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記憶の端から貴方へ

作者: YA GI DA 羊
掲載日:2026/02/16

第一章:探し者

十月の中頃、見慣れない町並みを車の中で流し見ながら退屈なラジオに耳を傾ける。私、萩野るなに向けて運転席の男はふと思い出したかのように言った。

「……最近思うんです。るなさんと関わっていることでもしかしたら俺が犯罪者扱いされることになるのではないかと。」

うわごとのように呟かれた言葉。

片や家出をしてきた女子高校生とそれを連れまわす社会人の男。どう考えたって事案しか浮かばない。

「今さらだね。荻原くん。」

もう出会ってから十ヶ月以上たっているのだから、覚悟のうえだと思っていた。

「なんでこんなことに……。」

そう彼は狼狽えているが彼の様子は初めて会ったときより幾分か明るくなったように思う。

「荻原くん、やめてもいいんだよ。私は君の事を恨めない。」

「それ冗談ですよね?俺は絶対にやめませんから。」

心からの言葉だが強く拒否されてしまった。

「別に私はお母さんを探すのに協力して欲しいとも言っていないのに。」

ちょっと、お人好しが過ぎるのではないのかなあ。

「別に俺は誰かの為にしているわけじゃありません。……るなさん、貴方は俺の逃げ道なんです。」

誰にだってあるでしょう。どうしようもなく逃げてしまいたいときなんて。

そう言って前を向いたままの瞳は十ヶ月前と何ら変わりない空っぽな目をしていた。


十二月の日の事。世間はクリスマスや大晦日で賑わっているというのに今日も今日とて残業したうえで自宅にまで仕事を持ち帰るという社畜に片足を突っ込みつつある自身に対して荻原侑希は哀れみを覚えていた。

「何処かに逃げ道はないんですかね。」

信号待ちの交差点にてそう独り言をこぼす。

赤が爛々と光る信号機は今日も誰かの命を守っていると考えると感慨深い。

自分よりもずっと社会の役にたっている働きものではないか。

そんなことを考えていると不意に糸が切れたように体がガクッと前に倒された。

「はっ?」

車のクラクション、周りの喧騒、自分の出した声、さまざまな音が混じりあい耳の内で不明瞭になる中でただ一つクリアに聴こえたのは、

「危ないっ!!!」

自分の腕を引っ張った少女の声だった。


疲れきってとっくのとうに回らない頭で考える。

……助けられたのか、まずお礼を―

「大丈夫ですか?すっごく顔色が悪いですよ!ストレスですか?人相悪いです!」

失礼だなこの人。

「……えぇ、大丈夫です。貴方のお陰で怪我はありません。ありがとうございます。」

ひとまず礼をいう。

「いえ、どういたしまして。」

そう言って去ろうとする彼女を俺は呼び止めた。

「待って……あの、お礼をさせて下さい。救って貰った身なので貴方にお返しをしたいんです。」

半分本心で半分は建前だ。確かに礼をしなければと思ったが、目の前の少女に自分は何か感じるものがあったのだ。

彼女は驚いたように俺を、否俺の目を見た。


真夜中のレストラン。この時間まで営業しているのはこちらではさほど珍しくはないのだが、目の前の少女から見たらよほど奇異なものらしく、きょろきょろと周りを見渡していた。

「自己紹介がまだでしたね。俺は荻原侑希といいます。貴方は?」

「……萩野、るな。」

彼女は慎重にこちらの様子を伺っている。でも、警戒はしていないようだ。

「萩野さん、質問なんですが。」

「はい……あと、るなでいいですよ。」

思ったよりも距離が近い。大丈夫だろうか。

「そうですか。では、るなさん。何故こんな時間に外に?パッと見高校生程の年齢に見えるのですが……。」

「……やっぱり、怪しいですか?」

「はい、とても。……でも理由があるのでしょう?よかったら聞かせてくれませんか。」

そう言うと、るなさんは少し躊躇いがちに話始める。

「キッパリと結論を話すなら『探しもの』を見つけたいんです。そのために家を出てきました。」

「『探しもの』とは……」

目を伏せる彼女の様子をみるにきっと唯の『物』ではないのだろう、だとしたら

「人、ですか?」

彼女が顔を上げる。その顔に縁取られた形容しがたい目が俺を射貫いていた。焦り、不安というにはあまりに明るくて、希望かと問われればあまりに暗い、そんな目。

「なんで……いや、はい。そうです。人を探していて、『探し者』は私のおかあさ……母なんです。」

「詳しく伺っても?」

彼女の目には光が宿っていく。目の前の人間をすっかり信用したのか、はたまたずっと溜め込んだ想いを誰かに聞いてほしかったのか彼女は全てを俺に話した。生い立ち、震災で行方不明となった父のこと、それを探しにいった母のこと、今度は母を探しに自分が家を飛び出したこと、母が残した写真、母との思い出だけが頼りだったことまで。全部。

「……小さい頃、お母さんと行ったこの花畑の景色をずっと覚えてる。お母さんとの思い出を辿ればきっと手がかりになると思うから、だからっ……!」

気付けば彼女の言葉から敬語が崩れ落ちていた。元々使いなれていなかったのだろう。ぎこちなかった。彼女の飾りのない小さな叫びを断片的に聞きながら俺は彼女に出会って再三思ったことをまた頭に浮かべる。

―逃げ道が見つかった。

何度も繰り返し探した者が今、目の前にいる。彼女の叫びを塗りつぶすように、落ち着いた声で彼女に言う。

「るなさん。これは提案なのですが、その『探し者』を協力させてくれませんか?」

俺は彼女に手を差し伸べた。

「……え。どうして、そんな荻原さんにはなんの関係も…………。」

「恩人がこうして困っているんです。俺に出来ることなら協力します。」

思ってもない言葉に本心を込める。

「恩返しをさせて下さい。」(別に貴方の為ではありません。)

彼女はずっと俺の目を見つめていた。

「俺に出来ることは少ないかも知れませんが。」(貴方では足りないことが多くあるでしょう?)

奥を貫くような目。

「俺は貴方の役に立ちたい。」(貴方を利用させて下さい。)

けど、表面しか受け取れない単純さが可笑しいくらいに分かる。

「貴方は俺の恩人です。」(俺の逃げ道。)

「だから、」

彼女はもうすっかり俺を信用してくれている。

「一緒に連れていってくれませんか?」

その言葉を聞いた彼女の唇は俺の望む通りの形を作っていった。


それが十ヶ月前のこと。化けの皮が剥がれるのは早いもので、今はるなさんとは水溜まりに張る氷のような信頼関係で成り立っているため、るなさんに対してそんなに取り繕わずともよくなってきた。

るなさんの方は本来の活発で、悪く言えば馴れ馴れしい性格が出てきているのか敬語というものは何処かに置いてきたようだった。

「別に荻原くんも敬語とか無くていいよ。私、年下だし。」

「俺はこっちの方が性に合っているので。気にしなくていいです。」

何回か繰り返されたやり取り。互いに気遣っている訳ではない。ふと思ったことを思ったまま口に出す、それだけだ。

この奇妙な関係が始まって十ヶ月、依然として『探し者』の手がかりは見つかっていない。

「るなさん。今日はどちらまで?」

もうお馴染みになった台詞を吐く。彼女は笑って答えた。

「遊園地!」



第二章:あの日の頂上から見る景色

「荻原くん!チュロスあるよ!チュロス!!」

「はいはい。どれが良いんですか?」

初めてお母さん以外の人と来た遊園地。二回目のこの場所は記憶の中よりもずっと綺麗になってしまったけど、どこか懐かしい感じがした。ゲートを通ってすぐの屋台にでかでかと宣伝されているそれに思わず声をあげると呆れたようなトーンで何がいいかと問われる。

(別に欲しいとは言ってないよね?)

でも、せっかく買ってくれるのなら素直に甘えよう。

「チョコかかってるやつ!」

「じゃあ並びましょうか。」

自然と歩幅を私に合わせて歩く荻原くんの姿にもしも兄がいたらこんな感じだろうかと錯覚する。

でも、兄妹なんかよりもずっと薄くて軽いこの信頼関係は案外心地が良い。友人ほど気を遣わなくても良いし、家族ほど自分をさらけ出さなくても良い。沈黙も前ほど怖くなくなった。

二人でベンチに座り、買って貰ったチュロスを一口頬張る。うん、美味しい。甘いものはいくらあっても良い。

「甘い!美味しい!」

「ご満足していただけたのなら良かったです。俺は甘いもの苦手ですけど。」

「えぇ……勿体ない。私からしたら荻原くんがいつも飲んでる珈琲とかの方が理解できないよ。」

「まあ味の好みは千差万別、十人十色と言うことです。」

ふーん、と空返事をして考える。少し前にストレスを溜めている人はストレスを軽減するために無意識下に苦味のあるものを求める場合があると聞いたことがあった。本当かどうかは定かじゃないけどそれを聞いて少しだけ、ほんの少しだけ荻原くんの珈琲を飲む手がいつか止まってくれたら良いなと思ってしまう。

「るなさん。食べ終わりました?」

「え?ああ、うん。終わったよ。」

「そうですか。で、質問なんですけど……どのアトラクションに乗るんです?」

「おや?結構乗り気だねぇ荻原くん。もしかして楽しみにしてた?」

身を寄せていつの間にか持ってきたのであろうパンフレットを私に見せる荻原くんに向かってからかい半分で聞いてみる。したらすぐに「違います」と否定が飛んできた。

「今日ここに来たのは貴方の母親を探すための記憶の追体験をする為でしょう?それなら過去に貴方が乗ったアトラクションをなぞらえるといいのではと思ったので聞いたまでです。……もしかして前回アトラクション乗らずに帰ったんですか?」

「いいや!?流石に乗ったよ!?……そっか、記憶の追体験ね。確かにもう一回体験したら思い出すこともあるかも知れないし良いね。うん…………よし!荻原くん!!」

「はい、何ですか?」

勢い良く立ち上がり、荻原くんに声をかけ彼に向かって手を伸ばす。

「……絶叫系の準備はいい?」

「俺は大丈夫なのでるなさん一人で是非どうぞ。」

「おーっし!一緒に行こうか!!!」

「耳聞こえてます?」

なんか文句が聞こえてる気がしたけれどそのまま受け流した。

「乗ろう!乗ろう!」

「無理無理無理無理。」

荻原くんの手首をがっしり掴み引っ張っていく。本人の必死の抵抗は虚しくもアトラクションに乗ることとなった。

……知り合って十ヶ月が経つが成人男性が女子高生に筋力で負けているのは不安になってくる。大丈夫かな?

「荻原くん……。もっと鍛えた方がいいと思う。」

「はぁ?急に何ですか?」

「いや……ただ思っただけだから気にしないでいい。」

哀れみで思わず言ってしまったのだが怪訝な顔で返された。もうそれどころではないみたいだ。

「……ここからの逃げ道は、」

「ないよ?」

もちろん強制参加だ。しっかりと付き合って貰う。その意思が伝わったのか荻原くんから呻き声のようなものが聞こえてきた。しばらく項垂れていたが遂に顔を前に上げ覚悟が決まったように、

「……もう良いです。腹括ります。」

と言ってのけた。

「おー。かっこいー。」

「囃し立ててる場合じゃないんです。乗るんでしょう?アトラクション。早くならびましょう。」

「はーい。」

顔色は死んだままの荻原くんを連れて様々なアトラクションに乗っていく。ジェットコースター、フリーフォールにバイキング等々楽しみがいっぱいだ。次のアトラクションへと急ぐ途中、荻原くんから、

「俺がもし吐いてしまったら早急に他人の振りしてください。惨めになるので。」

と言われた。その顔があまりに悲痛だったのでかける言葉が見つからなかったが、結果的に荻原くんは吐かずに私は隣から聞こえる良き悲鳴を楽しめた。


そして今私達はほぼ死人状態の荻原くんを戻すために先ほどのベンチで絶賛休憩中である。

「……荻原くーん?大丈夫?死んでる?」

「……これが大丈夫だと思うのなら一体どの状態のことを大丈夫じゃないというのでしょうか?」

「大丈夫そうだね。」

「耳と目ついてます?」

「ついてるよ。結構良いほうなんだ。」

「そうですか……。」

軽口が叩けるなら心配は要らなそうだ、と荻原くんの隣に座る。

「飲み物買ってきたよ。お茶だけど、いる?」

「あー、要ります。」

「はい。どうぞ。」

「ありがとうございます。」


一応買って来たペットボトルのお茶を手渡すとお互いに無言になった。荻原くんと一緒に過ごしているとたまにこういうときが訪れる。別にこれといって苦ではない。そういうものなんだと思う。私はただ黙って目の前を通り過ぎていく人々を眺めていた。今日が平日だからか知らないが比較的人は少ないように思う。カップルや友達同士で来たのだろう人たちの中の一組だけに私は目を惹かれた。家族連れだった。父親であろう男性と手を繋ぎもう片方の手を母親らしき女性に引いてもらっている女の子。

「…………良いなぁ。」

無意識だった。自分の口から出たと気づいたのは少し目を見開いて私を見る荻原くんとその視線が交わったときだ。自分で自分の発言に驚いて声も出せない私を気遣ってか否か荻原くんが返す。

「……俺にはよく分かりませんけどね。ああした幸せは。…………こんなこと貴方に言うのはきっと違うのでしょうけど。」

そう言ってあの家族連れに目を向ける荻原くん。ああ、まただ。またあの目をしてる。空っぽで、目の前のものは何も見えていないのに確実に『なにか』を眺めている。現実に焦点が合っていないような。そんな目。私はその目に気づかない振りをして荻原くんに言う。

「……荻原くんはさ、お父さんとかお母さんとかの……家族のことどう思ってる?なんかないの?家族についての話。」

彼の目が私を見た。

「急に何ですか?俺の話を聞いたってどうにもならないのに……。」

「気になったの!それにいつも私ばっかりでしょ?……たまには君の話も聞きたい。」

荻原くんは少し目を臥せしばらく思案してから口を開いた。

「……本当に貴方に話すようなことじゃないですよ。良いんですか?」

「うん。私から話してって言ったんだ。後から無しはしないと誓う。」

だから、話して?

そう催促すると、少し困ったように諦めも混じった微笑みをたたえて荻原くんは話し始める。

「俺、自分の両親が心の底から嫌いなんです。……まあ育てて貰ったのに何様だって思うかも知れませんが……でも、どうしてもあの人たちの声を、顔を思い出すと吐き気がする。毎日毎日ヒステリック起こして泣くわ騒ぐわ叩くわしてくる癖に「ごめんなさい、ごめんなさい」って繰り返し謝ってくる母親面の女に、普段まともに帰って来ない癖して久しぶりに顔を出したと思ったら「部屋が汚い」だの「飯がない」だの文句言ってきてつい耐えきれなくて「自分の世話ぐらい自分でやれ」と言ったら「生意気な口を聞くな」と逆上して殴ってくる父親面の男。……ははっ、あんな奴らと暮らしてきてよくここまで生きてこれたなと今でも思います。本当、いつネジが外れてもおかしくなかった。……話は変わるんですけど。俺、弟がいたんです。結太っていう名前で、年は俺の四つ下だったかな。家にいたときはずっと一緒にいました。結太はあの二人から生まれたとは思えないほど純粋で、素直で優しい子でした。あの時、自分にはあの二人と同じ血が流れていると思ってた俺が俺自身を嫌いになりかけても結太と同じ血が流れていると思ったら自分が存在して良いように思えたんです。はい、間違いなく俺の救いでした。……俺が18歳の時ですかね。高校を卒業してすぐに逃げるように家を出て上京しました。少しでも早くあの両親から離れたかったから。あの人たちがいない暮らしは正直言って安心でした。もうあんな奴らの顔色を伺って眠らなくても良いと思えると目を開けて知覚する朝が清々しかった。だけど、唯一の心残りがあの家に置いていってしまった結太でした。あの子が少しでも楽になるように、あの子の為に毎月働いた分のいくつかを実家に送っていました。そんな生活を続けて三年くらい経った日ですかね。たまたま地元の友人に会ったんです。もう疎遠になっていたけど昔よく結太も混ざって一緒に遊んでた奴で、数少ない俺達の親のことを知っている奴だったのでお世話になってました。でもそいつ、俺の顔を見るなり凄い形相で近付いてきておもいっきり殴ったんです。俺の顔を。それはもう勢いよく。訳が分からなかった。理解もできませんでした。当たり前ですよね。急に殴られたんですもん。でも、頭が真っ白の筈なのにそいつの何の順序の組み立てもしていない、思うがままに捲し立てられた言葉が嫌というほど頭にするすると入ってきました。

「お前、何で結太の葬式に出なかったんだ。」

「あの子自殺したんだ。死んだんだよ。遺書だってある。」

「お前は大事な弟の死に立ち会えもしなかったのに、見送ることすらしないのか。」

「お前さ、あいつの兄貴じゃないのかよ。」

「呆れた。お前も、お前の親となんら変わりないじゃないか。」

「…………なあ、何も言わないのかよ。」

何も言葉が出ませんでした。知らなかった。知らされていなかったんです。俺はそいつの言葉を理解するより前にそいつの胸ぐらを掴んでいました。

「何?図星突かれて逆ギレしてんの?やっぱりお前もあいつ等の子供だな。」

違う。違うと言いたかった。でも喉はただ空気を震わせるだけでどうやったって音や言葉は紡げなかった。間違っていなかったんです。そいつの言っていること何もかも間違っていない。俺は最初からこうなるって分かっていた筈なんです。あの家に残されたあの子が生きていける訳がなかった。俺が見殺しにしたんです。『自分だけ地獄から抜け出して弟のことは知らん振り』なんて、俺もあの人たちと同類の屑そのものだ。だから俺は両親をこの世のどんなものよりも憎んでいますし、軽蔑しています。…………少し話し過ぎましたね。ほら、これで終わりです。貴方に話すような内容ではなかったでしょう?」

そう弱々しく締め括った彼の話は確かに『親という存在』に焦がれている私に受け止めきれるような話ではなかった。けれど、話しているときの彼の自嘲にまみれた卑屈な笑みを浮かべた顔を見て私はどうしてもこれだけは伝えなければと彼に向き直る。

「ねえ、荻原くん。」

「どうしました?るなさん。」

「……君は優しい人だ。」

そう言うと同時に彼の目が見開かれその視線が私を射貫いた。私はそのまま言葉を続ける。

「君が自分をどう思おうと、どれだけ卑下しようとしても私から見た君は『家から出てきてまだ右も左もわからない私』に手を差し伸べてくれた優しい人だよ。たとえ、なにかの目的があって私を利用するだけだったとしても私は君を優しい人だと言い続ける。ただこれだけは君にわかって欲しかったんだ。」

「…………。」

「荻原くん。私はさ、優しくて臆病だけど勇気のある君のこと思っているより結構好きなんだ。」

だから過去に囚われないでいいんだと私は思うね。

私の言葉に彼は小さく息を吸い、柔らかに熱をもって笑った。

「……は、あははっ……あぁ、本当に貴方はどうしようもないほどに、俺の逃げ道だ。」

憑き物が落ちたように口角を上げる彼を見て安心する。元気が出たようでよかった。

まだ私は彼が言う『逃げ道』の意味を知らないけれど。それが彼の未来を明るく照らす月になれば良いと思う。

「そう。…………さあ!それじゃ切り替えて。荻原くん!次のアトラクションで最後だよ!」

「まだ乗るんですか……?」

「うん。あと一つだけ!」

私の記憶が正しければ確かに昔お母さんと乗ったことがあるのだ。

まだ乗り気ではない荻原くんの手を引いて私は目当ての場所へと向かった。


「……観覧車ですか。なんともまあ、ベタな。」

「遊園地の最後には鉄板だね。」

はぁ、と荻原くんはため息をつく。

「今までのアトラクションの思い出を振り返るという点では締め括りとしては良いですもんね。俺には吐きそうな最悪な思い出しか甦りませんが。」

「ああ、ごめんね?前に乗ったのがそれだけだからさ。私、絶叫系は昔から大丈夫な人間だったからきっとお母さん楽しくなっちゃって連れ回されたんだと思う。」

お母さんは何事にも動じずに楽しめる人だったから楽しみを娘に共有したかったのかもしれない。

外の景色に目を向けながら向かいに座る彼に話す。

「荻原くん。」

返事は聞こえない。それでも良い。全部私の自分勝手だから。

「……君からあんな話を聞いた後にするような話ではないと思ったけどさ。他に言いようがないから話すね。」

私の目線の先にはさっきまで私達がいた地上があった。

段々と離れていく景色を見て前にここに来たときのことを思い出す。

「昔お母さんがね、観覧車から外を見てさ私に言ったんだ。「下に居るとあんなに大きくて特別に見えるものが、ここから見るととても小さくてちっぽけで、凄く遠くに見えるよね。けどそう思うのが寂しくもなる。……きっと近くにあるものほど大切なのね。そしてそれに気付き難くもある。」って。私それが最初よく分からなかった。でもお母さんが居ない今は少しだけ分かった気がする。」

私達の乗っているゴンドラが一番上を通り過ぎたような感覚がした。段々と今度は地面が近づいてくる。その間誰も言葉を発さなかった。

観覧車を降り、地上を見る。ここから見えるものはやっぱり大きくて特別だった。


車までの帰り道。踏み切りの音がやけに耳につく。

「あーあ!今日も手がかりは無しだ!」

何回も繰り返した言葉。

別に残念ではない。そういうものだと思っているから今さら見つからなくたってどうにも思わない。

「るなさん。」

荻原くんが私を呼ぶ。振り返るといつもと変わらない優しい人がそこにいた。

「次は、何処へ?」

何度か重ねた台詞。それには新鮮味もなく沸き立つ感情もないが確かに使い古した安心感があった。

ゆっくりと息を吸い、私は応えるようにそれを告げる。

「海に行こう!」



第三章:揺れる波、動かぬ心

カンカンと響く音が二人の間に木霊している。荻原くんはゆっくりと口を開いた。

「海……今十月ですが……。」

そう、今は十月。段々と肌寒くなってくる時期だ。

「別に十月に海行っちゃいけないなんてないでしょ?それに泳がないし。」

「それもそうですが……変わってますね。」

少し顔にしわをよせながら荻原くんはそう言った。

「失礼だなー。良いじゃん海行っても。それに、この時期の海は良いよ?静かで冷たくて、感傷に浸れる。何も考えずに波の音だけ聞いていればいい。」

悩んでることとか全部馬鹿らしく思えてきて頭がすっきりする。

「ね?良いでしょ?」

私の思いが伝わったのか荻原くんはため息を吐く。

「何処の海ですか?」

こうやった表面上では嫌がりながらも結局はしてくれるお人好しな彼の性質は嫌いじゃない。むしろかなり好きだと思う。

「よく聞いてくれた!場所はね―。」

つい声を弾ませ彼に話す。

うるさく鳴る踏み切りの音はもう気にならなかった。


清々しいほどに一面に広がる曇り空。冷たい風と一緒に肌を撫でる潮の匂い。そして絶え間なく続く空の色を反射したのではと思うほど灰色の海。

「うん!寒いね!」

「そりゃ、秋ですから。晴れていなくて残念ですか?」

分かりきっていたことだが、思わず口から感想が溢れ出た。それに対して荻原くんは淡々と私に言葉を返す。

「いいや?むしろ私は夏のギラギラした景色より秋とか冬の静かな雰囲気の方が好き。だからこの曇りの海も好き!」

「そうですか。……確かに綺麗とは言いがたいですが惹かれますね。俺も好きです。この限りなく色がない美しさがある景色。」

「でしょ!」

荻原くんが同意してくれたのが嬉しい。だから思わず荻原くんのほうに振り向いたのだがその時にふと疑問を持った。

「……珍しいね?荻原くん。」

「どうかしました?」

当の本人は分からないとでも言うように首をかしげる。

「いや、荻原くんが自分の思ったことを素直にその場で口にする事ってあんまり無かったからさ。珍しいなって。」

いつもは私が話すことに「そう。」とかの質素な返事をするだけの荻原くんが自分の思ったことを何の飾り気もなく言ったのだ。少し驚いてしまった。

「変ですか?」

「いいや。嬉しいよ。」

君の目が映す景色に君の心のピントが合ってきてくれて。

不思議そうに聞いてくる荻原くんに心からの思いを返す。荻原くんはそれを聞くと今まで見たことの無いくらいの邪気の無い幼い顔で声を上げて笑っていた。

私を見るその目は今までよりずっと目の前の景色を正しく捉えているように感じる。

「よく分からないけど荻原くんの悩みが吹っ切れたのならよかった。」

彼の様子にまた私は本心を溢した。


「海、入ろうかな。」

「泳がないって言ってませんでした?」

よく響く波の音を聴きながらふと思いつく。心の中でとどめたつもりが口にでていたようだった。

「もちろん泳ぎはしないよ。寒いし、着替えも無いし。違くてさ、靴脱いで浅瀬の所だけ歩こっかな~みたいな。なにも考えずにただ足元にある冷たさを感じるってさ、この時期の人がいない時だけの特権じゃない?」

「ああ、そういう……いいんじゃないですか?俺は貴方のことを尊重します。」

許可が出たところで少しの本心と冗談を混ぜて私は続ける。

「うん。それでさ、荻原くんも一緒に歩こう?海。」

荻原くんは驚いたような素振りを見せる。

「なぜ……いや、良いですね。俺もそうします。」

受け入れられた。ダメ元だったのに。今日の荻原くんはやっぱり珍しい。けれど、それ以上にいつもはただ見ているだけの荻原くんが私の誘いに乗ってくれたのが喜ばしかった。

靴を脱いで、バッグなどの貴重品をまとめる。荻原くんは邪魔だったのだろうか、スーツのジャケットを脱いでズボンの裾を捲っていた。

私はそれを横目になにを思うでもなく海に歩を進めた。

足元の水が波打ってさらに冷たさを感じさせる。ふと、隣にいた荻原くんと目があった。

「……冷たいね。」

「はい。これ、何か意味があります?」

「いいや、全く!でも良いでしょ?こういうの。」

「……はい。本当に!」

二人して意味もなく笑い合う。なにか面白いことがあるわけでもない。何もない。ないけど、今までにないほど心が軽かった。


しばらくして寒くなった私は浜辺から未だに海に入っている荻原くんを眺めている。彼とはどうでもいい話をしていた。

「お母さんがさ、結構海外旅行とかするの好きだったんだって。だから小さい頃はよく印象に残った外国の話とか聞かせて貰ったな。……荻原くんは行ったことある?海外。」

荻原くんは僅かに思案し、答える。

「何年か前にですが韓国には行ったことがあります。仕事の都合ですが。それ以外はないです。行きたい場所はありますけど。」

「へえ、何処?ちなみに私はね海が綺麗なところか自然豊かなところのどっちかに行ってみたい。」

どんなものにも替えられない美しさを死ぬ前にこの目に焼き付けたいから。

「るなさんらしいですね。俺はイタリアのナポリに行ってみたいです。」

「それは何で?」

「ああ、聞いたことありません?有名な言葉ですが。」

?何のことだろう。

「……!ああ。」

‘’あれ’’か!

「「ナポリを見てから死ね!」」

二人の声が揃う。それが何だか可笑しくてお互いに笑いだした。下らないことでこんなにも笑えるのがとても愛おしかった。

いつの間にか空を覆っていた雲が少なくなっていて、夕焼けが海を照らしている。朱色に染まる景色がさっきまでの灰色をより恋しくさせていた。荻原くんはもう海から出てきていて荷物を回収している。

「るなさん。帰りましょうか。」

「うん。分かった。」

寂しさを忘れるように私は視界の端にいる夕日を見ないようにして荻原くんに返事をして私はここをあとにした。

また、いつかきっと二人でここに来れたらいいなと心の中で思いながら。


「……ねえ、荻原くん。」

「……侑希でいいですよ。」

「え?」

車に帰る途中、いつも通り荻原くんに話しかけようとした。すると思いもよらない言葉が返ってくる。……ゆうき、ユウキ、侑希……荻原くんの下の名前だ。

「いいの?呼んで。」

「いいんです。るなさん。貴方になら大丈夫です。」

「本当に?」

「ええ、本当に。」

今までは何となく荻原くんとの距離を感じて呼べなかった。それを今、なにを言おう本人からそれを呼ぶ許可を貰ったのだ。私は拾ってきた猫がようやく触らせてくれたような気持ちになりながらしっかりと彼を呼ぶ。

「……ねえ、侑希くん」

「はい。何ですか?」

返事をする彼は心なしか柔らかい顔をしていた。

「楽しかったね!海!」

「ええ。本当に、楽しくて、下らなかった!」

「うん!」

本当に下らない。下らないからこそ今日がとてつもなく大切になった。

ああ本当に、今日もなにもなかったな。

「るなさん。」

「なあに?侑希くん」

「これは別に何の他意もないんですけど。一つだけいいですか?」

「うん。どうしたの?」

侑希くんは深く息を吸って吐くとまっすぐに私の目を見て言った。

「貴方に出会えて良かったと、心の底から思っています。ありがとう。俺を連れてきてくれて。」

いやでも本心と伝わる侑希くんの飾り気の無い言葉。それが私の胸を射た。幸福感で息が詰まりそうだった。でも、無理にでも彼に言葉を返す。

「こちらこそ!ありがとね!侑希くんのお陰で私は迷わないでいられた。だから、」

これからもよろしくね。

「…………ええ、よろしくお願いします。」

そういって微笑む彼の顔を見てから私は彼の数歩先を急いだ。


「……本当に貴方で良かった。」

もう、この名前で呼ばれる機会は貴方以外にないでしょうから。


彼の呟きは風に乗って私には届かなかった。


いつも通りの車の中。見慣れた空間に今日も私達二人はいる。

「るなさん。次は何処へ?」

聞きなれた言葉。でも今日はなにか違う。でも悪い意味じゃない。きっと良い意味で。

私は気分よくその声に応えた。

「侑希くん。次は結構遠いよ?」

「俺は終わるまで貴方について行きますよ。」

「そう?ならいいね。……ねえ、侑希くん。」

「はい。るなさん。」

きっとこの水溜まりに張る氷のような関係性はこの先も続いてくれるんだろう。だからこそ、

「綺麗なお花を見に行こうか!」

今この瞬間の一時をとても大切にしていたい。

「……分かりました。」



第四章:最期に見た景色

風と共に流れていく花びらが時々頬を掠める丘を、ただ二人だけで歩く。

「ほら!見てよ!侑希くん。」

いつかの時お母さんと来た花畑。様々な花が咲き乱れている。相変わらず記憶の中の景色と違わず綺麗だ。

「確かに。綺麗ですね。」

「うん!入り口近くの方は夏の花が多くてお客さんが夏にくるけど、丘のほうに近いここは秋の花が多いからこの時期はお客さんも少なくて咲き誇ってるんだよね。もうすぐ全部散っちゃうだろうけど。」

「本当だ。コスモスに桔梗、リンドウまで。色んな花がありますね。……時間がかかりましたがここまで来て良かったです。今しか見れない光景だ。」

「でしょ?」

場所を告げたときは「遠くないですか?」と嫌そうな顔をされたがどうやら気に入ってくれたようで良かった。意外にも侑希くんの顔は綻んでいる。

「るなさん。」

ふと、数歩後ろから声をかけられた。

「どうしたの?」

「見てください。」

侑希くんの視線の先にあるのは細い枝に小さな赤紫色が転々とついている花だった。侑希くんに近づき話しかける。

「これなんの花?」

「萩です。……るなさん、貴方の花ですよ。」

「私の花?」

「はい。」

萩野るな、貴方の名前でしょう?

そう言って私に笑いかける侑希くんの顔がなんだか眩しくて、私は照れ臭くなって視線を外してしまった。

萩の花。私の名前の……私の花。

この小さな赤紫を見て侑希くんが私を思いついてくれたのがとてつもなく嬉しい。彼から目線を逸らした私の顔はきっと口許が緩んでいる情けない顔なんだろう。でも、この気持ちを引っ込めることができるほど私の中で侑希くんは遠くなくなってしまった。

「そっかぁ……私の花かぁ。……侑希くん。」

「はい。どうしましたか?」

「ありがとう。見つけてくれて。」

「……どういたしまして。」

花だけじゃない。私自身を見つけてくれて、ここまで着いてきてくれたのが本当に私にとっての限りない救いなんだ。私は今までの感謝を君に告げる。これからも一緒に居てくれることを心の底で祈りながら。

返事をする侑希くんは少し困った子を見る親のような慈愛に満ちた目をしていた。


ぽつぽつと会話をしながら進んでいく。何も考えない、辛いことは何も。こんな端から見たらロクデナシみたいな意味のない時間が大好きで、これからもずっと続いて欲しかった。こんな会話が記憶の中心にある人生でありたい。いつまでも忘れないままでいたい。そう、思わずにはいられなかった。

「……そのときね、お母さんが急に走り出したと思ったら近くに蛇がいて!本当にびっくりしたなぁ。幼心ながら初めて自分の母親を恨んだよ。人前で大声で泣いちゃった。まったく……薄情だよね。」

「っふ、あははっ!愉快なお母さんですね。……きっと貴方のお母さんが明るい人だったから貴方も底抜けに明るいんでしょうね。」

「えっ、そうかな?」

「はい。救われていますよ。貴方に。」

今日の侑希くんは隙あらば私のことを褒めようとしてくる。嬉しくはあるけど、恥ずかしい。どうにか意識を逸らしたくて目についた花を指差した。

「ねえ、侑希くん。この花って……。」

「……ああ、シオンですか?」

薄紫のその花は少し儚さを感じさせていて、すぐに目がいってしまった。名前はシオンというのか。

「へぇ、綺麗だね。」

「そうですね。確か、花言葉は……『貴方を忘れない』です。」

忘れない、忘れないかぁ。

「……意味まで綺麗なんだ。けどなんだか、悲しいね。」

「追憶の花ですから。」

「追憶?」

「過ぎた過去を思い返す花です。今昔物語では死者の墓の近くに植えられていました。」

「そうなんだ。よく知ってるね。」

「昔、本で読んだんです。小さい頃はあまり外へ気軽に出掛けられるような格好はできなかったものですから。そうした点では本は親友とも呼べますね。」

「そっか。」

追憶の花。死者の墓の近くに植えられた花。『貴方を忘れない』……。

もし、侑希くんと行動を共にするなかで私が死んでしまったのなら、侑希くんは私をずっと覚えていて忘れないでいてくれるのかな。そうだとしたら私の記憶は彼の中心にいないでほしい。ずっと端にいて、ときどき思い出す程度の記憶であってほしい。私の記憶が侑希くんの呪縛になってほしくない。そう思うのは私の傲慢なのかもしれないけれど。

黙り込んでそう考える私の意識を向けさせるように侑希くんは諭すような、どこか覚悟か決まったような声で私を呼ぶ。

「……るなさん。本当にここは綺麗ですね。」

「うん。侑希くんにも気に入ってもらえて良かった。」

「本当に息を飲むほど綺麗で……多くの人が最期に見る景色にここを選ぶのが痛いほど分かる。」

「……え?」

今、彼は何と言ったのだろう?最期?

疑問が体を支配するままに彼を見る。彼はただ穏やかに笑っていた。その舌に乗せられた言葉が不釣り合いだと感じさせるほど。静かにゆっくりと。その顔は、続けられる言葉は、私の時を止めるには充分過ぎるくらいに冷ややかで暖かかった。

「侑希くん。い、今なんて……」

「るなさん。」

聞き返そうとして彼に遮られる。私は彼を見ていることしかできなかった。

「今まで一緒に行った場所を覚えてますか?遊園地に海に……色んな所へ二人で行きましたね。……この十ヶ月間、貴方と行動していて疑問に思ったことがあるんです。」


『どうして自殺スポットばかりなんだろう』って。


侑希くんの声が遠くなった気がした。でも彼の唇の動きはやけにはっきりとして見えて。嫌というほど内容が私の頭に入ってきた。

「今まで一緒に行った場所は『貴方が一度母親と行った場所』なんです。ただ単に知らなかっただけかも知れませんが、それでもこんなにも偏るのはおかしいと思いませんか?……遊園地だけは違いましたけど。それ以外は全てそうなんです。もちろん、漏れなくここも。」

これがどんな意味か分かりますか?


頭を殴られたような衝撃がした。もしそうなら、きっと……いや絶対にお母さんはあの時からお父さんに会いに逝こうとしていたんだ。でも、できなかった。

「……私が、いたから……?」

一緒じゃ会いに逝けなかった。だから今度は私を置いて家を出ていった。

「うそ、嫌だ……いやだ。なんで、何で……」

何でなにも私に言ってくれなかったの?


「それは貴方が月だからですよ。……貴方が何よりも大切で綺麗だから。綺麗なものは取っておきたいでしょう?」

ね?(るな)さん。


受け入れられない。受け入れたくない。お母さんはもういない。私の憧れが今墜ちていったのがわかってしまった。

でも、でも何よりも……


探し者(目的)がないともう目の前の荻原侑希と一緒に居られない事が嫌だ。


侑希くんが歩きだして、私から遠ざかっていく。ああ、氷が割れる音が聞こえた気がする。私はなけなしの声を絞り出した。

「侑希くん。そっちは崖だし、柵はあるけど……低いし、危ないよ?だから……。」

「るなさん。」

また言葉を遮られる。侑希くんの声色は優しくて柔らかいのになぜか有無を言わさぬ圧がこもっていた。

私が何も言わずただ柵に身を預ける侑希くんを見つめているのが分かると彼は話し出した。


「昔話の続きをしましょうか。」

……聞いてくれますか?


「前に貴方に弟の話をしたでしょう?俺、弟が死んだと聞いたその日にあの人たちの所に行ったんです。問いただしたかった。なぜ、結太が死んだ事を知らせなかったのか。……いや、問いただすというよりも『八つ当たり』に近かったですね。

父親の胸ぐらを掴んで、もう人生でこれ以上ないほどに叫びました。「何で」「どうして」って。

元々汚かった部屋が更に荒れて、もう何もかも床に散らばっていた頃ですかね。今まで黙って見ていた母親が言ったんですよ。「アンタなんかには関係ない」って。「元々血なんて繋がってないアンタには知る権利なんかあるわけないでしょ」って。

ああ、今思い出しても最悪だった。俺、養子だったんです。他人の子。他人に親として育てられて、そして血の繋がらない人間をずっと弟だと思ってきた。

……これがもし逆だったら。俺があの人たちの子で結太が養子だったら違ったんです。汚いのは俺だけで、あの子は綺麗なまま、あの人たちの血なんか一切流れていなかったのならどれだけ良かったことか。

本当に救えない。結太が、俺のただひとつだけの綺麗な光があの日見えなくなってしまった。生きている意味が分からなくなってしまったんです。

……だからあの日からずっと俺は死にたかった。逃げ道を探してたんだ。

そして、十ヶ月前やっと探し求めていた逃げ道を見つけたんです。……貴方ですよ。るなさん。」

情報量が多い。侑希くんが何を言っているのか分からなかった。分かりたくもなかった。でも、目の前の大切な者が今なくなってしまうような嫌な予感がして必死に引き留めようと叫ぶ。

「ねえ!待って、いやだ......!居なくならないで。ずっと一緒に居てよ。……ねえ!」

侑希くんはただ静かに眉を下げて微笑む。

「るなさん。本当に貴方はどこまでも俺の『逃げ道』なんですね。……貴方と過ごしていると死ぬことからも逃げ出してしまいたくなる。」

言葉が詰まる。でも止めたら駄目だという心が私に言葉を吐き出させる。

「いいんだよ。逃げても。一緒に逃げよう?死ぬことからも、辛いことからも全部投げ出して。ねえ、侑希くん。私と一緒に生きてよ……!」

「……っあぁ、駄目だなぁ。揺らぎそうになる。るなさん。きっと貴方のその言葉は果てしないほどの光で、救いなんでしょうね。でも……その言葉は本来結太にかけられるべきものだった。もう遅いですし、貴方に言ってもしょうがないのですけど。

……それに、逃げることからも逃げてしまったら本当の意味で俺は駄目になってしまう。」

侑希くんはうっすらと笑いながら言った。

「……一度決めたことを諦めてしまっては男が廃るでしょう?お願いします。最期くらいは貴方にカッコつけさせてください。」

「……ズルいなぁ。そこまで言われたら引き留められないじゃん。」

きっともう、この救われるべき人は救えない。私じゃどうにもできない。でも…………

「ねえ、侑希くん。」

「どうしましたか?るなさん。」

こっちだって悪足掻きさせてもらおう。

流れ出てくる涙を拭って息を整える。そして今までにないくらいに最大限の想いを込めて声を張って言おう。

「っ大好き!どこまでも、ずっと私は君のことが好きだよ。この気持ちは、恋愛感情とも友愛とも違うんだろうけど……私、萩野るなは荻原侑希、君のことが大好きだ!」

「……っ。俺も、どこまでも綺麗で美しい貴方が限りないほどに好きです!また、いつか会えるときが来るのなら!貴方を光として、ただひとつの月として!貴方にまた救われてもいいですかっ!?」

声がでない。いや、正確には声は出ているのだけど言葉を紡ぐことができない。目の前が霞んでいってしまう。

「……あぁ、救いたかったなぁ。」

ようやく紡ぐことができたそれは後悔にまみれていて、更に悔しさを助長させた。それを打ち壊したのは強く確かな彼の言葉だった。

「るなさん!最期にひとつだけ言わせてください!……俺は貴方に間違いなく救われてました!もし、今ここでのことが貴方にとって遠い過去になってしまってもこれだけは覚えていてください!」

侑希くんは息を吸ってまた声を張る。

「記憶の端から貴方へ!俺は何度でも言い続けます!……俺は貴方に救われた!!ありがとう!俺の逃げ道!!!」

そう満足したように笑う侑希くんの影がゆっくりと倒れていく。耳に誰かの叫ぶ声が聞こえてくる。それは自分の喉から振るわされて出た声だった。

「あ゛あ゛あぁぁぁ…………!」

喉が痛い。けど痛くないと頭がどうかしてしまいそうだった。

もう、目の前に彼はいない。



五章:記憶の端から君が

十二月二十日の帰り道、今年も大量の雪が積もるであろう私が生まれ育ったこの町に辟易しながら空から落ちてくる水の結晶の塊を眺める。

今年も冬になった。彼と出会った季節。あの日の東京はここみたいに雪は降っていなかったけど。

私はまたあの場所に行く。彼との記憶を追体験するように。絶対に忘れてしまわないように。肺が凍みるほどの寒さに急かされて私は急いで電車に乗った。


冬だからだろうか、遊園地には人がいなかった。そもそも開園すらしていないけれど。近くの踏み切りの音が大きく自分の中で反響していた。

「やっぱり一人だとここはうるさいな……。」

次に行こう。

周りのものはあの日と変わらず大きく見えたけれど、もう大切さは分からなくなっていた。


海はあの日のままの色に見えたけれど、手で波に触れてみるとやっぱり大分冷たい。指先が冷えすぎて痛いな。

「何で私、こんなことしてるんだろ……。」

下らな……次。

灰色の波に背を向けても夕日は海を染め上げなかった。


あの10ヶ月間で君と一緒に行った場所を思い出に縋るように巡っていく。一人だけだとほとんどが4日間で回り終わってしまった。


最後にあの日の丘に来た。ここには秋の花も夏の花もあるけど、冬に咲く花はない。でもこの日にきた。君と出会ったこの日。十二月二十五日のクリスマス。どうしたって秋には来れなかった。

「だって追悼ってさ、生きている人の心の整理をして親しい人の死を受け入れる為にするって聞いたんだ。」

秋に来ていたらきっと私は泣いてしまう。君の選択を肯定することが出来なくなってしまうだろうから。だから冬に来た。

話しかけるように一方的にぽつぽつと気持ちを吐露する。君が聞いていると信じながら。

「私は君のことを、侑希くんの死を割り切りたくない。受け入れられないよ。本当は、諦めたくなかった。生きていて欲しかった。どうしようもないけどさ。」

「ねえ、侑希くん。私ね。シオンの花言葉、あのあと詳しく調べたんだ。それぞれの色にも違う意味があるんだね。びっくりした。」

「あの日見たのは紫のシオンでしょ?紫のシオンの花言葉は……『時が経つのを忘れて』だって。」

「ねえ、五年も経ったんだ。私もう大学生だよ。しかもそろそろ卒業。……卒論書かずになにやってるんだとかはやめてね?私は君のことの方が大切なんだ。」

「話は変わるんだけど、人の記憶ってさ『声』からだんだん忘れていくんだって。……侑希くん。君はどんな声だっけ……?

いやだなぁ……君の記憶がさどんどんと端に追いやられていく。忘れてやらないって、いつまでも私の人生の中心に居させてやるって思ってたのに。」

「君の輪郭がだんだん曖昧になってく。」

「ねえ侑希くん……もっと他の方法があったんじゃ、いやこんなこと言うと君に失礼か。でもそう思うんだ。ごめんね。」

「でもさ私……君のことを忘れていくけどさ、君の言葉はさ笑っちゃうほどよく覚えているんだ。私が不甲斐ないって思う度に……。」

声が震える。でもどうしても伝えたい。

「記憶の端の君が!何回も何回も私に残すんだ!『救われた』って!」

何度も流したはずの涙がまた溢れて来る。お願いだ。まだ流れないで。君に涙を見せないでくれ。

「ここからは私のただの身勝手だけどさぁ!これだけは言わせてよっ!」

息を吸う。寒くて鼻の奥が痛い。でも伝えなきゃなんだ。これ以上言葉が詰まってしまう前に。私が贈らなきゃいけないんだ。


「私も君に救われた!君だけだと思うなよ荻原侑希!君が私を月というなら君は!どうしようもないほどに、私の太陽なんだ!!ありがとう!私の光!!!」


記憶の端の君へ、私からの下らないクリスマスプレゼントを!

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