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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十一章 ブロワのラ・ピュセル/イングランド宛の手紙/オルレアンへ

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11.4 イングランド宛の手紙(3)文体の特徴と評価

 イングランドでは、聖ドニ(フランスの守護聖人)と聖ジョージ(イングランドの守護聖人)の間に、ヘンリー五世とキャサリン王妃(フランス王女カトリーヌ)の間に、半分イングランド人で半分フランス人の男児(ヘンリー六世)が生まれた。その子はエジプトに行き、大トルコ人のひげをむしり取るだろうと言われていた。[894]


 征服者ヘンリー五世は、死の床で司祭たちが悔悛の詩篇を唱えるのを聞いていた。


 旧約聖書・詩篇51篇「神よ、御心のままに、エルサレムの城壁を築いてください(Benigne fac Domine in bona voluntate tua ut ædificentur muri Jerusalem)」という一節を聞いたとき、彼は死にゆく息でこうつぶやいた。


「私はいつもシリアに行き、異教徒の手から聖なる都を解放したいと考えていた」[895]


 これがヘンリー五世の最期の言葉だった。


 賢者たちは、キリスト教国の君主たちに、三日月(イスラム教のシンボル)に対抗して団結するよう助言した。


 フランスでは、王太子(シャルル七世)の評議会に出席していたアンブラン大司教が、イングランド国民の飽くなき残虐さと、キリストの十字架の敵(異教徒)を喜ばせるキリスト教徒間の戦争を呪った。[896]


 イングランド人とフランス人に、共に十字架を背負って共闘するよう呼びかけることは、91年間におよぶ暴力と犯罪の末に、世俗的な戦争(英仏百年戦争)の終結を宣言することであった。


 それは、フランス王フィリップ・ド・ヴァロワと、イングランド王エドワード・プランタジネットが「異教徒に対抗するために団結する」ことを教皇に約束した時代に回帰するように促すものだった。


 しかし、ジャンヌがイングランドに宛てて「フランス人と団結して聖なる戦いに参加するように」と呼びかけたとき、ゴドン(イングランド人への蔑称)がそのような神聖な呼びかけをどう受け止めたかは想像に難くない。


 そして、オルレアン包囲戦の当時、フランス側もクーエ(イングランド人への悪態)と共に十字架を背負わなかった正当な理由があった。[897]



 学者たちは、この手紙(ジャンヌがイングランドに宛てた手紙)の文体をあまり高く評価しなかった。


 オルレアンの私生児は、「言葉遣いが甚だしく単純」だと思った。

 また、数年後には、ある優秀なフランスの法律家が、この手紙の文体について「粗野で重苦しく、文体の構成が悪い」と評した。[898]


 我々は、博識な人物として知られる彼らよりも、優れた判断を下すことはできない。


 彼らから見て、ジャンヌの口述した文体・表現方法は、法的文書の正式なスタイルと異なるせいで悪文に見えたのかもしれない。


 ブロワから送られたこの手紙は、アラン・シャルティエによって磨かれる以前のフランス語散文の貧弱さを示しているが、当時の優れた作家が使わない用語や表現は含まれていない。


 理路整然と並んだ正確な文章ではないかもしれないが、その文体は生き生きとしている。


 この手紙の書き手が、ムーズ川の岸辺から来た(ジャンヌのこと)ことを示唆するものは何もなく、ロレーヌやシャンパーニュ訛りの痕跡も見当たらない。[899] それは事務的なフランス語である。


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