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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十一章 ブロワのラ・ピュセル/イングランド宛の手紙/オルレアンへ

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11.6 ジャンヌと軍隊の関係、オルレアンへの行軍

 1420年から1425年にかけて、シャルル七世は何度か、神、聖母マリア、聖人たちの名を呪ったり否定したり冒涜することを禁じ、場合によっては罰金と体罰を科した。


 この禁止を盛り込んだ法令の中で、「戦争、疫病、飢饉は冒涜が原因であり、冒涜者は王国の苦しみに部分的に責任がある」と主張されていた。[908]


 それゆえ、ジャンヌは兵士たちの間を歩き回り、軍隊についてくる女性たちを追い払い、神の名をみだりに唱えるのをやめるよう説いた。

 ジャンヌは彼らに、「罪を告白して、魂に神の恵みを受け入れるように」と懇願し、「魂が正しければ神が彼らを助け、勝利を与えてくれる」と主張した。[909]



 ジャンヌは、トゥールであつらえた軍旗(standard)をサン・ソヴール教会に持って行き、司祭に祝福してもらった。[910]


 トゥールで結成されたジャンヌの小隊は、ブロワで聖職者や修道士たちと合流した。彼らは、イングランド軍の接近を受けてブロワ周辺の修道院から一斉に逃げてきた人たちで、寒さと飢えに苦しんでいた。


 このような状況はよくあることだった。

 行き場のない修道士たちは、いつも軍隊に群がった。


 多くの教会とほとんどの修道院が廃墟と化していた。

 町の外に建てられた托鉢修道士たちの施設は、イングランド軍に略奪・放火されるか、町の人々によって取り壊されて、すべて消滅していた。なぜなら、包囲攻撃の脅威にさらされると、(敵の拠点にされることを防ぐために)住民たちはいつも町の郊外をこのように処理したからである。


 居場所を失った修道士たちは、物資を惜しむ都市では歓迎されなかったため、兵士たちとともに戦場に出て軍隊に従わざるを得なかった。

 このような状況で、修道会の戒律は損なわれ、信仰心も何も得られなかった。


 軍隊に所属する傭兵、荷役人、従者たちの中で、この飢えた流浪の修道士たちは、模範的な生活を送っていた。


 ジャンヌに同行した修道士たちは、他の者たちと比べて特に悪くも良くもなかっただろう。彼らは非常に空腹だったので、まず食べることが最優先だった。[911]


 兵士たちは、修道士と修道女が軍隊の中で肩を並べて従軍しているのを見慣れていたので、「聖なる乙女」がいかがわしい集団の中にいるのを見ても、特に驚きはしなかった。


 ジャンヌは奇跡を起こすと言われていたのは事実だった。

 それを信じる者もいれば、中には嘲笑して、大声であざける者もいた。


「見よ、あれがフランス王国を救うためにやって来た勇敢な従軍司祭(chaplain)であり隊長(captain)であるぞ」[912]


 ジャンヌは、修道士たちを集めて、兵士たちに祈りを呼びかけるためのバナー旗(banner)を作らせた。白い旗で、聖母マリアと聖ヨハネの間に十字架に架けられたイエスが描かれていた。[913]


 アランソン公爵は国王のもとに戻り、ブロワにいる部隊に必要なものを知らせた。

 国王はすぐに必要な資金を送り、ついに出発の準備が整った。[914]


 出発に際し、二つのルートが検討された。

 ひとつはロワール川の右岸に沿ってオルレアンに通じる道で、もうひとつは左岸に沿っていくルートだ。


 右岸ルートは、12マイルから14マイルほど進むとラ・ボース平原の端に出る。そこはイングランド軍が占領しており、マルシュノワール、ボージョンシー、ムン、モン・ピポー、サン=シジスモン、ジャンヴィルに守備隊が駐屯していた。


 つまり、右岸ルートは、オルレアンを包囲するイングランド軍を支援するためにやってくる敵の援軍と鉢合わせする危険があった。ニシンの戦いの経験から、そのような遭遇は恐れられていた。


 左岸ルートは、シャルル七世が支配しているラ・ソローニュ地区を通ることになる。また、川から十分に離れていれば、軍隊はボージョンシーとムンに駐屯するイングランド軍の視界から見えなくなる。

 ロワール川を渡らなければならないが、包囲された都市から5マイル東の上流まで行けば、オルレアンとジャルゴーの間で簡単に渡ることができる。


 慎重に検討した結果、ラ・ソローニュを通る左岸ルートに決まった。


 敵の要塞(堡塁)近くで、荷降ろしに時間がかかりすぎることを恐れて、食料は2回に分けて運ぶことにした。[915]


 4月27日水曜日、ジャンヌをつれた輸送隊が出発した。[916]

 先頭にバナー旗を掲げた司祭たちが『聖霊降臨の賛歌(Veni creator Spiritus)』を歌いながら行進を先導した。[917]


 ジャンヌは白い鎧を身につけ、自分の軍旗(standard)を持って彼らとともに馬に乗った。兵士と弓兵が続き、食料と弾薬を積んだ荷馬車600台と家畜400頭を護衛した。[918]


 長槍、荷馬車、家畜の長い列がブロワ橋を渡り、その先の広大な平原へ向かった。

 行軍初日、軍はわだちだらけの荒れた道を20マイル進んだ。

 夕暮れの鐘の音とともに、沈む夕日がロワール川に反射して、川面が暗い葦の列の間にある銅板のように見えるころ、行進は止まり[919]、司祭たちは『大天使ガブリエル(Gabriel angelus)』を歌った。


 その夜は野原で野営した。

 鎧を脱ぐのを嫌がったジャンヌは、四肢に痛みを感じて目を覚ました。[920]

 ジャンヌはミサを聞き、従軍司祭から聖体拝領を受け、兵士たちに常に罪を告白するよう勧めた。[921]


 その後、軍はオルレアンに向けて行軍を再開した。





————————————

(⚠️訳者の覚書)ジャンヌの旗は3種類。

①軍旗(standard):トゥールで作成。粗い生地の白い布、またはバックラム(接着剤で強化された粗い綿織物)でできており、絹のフリンジで縁取られている。

②バナー旗(banner):トゥールで作成。天使の挨拶を受ける聖母マリアと、大小2つの盾型紋章エスカッシャンが描かれている。

③バナー旗(banner):ブロワで作成。聖母マリアと聖ヨハネの間に十字架に架けられたイエスが描かれた白い旗。


①と②の詳細は、上巻・第九章「9.6 ジャンヌの装備(4)軍旗とバナー(https://kakuyomu.jp/works/16817330649585060746/episodes/16817330649595200601)」参照。


(⚠️軍旗について(再掲):原文は「standard/banner」だが、現代語と意味が異なるので注意。伝統的なバナーとは、王侯貴族の紋章のみが描かれた正方形の個人旗のこと。その中でも「国王のバナー」をロイヤルスタンダードと呼ぶ。ただし、本文でも触れられているように、中世末期になると、傭兵やならず者の集団が結束を固めるために自前の軍旗を掲げるようになった。その場合は、バナーは個人旗、スタンダードは軍団旗を意味する。)


(※)『上巻・第十一章 ブロワのラ・ピュセル/イングランド宛の手紙/オルレアンへ』完結。

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