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無駄  作者: しお
1/1

イロハ

 おれは世の中では割と低い方だと思ってたんだが、どうやらそんなでもないらしい。

 Fランを中退し数年が経つ。

 ホームレスが棲むダンボールに火を点けるくらいしか楽しみのなかったおれには一応我が家はあった。なけなしの金を繋いで生活費を賄い、さっき余った金でパチったら何十倍にもなって返ってきたんだからおれは案外ついている。

 パチ屋の帰り、釣りを余計に二十円貰ったような顔をして歩いてたのか、顔面にアボカドを塗って焼いたみたいな顔の男とも女とも言えない人間がおれに足を引っかけた。おれは無様にコンクリートとキスをすると、提げていた袋をスられた。ただ、またしてもおれはついていた。アボカド野郎は袋を捕ったまではよかったんだが、パチ屋のアホが〈当店は硬貨との換金のみ対象でげす〉と言ってクソ重い金を持たされたわけだから、死体のように重い袋を持つにも走れない状態だったんだ。そこでおれは奴をとっ捕まえて片目が二倍に膨らむまでサンドバッグしてやった。お見舞いに小便を引っかけ、ズボンをまさぐり樋口を頂戴した。

 その様子を電柱の陰から見ていた餓鬼がいた。餓鬼はこう太と言った。

「おじさんかっこいい」

 ガキはふわふわとした足取りで倒れたアボカド野郎に近づいたあと、少し遠い目をしてからおれに目を向けた。戦隊モノを見るような無垢な瞳というより、公園に落ちているエロ本を見るような目をしていた。

 小学生くらいだろうか。餓鬼のくせに度胸がある。

「生憎まだ学生だがな」

「嘘」

 そうひとこと言うと、こう太は道端に落ちていた袋を軽く蹴った。景気の良いじゃらんとした音が小さく鳴った。

「学生がこんなにたくさんお金を持ってるわけないじゃん」こう太は目を伏せた。「兄ちゃんは母ちゃんに借金してるんだ」

「日本には賭け事ってもんがあるんだ。足し算もできない能無しでも運さえあればガッポリ稼げる世の中だ」

「知ってるよ」

「とにかくお前みたいな子供がしゃしゃりだすことじゃねえ。これやるから家に帰れ」

 おれは公衆便所の生理用品用ダストボックスから見つけた飴玉を差し出した。こう太はそれをまだ未発達な腕で払った。その割にはおれの手の甲はケツの下に何分も置いたように痺れていた。

「おじさんが焼いたよ。父さんが寝てたんだ」

 公園のゴミ箱から拾った数日前の新聞をおれは思い出した。紙の隅におれの〈遊び場〉で焼け死んだおっさんの顔写真が載っていたんだ。そういえば確かにこう太に似ていた。

 こう太はもう一度袋を蹴飛ばした。

 どうやらこいつはおれよりついていたらしい。




 母ちゃんと兄ちゃんはどうしたのかと訊ねると、親父が死んで以来杳として姿を消したらしい。

 残されたこいつは冬の公園に独りで暮らしていた。おれのせいでひとりぼっちになったのに、そのことを全く咎めることはしない。ただ、こう太はおにぎりが食べたいと言い、おれは奮発してコンビニのちょっと高いのを買ってきた。

 見知らぬ餓鬼共が玉蹴りしてる傍らでおれはベンチにふんぞり返っていた。こう太は駅前から盗んできたダンボールに包まって地面に座っていた。そのほうが落ち着くらしい。

 寒い風が公園を吹き抜け、ポテチの袋がタンブルウィールみたいに横切った。

 餓鬼共の親は揃って立ち話をし、鼻くそをほじったら運悪く鼻血が出てきたときのような顔で愚痴を放っていた。奴らの〈安全地帯〉で言いたい放題する習性には心底うんざりしていた。

 こいつらは自分の身の上話をするときは言葉をマシンガンのように発するが、聞き手になると途端に怒られた小学生みたいになる。

 こう太もよく知っているらしく〈あの頭をお団子にしてるおばさんは子どもの話をすると鼻の穴が目より大きくなる〉とか〈眼鏡をかけたおばさんは下唇を噛む癖があるけど話すと決まって舌を噛むんだ〉とか教えてくれた。

 不意にボールがこう太のまとうダンボールに当たった。今流行っているアニメの絵が描かれたボールを拾いに遊んでいた奴らが寄ってきた。

 その中のチャーリーブラウンみたいな顔をした餓鬼がダンボールから覗くこう太を指差した。

「こいつ、親父が焼けた餓鬼だぜ!」

 そう言うと餓鬼はダンボールに砂をかけた。細かい粒が当たってぱらぱらと音を立てた。こう太は黙って奴らに流し目をくれていた。その目には無関心というか、まるでそこに餓鬼がいないような空虚さがあった。餓鬼はその視線に気付かないままボールを持ち帰っていった。

「おれのことを恨んでないのか」

「父さんが死ぬまではゴミ箱をあさったり盗んだりして食いつないでたんだ。今はおじさんが食事をくれる」

 こう太はさっき買ってやったおにぎりを頬張りながら言った。

「ほんの侘びだ。気にするな」

 おれはおもむろにポケットの樋口をまさぐりあてた。袋は重いから自宅に置いてきていた。

「ありがとう、父さんを殺してくれて」

「なんで公園なんかに棲んでたんだ。家族でホームレスなんて聞いたことがない」

「父さんが有り金を全てスられたんだ。母さんは会社の同僚に騙されたって言ってた。その後、盗んだ金をパチンコや賭け事に使ってなんとかひと儲けしようとしてたんだけど、盗んだ相手がヤクザの女だったんだ」

「不幸だな」

「住んでたアパートにおじさんよりずっと背が高くて強面なおじさんが数人入ってきて父さんを縛り付けた。猿轡っていうのかな。それも口に付けられてた。父さんがお金を持ってないって知ってたから、おじさんたちが要求したのは父さんの体の一部だった。片目と片足、あと髪の毛を落とされた。しかも足の切断部分を止血して死ぬか死なないかぐらいの杜撰な治療をして帰ったんだ。〈生き地獄だ〉って。ダンボールで父さん寝たきりだったから、気付かずに焼いちゃったんだよきっと」

 そういえばダンボールの隙間から付け根から先のない胴体が覗いていたのを思い出す。おれは死体だと勘違いして、人間を焼いたらどんな臭いがするだろうと思って焼いたんだ。それがこう太の親父だった。

 おれは何も言わずにこう太の話の続きを待った。

「ヤクザが入り浸るようになって、ついにアパートの大家さんの堪忍袋の緒が切れた。ぼくたちは追い出されて、このザマだよ」

「お前と母親は無事だったのか」

「女と子供には手を出さないって。兄さんはとっくに余った金を持ち出して何処かに行っちゃってたから」

「まるで漫画だ」

「御伽噺だよ。ぼくはこれから、幸せになってやるんだ。そしてどこかに行っちゃった母さんを見つけて一緒に暮らすんだ」

 こう太は小さく拳を突き上げ、えいえいおーとやってみせた。おれはこいつのどこから力がみなぎってくるのか不思議でたまらなかった。

 でもこうして見ると、こいつは確かな意思を持った目をしていた。冬にもかかわらず着ている半袖のシャツからはみだす二の腕にはガキなりに鍛えられた肉の山がちょっこり形作られていた。

 熱した鉄板に足を押し付けられてから砂漠を歩くような人生を歩んできたこう太より、親の金で通った大学を辞めたおれの方がよっぽど惨めだったんだな。

「おじさん、腹減った」

「近くに大盛りが売りのラーメン屋がある。知り合いが働いているから、裏口から顔を出せば無料で食える」

「こう太、伏せろ」

 不意に背後から声がした。若い声だった。

 振り向く暇もなく、車に轢かれたような衝撃を頭に受けて意識が沈んだ。





 枯れた木が月の光を遮るようにおれを覆っていた。ざわざわと夜の風が木を揺らした。身体を起こすと、見慣れた公園だった。

 頭に手をやると、一生に一度だけ触ったことのある女の胸とは縁遠い固めの肉が隆起していた。そうだ、頭をバットかなんかで殴られて……。

 座り慣れたベンチに腰掛けると、前方から砂利を踏む音が近づいてきた。

 こう太だった。

「おじさん大丈夫?」

「まだ頭が痛む。一体何があったんだ」

 こう太は例によってダンボールを持っていた。ベンチの横に腰を落ち着かせると、身を守るようにダンボールをまとった。

「ぼくの兄ちゃんが殴ったんだ。おじさんが気絶したあと、ポケットからお金を盗んで逃げていった」

 おれは自由の利かない手でポケットを確認するが、樋口の感触はなかった。代わりにこう太に差し出したはずの飴玉が入っていた。

「尾けてやがったのか」

「そうみたい」

「クソ。ついてねえ」

 おれは飴玉を口に放り込んだ。秋刀魚と大トロをスムージーにして塩をぶっかけたような不味さが襲いかかってきた。

 途端に殺意にも似た感情がじわじわと湧き上がってきた。

 おれが飴玉を吐き捨てると、こう太はご丁寧にそれに砂をかけ始めた。

「で、お前の兄貴はどうした。そいつにちょっと用ができた」

「さっき死んだよ」こう太は〈さっき10円拾ったよ〉と言うふうに言ってみせた。「盗んだあとを尾けたんだけど、駅前の風俗に入っていった。三十分くらい経って出てきたと思ったら、そのまま踏切に飛び込んでった」

 おれは駅前の風俗が本番アリで諭吉を持たない人間でも入ることができ、そこにオークとゴーレムのハーフみたいな女しかいないことを知っていた。

 中退したあとにヤケクソで転がり込んだ豚小屋がそこだったんだ。フロントが油まみれのモップみたいな頭をしたデブだった時点で地雷だと気付くべきだった。おれが案内された部屋ではすでに化け物が上半身裸でイキっていた。おれは発情したゴリラの檻にぶち込まれて、気がついたときには元気のない息子が情けなく縮こまっていた。

 自分を殴った本人であるのに、急にこう太の兄が気の毒に思えた。最期に見た女がメガ級の化け物だなんて、やつは相当についてない。

「こう太」

「ぼくは大丈夫。それよりこれを見て」

 こう太が差し出した手の平には赤みがかった鍵があった。ドブから拾ったような味気ない鈴がついており、涼しげな音を鳴らすわけでもなく中の玉がカラカラと動いた。

 赤色は血のようである。

「おじさん家ちっちゃいでしょ。兄さん家の方がマシだと思う」

「どうしたんだこれ」

「吹っ飛んだ体と一緒に落ちてきた。ぼくは兄さんの家を知ってるからそこに一緒に住もう」

 そう言うこう太の目には兄が死んだことへの悲観は一切なかった。相変わらずまるっとしたエロい目だ。

 〈どこにあるんだ〉と尋ねると〈こっち〉と言いながらこう太は手を広げて駆け出した。おれはその姿に昔見たアニメの女の子を投影した。

闇夜に薄っすらと映る餓鬼の人影は、おれの目にはとても輝いて見えた。

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