11.5 ジャンヌの兄弟といとこが合流
イザベル・ド・ヴートン(ジャンヌの母の本名。ロメはあだ名)がピュイ巡礼に出かけている間に、末息子のジャンとピエールはフランスへ向かい、姉妹であるジャンヌに頼るか、国王に取り入ってひと財産を築こうと目論んでいた。
(⚠️ジャンヌの兄弟:5人きょうだい(兄弟3人/姉妹2人)だが、それぞれの長幼については諸説ある。現在の定説では、①ジャック、②ジャン③ピエールまたはカトリーヌ、④ジャンヌ、⑤ピエールまたはカトリーヌ)
同様に、ジャンヌの母方のいとこにあたる修道士ニコラ・ド・ヴートン(シュミノン修道院の司祭)も若き聖女に合流した。[900]
ジャンヌが「オルレアンでしるしを示す」約束を果たす前に、次々と親族を引き付けたという事実から、ムーズ川のほとり(ジャンヌの故郷周辺)にジャンヌの使命の保証人がいたと考えられる。また、ロレーヌの貴族や高位聖職者たちも、フランスでのジャンヌの評判を広めることに一役買ったに違いない。
ジャンヌの使命は真実であると保証したのは、ジャンヌに教えを刷り込み、予言を吹聴して彼女を信用させた者たちで間違いない。
おそらく、ニコラ・ド・ヴートン自身もその一人だろう。
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軍隊で、ジャンヌは「聖なる乙女」とみなされていた。
ジャンヌに仕える従者は、次のような構成だった。
・従軍司祭:修道士ジャン・パスケレル[901]
・小姓2人:ルイ・ド・クート、レイモン[902]
・兄弟2人:ジャン、ピエール(ジャンヌの兄弟)
・前衛2人:アンブルヴィル、ギュイエンヌ[903]
・従騎士2人:ジャン・ド・メス、ベルトラン・ド・プーランジ
ジャン・ド・メスは、王室から支給された金銭で満たされた財布を管理していた。[904]
また、ジャンヌは他にも従僕を何人か抱えていた。
国王から執事として与えられた従騎士ジャン・ドーロンが、ブロワで合流した。[905] 彼は王国で最も貧しい従騎士で、金貸しのラ・トレムイユ卿に完全に依存して生計を立てていたが、誇り高く知恵ある人物としてよく知られていた。[906]
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ジャンヌは、フランス軍の敗北の原因について、悪い女を連れて従軍したことと、神の聖なる名をみだりに唱えるせいだと考えていた。
この考えは、ジャンヌ固有のものではなく、学識者や宗教家の間で広く浸透していた。彼らの理屈によれば、ニコポリスの惨事は、十字軍の中に娼婦がいたことと、騎士たちの残忍さと放蕩が原因だといわれていた。[907]
(⚠️ニコポリスの戦い:1396年9月25日、ヨーロッパ諸国の連合軍とオスマン帝国がドナウ河畔のニコポリスで戦った。中世最後の大規模な十字軍遠征だったが、オスマン帝国側の圧勝で終わった)




