6.9 シャルル七世と謁見(1)二人の容姿
シノン城の大広間は、大勢の人でごった返していた。
国王が誰かと謁見を催すたびにそうであるように、閉ざされた室内は、集まった群衆の息づかいでむせ返るようだった。
広々とした部屋は、廷臣たちにはおなじみの、市場か騒々しい集まりのような様相を呈していた。
時は夕刻、塗装された天井の梁の下では、50本の松明が燃えていた。[662]
毛皮と礼服をまとった年配の貴族たち、滑らかな肌をした華奢な青年貴族たち、ぴったりした脚衣に包まれた細い脚、長く尖った靴を履いたつま先。
宮廷の慣習に従って、完全武装した貴族たち300人が群がり、互いに押し合い、ひじを突き合い、案内係があちこちで廷臣たちの頭を杖で小突いていた。[663]
オルレアンからの二人の使節、ジャメ・デュ・ティレ卿とモンタルジ総督である老男爵アルシャンボー・ド・ヴィラールのほか、調査官(Maître des requêtes)シモン・シャルル、クレルモン伯爵、ゴークール卿、おそらくラ・トレモイユ卿、そして王国の宰相であるランス大司教といった大貴族たちも出席していた。[664]
ジャンヌが近づいてきたと聞いて、シャルル王は群衆の間に隠れた。直前になって疑念と躊躇があったのか、話し相手がいたのか、あるいは他に理由があったのかもしれない。[665]
ジャンヌは、ヴァンドーム伯爵によって紹介された。[666]
短くて太い猪首の下にある胴体はたくましくも健康的で、男物の革の胴着で締め付けられていたにもかかわらず、胸元は豊満に見えた。男のような格好をしていた[667]が、脚衣よりも群衆を驚かせたのは、ジャンヌの髪型とかぶり物だった。
ジャンヌの黒い髪は、ウールのフードの下でスープ皿のように丸くカットされて、小姓のようだった。[668]
身分や年齢を問わず、当時の女性たちは髪を隠すように気を配り、当時流行していたコイフやベール、または高い頭飾り(ヘッドドレス)の下から髪が一筋も漏れないようにしていた。
ジャンヌの無造作に垂らした髪は、当時の人々には奇異に見えただろう。[669]
彼女はまっすぐ王のもとへ進み、帽子を脱ぎ、膝を曲げてお辞儀をした。
「優しい王太子さま、神があなたに長寿を与えてくださいますように」[670]
のちに、王よりも豪華に着飾った貴族たちの中で、ジャンヌがシャルル七世本人を見抜いたことに驚きの声が上がった。
その日の国王は、質素な服装をしていたと言われている。
また、シャルル七世は普段から、着古したプールポワン(ダブレット、上着)に新しい袖を付ける習慣があったことが知られている。[671] いずれにしても、国王は服を見せびらかす人ではなかった。
非常に醜く曲がった膝(knock-kneed、X脚)、痩せた細い太もも、小さく不思議な光がまたたく目、球根のような大きめの鼻がついた26歳の王子は、骨張った足をよろめかせて震えた。[672]
ジャンヌが国王の肖像画を見て、すでに顔を知っていたという可能性はあり得ない。当時、王侯貴族の肖像画は珍しいものだった。
ジャンヌが、幼子イエスに贈り物を捧げる東方の三博士の一人としてシャルル王を細密画で描いた希少本を手にする機会はなかった。[673] また、木板に描かれた、礼拝堂のカーテンの下で手を組んだ王の肖像を見たこともないだろう。[674]
もし、誰かが偶然、このような肖像画を見せていたとしても、ジャンヌは宮廷の人たちを見慣れていなかったのだから、ほとんど見分けがつかなかったに違いない。
もしかしたら、シノンの人々が、王が普段着ている服装や帽子の形について説明したかもしれないが、追求しても無駄だろう。なぜなら、シャルル七世は室内でも、晩餐のときでさえ、他のみんなと同じような帽子をかぶっていたからである。
もっとも可能性が高いのは、ジャンヌに好意的な人たちが「国王はあの方だ」と親切に教えたのではないだろうか。
いずれにしても、ジャンヌが迷わずに王太子に直行しても誰も驚かなかった。見分けるのはそれほど難しくなかったようだ。




