11.3 イングランド宛の手紙(2)托鉢修道士の思惑
いくつか文言が、聖職者の手で書き加えられていることを示唆している。
のちに、ジャンヌは「体と体を合わせて(body for body、神の身代わりとして)」と口述したことを覚えていなかったが、これはまったく重要ではない。
ジャンヌは「私は戦争の指導者だ(I am chief in war)」と口述してないと主張した。
他にも、自分が口述したのは「王に降伏せよ(Surrender to the King)」であって、「乙女に降伏せよ(Surrender to the Maid)」ではないと断言した。[890]
ジャンヌの記憶は曖昧だったのかもしれない。
ジャンヌに限らず、記憶というものは必ずしも正確ではない。
それにもかかわらず、ジャンヌは自分が言ったことに非常に自信があるようで、「私は戦争の指導者だ」と「乙女に降伏せよ」という言葉は手紙に口述してないと二度繰り返した。
ジャンヌと一緒にいた修道士たちが、これらの表現を使ったのかもしれない。
放浪する托鉢修道士にとって、封建領主たちの土地をめぐる争いはそれほど重要ではない。したがって、シャルル七世の王位継承と財産相続は、彼らにとって最大の関心事ではなかった。
彼らが、フランス王国の幸福・利益を望んでいたことは間違いない。
だが、それ以上にキリスト教世界の幸福・利益を強く望んでいた。
ジャンヌの従軍司祭となった修道士パスケレルや、修道士リシャール(後述する)などの托鉢修道士たちがジャンヌに従うのは、彼女を利用して教会の利益を図ろうとする期待があるからだ。
したがって、彼ら(聖職者、特に托鉢修道士)は手紙の中で、ジャンヌを「戦争の指導者である」と宣言させた。
さらに、「乙女に降伏せよ(略)善良な町々の鍵を明け渡せ」という文言に示されているように、王の世俗的な権力よりもジャンヌの霊的な力(spiritual power)を上位に据えるのは、彼らの思想からすればごく自然なことだろう。
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この手紙は、彼ら(聖職者)がジャンヌに抱いた希望のひとつを示している。
彼らは、ジャンヌがフランスで使命を果たした後、ヨーロッパのキリスト教国すべての軍隊——すなわち十字軍——をジャンヌの後に背負わせて、エルサレム征服に出発することを期待していた。[891]
ちょうどこの頃、シエナの聖ベルナルディーノの弟子で、シリアからやってきたフランシスコ会の修道士リシャールが[892]、パリで説教をしていた。
もうすぐジャンヌに会うことになるが(第十七章で詳述)、彼は「世界の終わりが近づいている」と説き、信者たちに反キリストと戦うよう檄を飛ばしていた。[893]
当時、ニコポリスとセメンドリアで、キリスト教徒の騎士を征服したトルコ人(オスマン帝国)がコンスタンティノープルを脅かしており、ヨーロッパ中に恐怖を広げていたことを忘れてはいけない。
教皇、皇帝、国王たちは、異教徒に対して一致団結して戦う必要があると感じていた。




