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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十一章 ブロワのラ・ピュセル/イングランド宛の手紙/オルレアンへ

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11.1 ブロワに集結

 乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルは傭兵に護衛されながら、フランス宰相ルニョー・ド・シャルトル卿とオルレアン総督ゴークールラウール・ド・ゴークールと同時にブロワに到着した。[874]


 ジャンヌは、解放を切望しているオルレアン公の領地まで来た。


 ブロワの人々は、イングランド軍の捕虜となっているオルレアン公に忠誠を誓っていた。商人たちは、ブロワの町に牛、雄羊、雌羊、豚の群れ、穀物、火薬、武器を運び込んでいた。[875]


 オルレアンからは、キュラン提督とアンブロワーズ・ド・ロレ卿が、輸送隊の準備を指揮するために来ていた。


 シチリア女王ヨランド・ダラゴン自身もブロワに赴いていた。


 国王は当時、彼女に相談することはほとんどなかったが、アランソン公爵を派遣して、オルレアン市の救援策について彼女の意見を反映するよう命じた。[876]


(⚠️シチリア女王ヨランド・ダラゴン:シャルル七世の義母(王妃マリー・ダンジューの母、アンジュー公夫人)だが、婚約を契機にシャルル七世は10歳からアンジュー家で養育されていたため、実質「養母」といって差し支えない。ちなみに、複数の称号を持っている王侯貴族は高位の称号で呼ぶのが慣例なので、文献ではフランス貴族でありながら「シチリア女王」と呼ばれている)



 また、ラヴァル家出身でブルターニュ公爵家の血筋を引いており、気前がよく堂々とした24歳の青年貴族ジル・ド・レ卿もやって来た。メーヌとアンジューからの立派な一行とともに、礼拝堂のオルガン、聖歌隊、聖歌隊で学ぶ少年たちを連れて来た。[877]


 さらに、オルレアンからブサック元帥、ラ・イル隊長とザントライユ隊長もやって来た。[878]


 ブロワの町の城壁のもとに、7000人の軍隊が集結した。[879]


 今や待たれているのは、食料の費用と兵士の賃金を支払うために必要な金銭だけだった。


 隊長と兵士たちは、「信用貸し」で奉仕することはなかった。

 商人たちも、食料と命を危険にさらすリスクを冒して働くのは、稼げるチャンスがあるときに限られた。[880] カネがなければ、家畜も荷馬車もその場から動かなかった。

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