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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第一章 幼少期

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1.2 ジャンヌ誕生、家族構成

 ドンレミと呼ばれる小さな村は、ヌフシャトーから少なくとも7.5マイル下流、ヴォークルールより12.5マイル上流に位置する。


 1410年から1412年ごろ[148]、この小村で数奇な人生を送ることになる女児が誕生した。その子は質素な家庭に生まれた。


 父親は[149]ジャックまたはジャック・ダルクと呼ばれ、シャンパーニュ地方セフォン村の出身で[150]、自ら馬を駆って耕す小規模な農家だった。[151]

 近所の人たちは、男女を問わず、彼を「良きキリスト教徒で勤勉な労働者」とみなしていた。[152]


 ジャックの妻は、ドンレミから北西に4マイル、グルーの森を越えたところにあるヴートン村の出身だった。名前はイザベルまたはザビレで、いつごろか定かではないがロメと呼ばれるようになった。[153]この名はローマに巡礼した人、または他の重要な巡礼地に行った人につけられた。[154]

 イザベルが巡礼者の徽章と杖を持っていたため、ロメと呼ばれたのかもしれない。[155]


 ロメの兄弟のひとりは教区の司祭で、もうひとりはタイル(瓦)職人。甥は大工だった。[156]


 夫婦の間にはすでに子供を3人授かり、ジャックまたはジャックマン、カトリーヌ、ジャンと名付けられていた。[157]



 ジャック・ダルクの家は、ガリアの守護聖人である聖レミ(レミギウス)に捧げられた小教区の教会の敷地内にあった。[158]


 子どもが洗礼盤に運ばれるとき、横切るのは墓地だけだった。


 当時、その地域では、洗礼式で司祭が唱える悪魔祓いの儀式は、男児より女児の方がはるかに長かったと言われている。[159]

 教区の司祭であるジャン・ミネット師[160]が、この儀式をすべて忠実に子どもに唱えたかどうかはわからないが、教会が女性に対して抱く揺るぎない偏見を示す多くの兆候のひとつとして、この習慣は注目に値する。



 当時の慣習に従って、子どもには複数の名付け親(代父・代母)がいた。[161]


 ジャンヌの代父は、グルー村の[162]農夫ジャン・モレル、ヌフシャトーのジャン・バレー、ジャン・ル・ランガート(またはリンギ)、ジャン・ラインゲソン。

 代母は、ドンレミ村でロゼと呼ばれるテヴナン・ル・ロワイエの妻ジャネット、同じ村の農夫エステリンの妻ベアトリクス、ジャン・バレーの妻エディット、ブルレモン領主の秘書だったときにメール・オーブリ(Maire Aubrit)と呼ばれたオーブリの妻ジャンヌ、ヌフシャトーの学者ティエセラン・ド・ヴィッテルの妻ジャネット。

 彼女は、本から読み聞かせた話をよく知っていたため、この中で最も物知りだった。

 代母のリストには、ジャック・ダルクの兄弟ニコラの妻アニエスと、シビル(巫女、女預言者のこと)と呼ばれる無名のキリスト教徒2人が挙げられている。[164]


 善良なカトリック教徒のグループには必ずいるように、このリストにもジャン、ジャンヌ、ジャネットという名前が多数登場する。


 洗礼者ヨハネ(ヨハネ・バプテスト)は高名な聖人だ。6月24日におこなわれる祝祭は、一般的にも宗教的にも重要な日だった。この日は、賃貸や雇用などあらゆる種類の契約を結ぶ慣例があった。


 福音者ヨハネは天国で最も偉大な聖人だと考えられおり、ある種の聖職者(特に托鉢修道士)は、キリストの胸に頭を預けて、時が満ちた(世界に終末が訪れる)ときに地上に戻ってくると信じられていた。


 そのため、二人の尊い聖ヨハネに敬意を表して、子どもが洗礼を受けるときにはジャンまたはジャンヌという名前が好まれることが多かった。

 これらの聖なる名前を、無力な子どもや私たちの謙虚な運命にふさわしいものにするために、ジャンノとジャネット(Jeannot/)という愛称が付けられた。

 ムーズ川のほとりの農民たちは、ジャコ、ピエロロ、ザビエ、メンジェット、ギュイエメットといった、気取らず愛情のこもった愛称を特に好んでいた。[166]

 学者ティエセランの妻にちなんで、その子はジャンネットと名付けられ、村ではその名前で知られていた。

 後に、フランスでは、ジャンヌと呼ばれた。[167]



 ジャンヌは、父ジャックの質素な家で育った。[168]

 家の正面には窓が二つあり、わずかな光しか入らない。

 庭に面する石造りの切妻屋根は、ほぼ地面に向かって傾斜していた。

 この辺りの地方ではよくあることだが、ドアのすぐそばには、肥やしの山、(たきぎ)の山、錆と泥で覆われた農具があった。

 しかし、ささやかな家庭菜園として機能していた質素な囲い地は、春になるとピンクと白の花がたくさん咲いた。[169]



 この善良なキリスト教徒の家庭に、もう一人子供がうまれた。

 末っ子のピエールはピエロットと呼ばれた。[170]





————————————

(⚠️訳註)ジャンヌは5人きょうだい(兄弟3人/姉妹2人)だが、それぞれの長幼については諸説ある。現在の定説では下記のとおり。

姉妹のカトリーヌは、ジャンヌが出奔する前に亡くなっている。


①ジャック

②ジャン

③ピエールまたはカトリーヌ

④ジャンヌ

⑤ピエールまたはカトリーヌ

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