6.4 ジャンヌ、シノンに到着
11日間の旅を経て、ジャンヌは3月6日にシノンに到着した。[626]
ちょうど、四旬節の第4日曜日だった。ドンレミの少年少女たちがまだ新緑が芽吹く前の灰色の野原に出かけて、母親がこねたロールパンとナッツとゆで卵を一緒に食べる日だ。彼らはその行事を「井戸の盛装(飾り付け)」と呼んでいた。
しかしジャンヌは、別れの言葉を告げずに去った故郷やこの行事の記憶を思い出すことはなかった。[627]
貧しいキリスト教徒が「聖なる40日間の苦行」を取り入れた、ほとんど異教的な田舎の祭りを無視して、教会はこの日(四旬節の第4日曜日)を「レタレ(喜び)の主日」と名付けた。これは、その日のミサの始まりを告げる入祭唱の出だしが「レタレ・エルサレム(Lætare, Jerusalem)」から始まることに由来する。
その日曜日、司祭は祭壇の高みから低音でミサを唱え、聖歌隊は聖句の中から『レタレ・エルサレム」を歌う』
レタレ、エルサレム(エルサレムよ、喜べ)
汝ら民よ……
エルサレムを愛するすべての者よ、
エルサレムとともに喜べ。
エルサレムのために嘆くすべての者よ、
エルサレムとともに喜べ。
エルサレムの慰めの乳房を吸い、
エルサレムによって満たされよ……[628]
その日、聖書に通じた司祭、修道士、聖職者たちは、教会で集まった人々とともに『レタレ・エルサレム』を歌いながら、王国を救うために立ち上がると預言された乙女が、謙虚な姿で町にやってくるのを心に思い浮かべただろう。
聖書の一節にある「聖なる国」を「フランス王国」の現状に当てはめ、この「典礼文(レタレ、エルサレム)」と「乙女の喜ばしい到来」を重ね合わせて、希望を見出そうとする者は少なくなかっただろう。
レタレ、エルサレム(エルサレムよ、喜べ)
汝ら民よ!
フランスを愛するすべての者よ、
真の王と正統な君主を信じて、ともに喜べ。
ともに集い、敵に対し、すべての力を結集せよ。
長い悲しみが明けることを、ともに喜べ。
主は、汝らに救いと慰めを与えてくださる。
聖ジュリアンのとりなしと、おそらく国王の使者コレット・ド・ヴィエンヌの助けによって、ジャンヌは城の近くの町で、評判の良い女性が経営する宿屋を見つけた。[629]
宿は空っぽで誰もいなかった。客たちは、暖炉の隅に深く座り、聖ローランよりもひどい苦しみを受けている「聖なるニシン」の炙り焼きを見守っていた。[630]
当時のキリスト教徒は、聖なる四旬節の断食と禁欲(節制)に関する教会の戒律を無視する者はいなかった。砂漠で40日間断食した主イエス・キリストの例に倣い、信者たちは四旬節の日曜日から復活祭の日曜日まで、六主日(日曜日)を除く40日間、この戒律を守った。日曜日には断食が破られたが、節制は守られた。
(⚠️四旬節:四旬とは40日間のことだが、主日(日曜日)は数えないため合計46日間におよぶ。期間中、食事は1日1回のみ。魚を除く肉・卵・乳製品を食べてはいけない。ジャンヌが到着した時、宿でニシンを焼いているのはそのため)
断食して魂を慰めながら、ジャンヌは自分の声のささやきに耳を傾けた。[631]
宿屋で過ごした二日間は、ひざまずいて祈りながらのんびりと過ごした。[632]
ヴィエンヌ川の岸辺や広い草原は、まだ黒っぽい冬の衣をまとったままで、丘の斜面には薄い霧が立ちこめていたが、ジャンヌの気を引くことはできなかった。
しかし、教会に行く途中で急な道を登っているとき、あるいは宿屋の庭で馬の手入れをしているときに、ジャンヌが北に目を向けると、すぐ近くの山の上——ちょうど50〜60年前から使われるようになった火砲で石の砲弾を打ち上げたときの飛距離——に、王国でもっとも立派な城の塔が見えた。
その誇り高い城壁の向こうには、ジャンヌが奇跡的な愛に駆られて旅をしてきた理由、国王シャルル七世が確かに息づいていた。




