8.4 処女賛美の歴史(4)結婚を否定する異端カタリ派、処女を奪おうとする悪魔
神秘主義者や幻視者(先見の明がある人)たちが処女性を賛美していた一方で、教会は魂だけでなく肉体も支配しようとし、「正当な結婚まで否定」する極端な処女賛美を非難した。
教会法は、結婚を「秘跡」として定めていたからである。
(⚠️秘蹟:教会が執り行う「神の恵みをもたらす」儀式。カトリックでは七つの秘蹟が定められている)
教会は、肉体が持つあらゆる働きを冒涜する者を、忌まわしく不敬なもの(異端者)とみなした。乙女が処女性を保つことは称賛に値するが、その動機が賞賛に値するものでなければ意味がなかった。
シャルル七世の治世の200年前、ランスの若い娘は、ブドウ畑で聖職者の誘いを断り、そのことで神の教会に対する重大な罪となる可能性を思い知らされた。
以下は、教会参事会員(世俗の聖職者のこと)ジェルヴェが語るその娘の物語である。
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ある日、フランス国王フィリップ二世の叔父である「白手のギヨーム」が、馬に乗って町の外へ遊びに出かけた。
彼の従者の一人、ジェルヴェという名の若い聖職者が、ブドウ畑の中を一人で歩いている娘を見つけた。ジェルヴェは彼女に近づいて挨拶をすると「そんなに急いで何をしているのですか?」と尋ねた。そして、ふさわしい言葉で丁寧に彼女を誘った。
(⚠️白手のギヨーム(Guillaume aux Blanches Mains):ランス大司教で枢機卿まで上り詰めたギヨーム・ド・ブロワのこと)
彼女はジェルヴェを見ようともしないで、冷静に重々しく答えた。
「神は、私があなたや他の男のものになることを禁じています。もし肉体の純潔を失い、処女でなくなったら、私は必然的に地獄に落ちて永遠の破滅に陥るでしょう」
その言葉を聞いた聖職者は、この娘が、当時教会が容赦なく追求し厳しく罰していたカタリ派という異端の宗派に属しているのではないかと疑った。
この異端派の誤りのひとつは、すべての肉体関係を非難することだった。
ジェルヴェはカタリ派疑惑を確認するため、娘を挑発して、この問題に関する教会の教えについて議論を始めた。
その間に大司教である白手のギヨームは馬を返し、修道士たちを従えて、二人が言い争っているブドウ畑にやって来た。
大司教は、二人が議論している理由を知ると、娘を捕らえて町に連れてくるように命じた。彼はそこで娘を説得し、慈悲の心から彼女をカトリックに改宗させようと努めた。
しかし、娘は従わなかった。
「私は自分自身を弁護できるほど教義の知識がありませんが、私の女主人が町にいます。彼女なら十分な理屈であなたを簡単に論破するでしょう。彼女はあの家に下宿しています」
大司教ギヨームは、すぐに娘の女主人について調べさせ、尋問した結果、娘が彼女について語ったことは真実であるとわかった。
翌日、大司教は二人の女を裁くために、聖職者と貴族を集めて会議をおこない、二人とも火刑に処せられた。女主人はなんとか逃げ出したが、約束や説得によって娘を悪質な誤りから改心させることはできず、処刑人に引き渡された。彼女は涙も流さず、文句も言わずに死んだ。[780]
(⚠️カタリ派:12〜13世紀ごろに広まったキリスト教異端の一派。極端な禁欲主義を実践した。聖母マリアの処女受胎を根拠に、正当な結婚や男女の交わりを認めず、生殖器を有する動物の肉はおろか、生殖の結果である卵・バター・チーズを摂取することも禁じた。その一方で、飲酒の制約はなく、酩酊状態になることは許された)
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また、1416年、バル公爵領出身のカトリーヌ・ソーヴという女性がいた。
彼女は当時、ラットへの道沿いにあるモンペリエに住む隠遁者だったが、公然と告発され、異端審問官の司祭長レイモン・カバスが尋問した結果、異端のカタリ派に染まっていることが判明した。
いくつもの罪状の中で、彼女は「すべての肉体関係は罪である、結婚生活も罪である」と主張したため、世俗の軍隊に引き渡され、同年の11月2日に火刑に処された。[781]
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当時、女性は悪魔に身を捧げるとすぐに処女を奪われ、悪魔はこうやって不幸な女を操る力を手に入れると、一般的に信じられていた。[782]
これは、悪魔の好色な性質と一致していた。
悪魔が与える快楽は、犠牲者の不幸な状態を和らげる。
その上、処女を奪った悪魔は、ますます強力な力を得る。
犠牲者の武器である「処女性」を奪うことになるからだ。女性にとって処女性とは鎧のようなもので、処女を保ってさえいれば、地獄の矢はただの藁の刃にすぎない。
したがって、「悪魔に誓いを捧げた魂」が乙女の中に宿ることは不可能だと信じられていた。[783]
それゆえに、ヴォークルールから来た農民の娘が、魔法や呪術に屈しておらず、悪魔と契約を結んでいないことを証明する必要があった。確実な方法が「処女検査」の実施だった。




