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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十章 オルレアン包囲戦:1429年3月7日〜1429年4月28日

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10.1 オルレアン市民の恐怖と疑心暗鬼

 ニシンの戦いで国王軍がひどくばかばかしい敗北を喫して以来、オルレアン市民は守備隊への信頼を完全に失っていた。[835]

 動揺し、疑り深いのに軽率に信じてしまう心は、恐怖と憤怒の幻影にとりつかれた。突然、理由もなく「自分たちは裏切られた」と思いこんだ。


 ある日、オーモーヌ(Aumône、教会の寄進財産、病院)の離れがそばにある町の外壁に、人がひとり通れるほどの大きな穴が空けられたと発表された。[836]


 大勢の人があわてて現場に駆けつけると、そこにあったのは、修復された壁の一部と2つの小さな穴だった。

 群衆は見たものを冷静に理解できず、自分たちが「敵の手に売り渡され、裏切られた」と思い込み、狂ったようにわめき声をあげ、病院の責任者である司祭を捜してバラバラに引き裂こうとした。[837]


 数日後の聖木曜日、また同じような噂が広まった。

 裏切り者が、町をイングランド軍の手に引き渡そうとしているという。

 人々は、兵士も市民も農民も武器を手に取り、外壁、城壁、通りを見張った。

 パニックの発端となった日の翌日も、さらにその後も、恐怖は彼らを支配し続けていた。[838]



 3月の初め、イングランド摂政ベッドフォード公が召集したノルマン兵が包囲軍に合流した。しかし、その数はわずか629人の槍騎兵に過ぎず、しかも26日間しか従軍する義務を負っていなかった。


 スケールズ、ポール、タルボットの指揮の下、イングランド軍はできる限り包囲工事を続けた。[839]


 3月10日、イングランド軍は、オルレアン市の東2.5マイルの地点にあるサン・ルーの急斜面を占領し、そこに堡塁(小型の要塞)を築き始めた。ロワール川上流と、ジアンとピティヴィエ方面から続く2本の道が「ブルゴーニュ門(オルレアン市の東にある門)」のそばで合流する地点を見下ろせる場所だ。[840]


 3月20日にはル・マン方面へ続く道の途中に、新たな堡塁を完成させ、「ロンドン」と名付けた。


 4月9〜15日には、西に向かって新しい堡塁を2つ築き、それぞれ「ルーアン」と「パリ」と名付けた。前者は「ロンドン」の東900フィート、後者は「ルーアン」から900フィートの地点にあった。


(⚠️堡塁の命名について:「ロンドン」はイングランドの首都。「ルーアン」はイングランド軍が最初に上陸・侵攻したノルマンディーの首府。「パリ」はフランスの首都。フランス陣営に対する嫌がらせとプレッシャーを兼ねた命名といえる)


 20日ごろには、ロワール川の対岸にあるサン・ジャン・ル・ブランを要塞化し、川の渡し口を見張るための監視所を設置した。[841]


 これは、まだなすべきこと(最終目標はオルレアンの外周を取り囲むこと)と比較すればごくわずかであり、イングランド軍は人手不足だった。なぜなら、町を包囲する兵士は3000人以下だったからだ。


 そこで彼らは農民に目をつけた。ブドウを手入れする時期が近づき、田園地域の人々は耕作のことだけを考えて畑に出かけたが、イングランド軍は彼らを待ち伏せし、捕虜にすると強制労働させた。[842]

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