとっては心に響いたものだっただろう。
彼はミズキにもしかしたら拒絶されるのではという恐れを抱いていた。
しかし彼女は拒絶せず、受け入れてみせた。
そんな彼女に歩み寄り、タナトスは手を取って優しく握った。
「なら、改めて誓わせてくれ。俺は命と心をかけて、この力をミズキとスイセンのために使おう。何があろうと、一生守ることを誓う」
「はい、お願いします!……あと私にも誓わせてください。タナトスさんと共に生きることを、あなたのためと幸せのために私も尽力することを誓います。どうか、これからも私達を救ってください。私の剣士様」
ミズキは明るい表情で言葉を返すと、背伸びをしてタナトスに顔を近づける。
そして星が満天の夜空の下で互いの誓いを心に刻み、誓いの証としてミズキは彼の頬に静かに口づけをした。
桃色の小さな唇が触れて、タナトスはその誓いを受け入れる。
このとき、二人の耳には静かに吹く夜風と小川のせせらぎと自分の心音しか聴こえなかった。
あとは、相手の匂いと草の臭いが鼻をくすぐるだけだ。
彼の頬から唇を離したあと、ミズキは手を強く握り返して女の子らしい微笑みを浮かべてみせた。
月夜に照らされたその表情は恥ずかしさから少しだけ赤くなっていたが、とても綺麗だった。




