暗闇
スイセン達と数人の兵士達は、凹凸の激しい地面を慎重に歩き進んだ。
すり足で足場を確認しては段差でつまづき、ぬめりのある岩場で足を滑らせそうになる。
それほどに地面は安定しておらず、暗闇の中を進むのは困難だった。
普通なら進むのを躊躇うどころか、断念しなければいけないほどだ。
唯一視力が僅かに働いているスイセンの眼でもほとんと見えていないに等しく、口には出さないが四苦八苦していた。
そうしていくらか足を進めた所で、暗闇に堪えきれずミズキが言葉を漏らした。
「ど、どこまで歩くのでしょうか」
声を除けば呼吸音と足音しか聞こえず、手を握っている感触や人の体温だけが頼りで、ミズキの声は不安でうわずっていた。
比べて会話に反応したアリストは力強く言った。
「さぁね。歩くだけで外に出れるなら、いくら歩いても安いもんさ」
「そうかもしれませんけど、外のことも気になりますからね。あれほどの爆発や地割れや地震と色々起きていますから、アルパ街では混乱が大きいと思います」
「それはあるだろうね。でも、あたいの仲間が地上にいるだろうから事態の収拾はある程度つくと思うよ。あたいの仲間は荒事以外の治安維持が得意な人達だから」
「そうなんですか。アリストさんのお仲間って、どのような人達なんですか?」
「あたいの仲間は二人いるんだけど、街とかでは基本的に別行動にすることが多いね。その分、信頼できる彼女達だよ。よく作戦を立ててくれて、物事をうまく進めてくれる。この前ちょっとした調査と証拠集めしていた時も、彼女達のおかげで済ますこともできたしね」
その話を聞く限りだと、正義の勇者のパーティーで戦力と数えるのはアリストだけのように思えた。
そうなると魔王との戦争時は、正義の勇者は戦力から考えて魔界大陸に立ち入るのは難しかったはずだ。
実際はどうか分からないが、目の前の人を救うという意思がある彼女でもあるから、この大陸に留まって勇者としての活動を続けていたのだろう。
ミズキはそんなことを考えながら、言葉を返した。
「さすが勇者のパーティーとなると、素晴らしいお仲間関係なんですね」
「はっ、そう言われると少し照れるね。よっ、と」
歩いている場所が少し高い段差になり、注意しながら登って進んで行った。
今のところスローペースだが比較的順調に鍾乳洞を進んでおり、まだまだ先があるとしてもだいぶ地中を歩いている気がした。
ずっと坂道でもあったので、もしかしたら外の光りを見るのも思っているより早くなるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱いたが、ついに問題に直面する。
「待ってください」
意識を集中させているために歩き出してから黙っていたスイセンが、突然周りに制止の声をかけた。
すぐに全員が言葉に反応して、足を止める。
しかしスイセンはそれ以上は言葉を発さず、焦れったく感じたアリストが問いかけた。
「どうしたんだい?」
「………足元付近から水の音が聴こえますねぇ」
そう言われてアリストとミズキも耳を澄ませてみた。
すると鍾乳洞の天井から水が染み出しているらしく、水滴が垂れ落ちて水の跳ねる音が目の前から聴こえてきた。
水たまりでもできているのかもしれない。
水の存在に気がついたアリストは、特に気にかけていない口調で話しだした。
「確かに水の音が聴こえるね。でも、ただの水たまりじゃあないのかい」
「深さまでは分からないけど、水たまりの範囲が広く見える。もしかしたら湖のようになっているのかもぉ」
「む、確かめれるかい?」
アリストにそう訊かれて、スイセンは繋いでいた手を離しては道具を漁る音が立てだした。
そして懐から、短剣の柄にロープが巻き付いている物を取り出した。
これで短剣の方を水の中へと落とせば、ロープの張り具合の手応えでスイセンには水の深さが分かる。
彼女は黙々と短剣を水たまりに投げ込み、作業を進めていく。
そうして暗闇の中でしばらく待っていると、ようやくスイセンは小声で言葉を口にした。
「かなり深いですねぇ。しかもどこかへと続いてるのかも。だとしたら、この水たまりを迂回しようとしても先は行き止まりかもしれない。ここは他の道を探すのが賢明かなぁ」
「待ちなよ。泳ぐことだってできるよ」
「さすがに水中の距離までは分からないですし、途中で息継ぎできるか分からないですよぉ。だいたい気絶しているタナトス君もいますから、水中を道にするのは無理ですって。私のお姉ちゃんは泳げないし、暗闇の水中を泳ぐのは自殺行為も甚だしいですって」
スイセンはさらっとミズキが泳げないことを口にしては、別の道を探すよう促した。
他の道と言っても、視界の効かない暗闇で探すのは手間という話では済まされない。
かと言って無理に水中を進めるわけもなく、ここはアリストの意見が折れるしかなかった。
「そうかい、野暮なことを口にしたね。なら他の道を探そうかね。ほら、お前たち隊列を変えるよ!」
方向転換するため、アリストは後ろにいた兵士達に声をかけたつもりだった。
しかし兵士からは一切の反応がなく、返事の声が聞こえてこない。
「なんだい、バテちまったのかい」
声が出せないほどに疲労でもしたのかと、アリストは呑気な言葉を吐く。
けれどスイセンが一番最初に違和感に気がついて、さっきとは違って慌てた様子で大声をあげた。
「しまった、はぐれた!兵士達がいない!」
「そんな馬鹿な話が…」
ほぼ一本道を歩いて来ていたはずだから、アリストは否定する言葉を口にした。
でも反応がないどころか気配も完全に失せていて、自分達だけが取り残されたような感覚があった。
おかしい。
さっきまでいたはずだ。
確かに暗闇で何も見えなかったとはいえ、見えないからこそ後ろにいた兵士達は自分達にぴったりとついて来ているはずだった。
このことにはアリストも冷や汗をかく想いが湧いてきて、必死に兵士達を呼びかけた。
「おい、あんた達いないのかい!?聞こえたら返事しな!声を出せ!」
アリストの声は虚しく反響してこだまするだけだ。
兵士達からの声は何一つ返ってこないし、足音も聞こえてこない。
いないならどうするべきか、アリストは数秒間だけ考えた。
でも彼女からしたら考える必要なんてない。
暗闇で、はぐれたのなら探すだけだ。
アリストは強い口調でミズキとスイセンに言葉をかける。
「ミズキ姉妹、兵士達を探すよ!」
彼女は二人の返事を聞かず、タナトスを背負ったまま強引に行動に出ようとした。
下手に動き出しては全員が迷子になるだけだ。
そのためスイセンはアリストに声をかけようとしたが、先に異様な音に気がついた。
ただの水とは違う、粘膜のある液体の音と人間とは違う声のようなものを一瞬だけ察知する。
何かがいる。
這いずっていて、こちらを意識している生物が高い位置にいる。
そして這いずる音が強くなったとき、スイセンは巨大な生物が接近していることに気がついて声をあげた。
「何か来てる!お姉ちゃん、気をつけて!」
「え!?うわわっ…!」
急に注意を呼びかけられたこともあって、気が動転したミズキは足元を滑らして岩の上で転んでしまう。
しかしそれは幸運で、間もなくしてミズキの頭上を何かが通り過ぎていった。
このときにスイセンはその襲ってきた生物が、どんな形状か悟った。
とてつもなく太く長い体を持ち、足が無いために這いずって暗闇の中を自由に動いている。
それだけの情報でスイセンは心当たりがある生物がいて、確信を持って声をあげた。
「大蛇がいるよ!それも規格外に大きい!」
「きゃあ!」
スイセンの呼びかけと同時に、ミズキは悲鳴をあげた。
倒れていたミズキが立ち上がろうとした時に体を巻きつかそうになっていて、強い圧力が華奢な彼女を襲おうとしていた。
さすがにアリストも悲鳴で大蛇の存在に明確に気がついたが、彼女の危険に素早く動き出したのはスイセンだった。
スイセンは暗闇の中で短剣を取り出し、気配と音を頼りに大蛇を小さな刃で突き刺した。
どこを刺したかは分からないが、血が出ている手応えはある。
その痛みを受けて大蛇は大きな体をくねらせて、尻尾を強烈な力で振り回した。
「くぅっ!」
尻尾による攻撃はスイセンに直撃して、体を吹き飛ばすほどの威力があった。
更に体を巻きつかれかけていたミズキも勢いで吹き飛ばされて、体を宙に投げ飛ばされてしまう。
「わわつ!」
投げ飛ばされた彼女は受身も何もできず、地を滑ってそのまま深い水たまりへと落ちてしまう。
大きな水しぶきの音と声で、スイセンとアリストはミズキが水たまりに落ちてしまったことをすぐに察した。
さっきスイセンがミズキは泳げないと口にしたばかりだ。
暴れる水しぶきも聞こえてきて、彼女が水中で足掻いていることが分かる。
「お姉ちゃん!」
別に吹き飛ばされていたスイセンは受け身をとって、素早く立ち上がった。
すぐに救出に行こうと動き出すが、大蛇がそれを許さない。
大蛇は明確にスイセン達の存在を感知していて把握している。
次にスイセンが動き出して向かってくると大蛇は判断して、鋭い牙を剥き出しにして彼女に突撃して襲いかかった。
スイセンは大蛇が襲って来ていることに気がついてはいるが、一刻もミズキを助けようとしていて対処する心の余裕がない。
それは隙であり、まして暗闇ということもあって、スイセンの動きは大蛇に対して間に合うものではなかった。
「爬虫類がうるさいよ!」
しかし大蛇の口がスイセンに飛びかかる直前、アリストが大声をあげて大蛇の下顎を叩き、強制的に顎を外させた。
元から下顎が外すことが自由な蛇には大したものではないが、殴打された衝撃と痛みは頭に響いて彼女の拳によって怯んだ。
いつのまにかアリストの背中にはタナトスの姿がなく、彼を戦闘の邪魔にならない場所へ移動させていた。
そして大蛇が怯んでいる間にスイセンはミズキの救出へと向かい、アリストは敵の注意を引きつけるために気合を込めて怒鳴る。
「あんたの獲物はあたいだよ!消化できるものならしてみな!言っておくけど、あたいは胃には優しくないからね!」
襲われている以上、身に降りかかる火の粉は払うしかない。
こうして彼女ら三人は、暗闇の中で大蛇を討伐することになった。




