朝の電車
そのとき、朝の車内は失笑に包まれたんだ。
土曜日の午前6時35分発。
ローカル線の車両で会おうね、と君と待ち合わせをした。
僕と君は一駅違いで、僕はその4分前にその車両に乗り込んだ。
スポーツバッグに3日分の着替えを詰め込んで。
旅行なんかじゃない。
行き先も宿泊先も決めていないもの。
どこかに行きたいね、この町を出たいねと君が言ったから。
もちろんその時君はしこたまお酒を飲んだあとで、
どこまで本気かなんて分からなかったけれど。
それでも僕は、どこかへ行くことを提案した。
僕にできることなんて限られているけれど、
少しでも君が楽になるならそれでいいじゃないか。
そういうわけで、その日ぼくらはこの町を出て行くことにした。
とりあえずの着替えと日用品と、キャッシュカードを詰めて、
僕は電車に乗り込んだんだ。
二両編成の先頭車両。
土曜の朝のローカル線は思った以上に空いていて、
乗客は10人にも満たなかった。
部活に行く学生や、出勤する会社員、定年後の夫婦らが
まだ眠そうに揺られていた。
君の住む駅についた。
ホームに君の姿は見えない。
それどころか、ホームには誰もいなかった。
律儀に電車は停車して、見えない乗客のためにドアは無益に開いた。
君の考えが変わったのだと思った。
女心なんて分からないものだから。
どこかに行きたいなんて冗談に決まっているじゃないと、今晩にでも笑われるだろう。
まぁいい。二駅先の喫茶店でモーニングでも食べて帰ればいい。
そうして誰も乗らないままに、ドアは閉まった。
電車はそのまま動き出し、1メートルほど進んだかと思うと急停止した。
――運転席の窓を叩く女がいる。
大きなトランクと麻製のバッグを提げた君が、必死で窓を叩いている。
すっぴんにリップをひいただけで、洒落っ気のない服装だったが、
なぜかとても綺麗に見えたんだ。
ああ、この人に恋をしてよかった。そう思えるほどに。
人情味溢れる車掌は、わずか一人の乗客のために電車を止め、
ドアを開けた。
よっこいしょ、とでも言いそうな勢いで、荷物に埋もれた君が乗り込んでくる。
そのあまりの呑気さに、そう多くない乗客の皆が苦笑いした。
柔らかな朝の日差しが注ぐ中、君は満面の笑みを僕に向けた。
苦笑を吹き飛ばし、皆を虜にしてしまうような笑顔だった。
「おはよう、すごい荷物だね。」
その日初めて交わした言葉はありきたりだ。
「これでも減らした方なの。」
肩をすくめる仕草はまるで少女のようだった。
今度こそ走り出した電車はリズムに乗って、ぐんぐん速度を上げていく。
踏み切りの音も心地いい。
そして、その時君が言った台詞を、僕はずっと忘れないだろう。
「――この荷物が、今の私が持っている全て。
今日から二人で生きていくのよ。さぁ、どこへ行きましょうか。」
全く、プロポーズは男の特権だというのに。
君と二人なら、きっとどこへ行っても笑いあえるよ。