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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第五章 オルレアン包囲戦:1428年10月12日〜1429年3月6日

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5.10 クリスマス休戦と年末年始の戦況

 12月25日、主の降誕祭(クリスマス)を祝うために休戦が宣言された。

 フランスとイングランドは同じ宗教を信仰していたので、祭日になると敵対心はなくなり、暦の上でお互いがキリスト教徒であることを思い出すたびに、両軍の騎士たちは礼儀正しく和解した。


 ノエル(クリスマス)は明るい祝祭である。

 グラスデール隊長は、イングランドの習慣に従ってクリスマスキャロルを歌ってこの日を祝いたいと考えた。「オルレアンの私生児」ジャン卿とブサック元帥に、音楽隊を派遣してほしいと頼むと、二人は快く応じた。


 オルレアンの音楽家たちは、クラリオンとトランペットを持ってレ・トゥーレルの砦に向かい、イングランド人が喜ぶようなクリスマスキャロルを演奏した。オルレアンの人々も橋上まで音楽を聴きに来て、心地よい音色に浸った。


 しかし、休戦が終わるとすぐに我に返った。

 まどろんでいた大砲は目を覚まし、岸辺からもう一方の岸辺に向かって、石弾や銅の砲弾が激しく飛び交った。[537]


 12月30日、オルレアンの人々が予想していたことが起こった。

 イングランド軍が大挙してラ・ボースを通り、サン・ローラン・デ・オルジェリルに攻め寄せてきたのである。フランスの騎士たちは総出で迎え撃ったが、イングランド軍はサン・ローランを占領し、包囲戦が本格的に始まった。


 イングランド軍はロワール川の左岸、ル・ポルトローの西にある聖プリヴェの野原と、サン・ローラン・デ・オルジェリルの右川にある小島(中洲)にそれぞれ砦(堡塁)を築いた。


 右岸のサン・ローランには、塹壕で囲まれた陣地を構築した。

 ブロワへ通じる道沿い、弓矢で届く距離のラ・クロワ・ボワセと呼ばれる場所にも、別の砦(堡塁)を築いた。

 また、2発の弓矢2射程分の距離、ル・マンへ通じる道の北側にあるレ・ドゥーズ・ピエールと呼ばれる場所に、「ロンドン」という砦(堡塁)を築いた。[540]


 これらの工事によりオルレアンの半分が包囲されたが、実際はまったく包囲してないのも同然で、人々は自由に出入りできた。


 国王(シャルル七世)が派遣した小規模な救援部隊は、何の支障もなく町に到着した。


 1429年1月5日、キュラン提督は兵士500人を率いてサン・ルーの対岸でロワール川を渡り、ブルゴーニュ門からオルレアン市内に入った。


 2月8日には、スコットランドからきた大元帥の兄弟であるウィリアム・スチュアートが、十分な装備を整えた戦闘員1000人の先頭に立ち、数人の騎士と従騎士を従えて入城した。翌日には、兵士320人が続いた。


 食料と弾薬は絶え間なく補給され、1月3日には豚954頭と羊400頭、10日には火薬と備蓄食料が到着した。 12日には豚600頭、24日には肥えた牛600頭と豚200頭、31日には油と脂肪を積んだ馬8頭が運ばれてきた。[541]


 ソールズベリー伯の死後[542]、スケールズ卿、ウィリアム・ポール、ジョン・タルボット卿が包囲戦の任務を引き継いだが、誰が見ても、包囲が完成して「堀でつながれた環状の砦で街を囲む」には、まだ何カ月もかかることは明らかだった。


 その間、哀れなゴドン兵(イングランド人に対する蔑称)は、泥と雪に耳まで浸かり、木と土でできたみすぼらしい小屋で凍えていた。


 このままでは、包囲されたオルレアンよりもイングランド軍の方が悲惨な状況に陥り、さらに飢餓に苦しむ危険まで迫ってきた。

 そのため、亡きソールズベリー伯のやり方に倣い、彼らはときどき事態を打開しようと試みた。成功の見込みは薄いが、襲撃によって力づくで町を奪おうとしたのだ。[543]


 ルナール門側の城壁は他よりも低く、またイングランド軍の最強の兵力がこの方面に展開していたため、この城壁を攻撃することを好んだ。

 彼らはイングランドの守護聖人「聖ジョージ」の名を叫びながら城壁に突撃し、レナール門を襲撃したが、国王軍の兵士と町の民兵が追い返した。[544]


 このような計画性のない無駄な攻撃のたびに、イングランド軍は多くの兵士を犠牲にした。すでに兵士も馬も不足していた。


(⚠️聖ジョージ:イングランドの守護聖人。合戦や突撃など、士気を鼓舞するために多人数の者が同時に発する(とき)の声。なお、フランス人の場合は「聖ドニ」と叫ぶ)


 イングランド軍は、南と西から二重の砲撃をしていたが、オルレアンの人々を驚かせることさえできなかった。

 街では、ラ・ポルト・バニエールの近くにいた100人ほどの群衆の中に大きな砲弾が落ちてきたが誰にも当たらなかった。靴を飛ばされた人がいたが、「靴を履き直す以外に被害はなかった」というジョークが広まった。[545]


 フランス、イングランド、ブルゴーニュの騎士たちは、勇猛果敢な武勇を披露することに喜びを感じていた。


 彼らは気まぐれで、わずかな抵抗にも反応して飛び出していったが、常に戦利品を略奪することが目的で、それ以外のことはほとんど考えていなかった。


 例えば、1月末のある日、寒さが厳しくなってきたので、イングランド軍の略奪者の小集団が、(たきぎ)用の枝を集めるためにサン・ラドルとサンジャン・ド・ラ・リュエルのブドウ畑に侵入した。


 見張り番の知らせを受けるとすぐ、あらゆる旗が風にはためきながら飛んでいくのが見えた。ブサック元帥、ブルボネの執事長(セネシャル)ジャック・ド・シャバンヌ卿、ドニ・ド・シャイイ卿、その他大勢の男爵、そして彼らと共に隊長や傭兵たちが野原に出て行った。

 彼らのうち、20人ほどの兵士を統率・指揮できた者は一人もいなかった。[546]


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