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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第五章 オルレアン包囲戦:1428年10月12日〜1429年3月6日

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5.6 フランスの援軍と敵軍イングランドの接近

 各地の傭兵たちが、オルレアンの行政官の呼びかけに応じた。

 最初に町に駆けつけたのは、以下の者たちだ。


 モンタルジ総督アルシャンボー・ド・ヴィラール。

 ギトリー領主ギヨーム・ド・ショーモン。

 ラ・ボース男爵ピエール・ド・ラ・シャペル。

 ベアルン騎士団長レイモン・アルノー・ド・コラーズ。

 アラゴン王国のドン・マティアス。

 ジャン・ポトン・ド・ザントライユ。


 さらに、かつてオルレアン大学の神学生だったシトー会セルカンソー修道院の院長が、追随者の軍団を率いて到着した。[504]


 オルレアンの町を救いに来た友軍は、予想される敵の数とほぼ同数になった。

 守備隊(防衛者)には報酬が支払われ、パン、肉、魚、豊富な飼料が与えられ、ワインの樽も用意された。


 当初、住民たちは彼らを自分の子供のように丁重に扱った。

 市民は皆、見知らぬよそ者をもてなすために協力し、持っているものを分け与えた。しかし、この協調は長くは続かなかった。


 一般市民と軍の客人との間に友好的な関係があったとする伝承がどのようなものであれ、[505] オルレアンの状況は、実際には他の包囲された町と何も変わらなかった。まもなく、住民は守備隊に不満を抱き始めた。


 9月5日、イングランド総司令官ソールズベリー伯がジャンヴィルに到着した。彼は、行軍の道中で40もの町、要塞化された教会や城をいとも簡単に占領した。


 しかし、これは彼の最大の功績ではなかった。

 なぜなら、行軍中の各所に置いていかれた兵士はわずかだったが、そうすることで、脱走しそうな不良兵士をあらかじめ軍から切り離すことができたからである。[506]


 ソールズベリー伯は、ジャンヴィルから2人の伝令をオルレアンに派遣し、住民に降伏を呼びかけた。


 行政官たちは、この伝令を丁重にもてなし、バニエ郊外のラ・ポム邸に宿泊させ、ソールズベリー伯爵へワインの贈り物を託した。彼らは偉大な君主に対する義務を心得ていた。


 しかし彼らは、イングランド軍の駐屯部隊に門をひらくことを拒否し、当時の市民の習慣通り、「自分たちよりも強い者が中にいるので門を開けることはできない」と主張した。[507]


 危険が迫ってきた10月6日、司祭、市民、名士、商人、職人、女性、子供たちが十字架と旗を掲げて厳粛に行進し、賛美歌を歌い、町の守護者である天の神に祈りを捧げた。[508]


 同月12日の火曜日、敵がソローニュを通過しているとの知らせを受けて、行政官たちは兵士を派遣し、ロワール川左岸の郊外にある漁師町ル・ポルトローの家屋、およびその先にあるアウグスティノ会教会と修道院、さらに、敵が宿営したり陣地を敷く可能性のあるその他のすべての建物を取り壊した。


 しかし兵士たちは不意を突かれた。

 まさにその日、イングランド軍はオリヴェを占領してル・ポルトローに現れた。[509]


 彼らの中には、ヴェルヌイユの戦勝に貢献し、イングランド軍の花形と呼ばれる騎士たちが何人もいた。


 イングランド王にいとこと呼ばれたポントルソン総督でヌセル領主トマス・スケールズ。

 フォーコンバーグ男爵ウィリアム・ネヴィル。

 エヴルーの官吏でウェールズの騎士ウィリアム・ゲシン。

 ソールズベリー伯の甥リチャード・グレイ卿。


 ギルバート・ハルソール、リチャード・パニンゲル、トーマス・ゲラールなど多数の騎士、その他多くの名士たちだ。


 ノルマンディーから来た200の槍騎兵の上には、サフォーク伯ウィリアム・ポールとジョン・ポールの旗がはためいていた。彼らは兄弟で、ウィリアム公の戦友の子孫だった。


 また、摂政の侍従長である騎士旗手トマス・ランプストン。

 コンシュの総督でエヴルーの代官兼隊長だったリチャード・ウォルター。

 騎士ウィリアム・モリンズ。

 フランスではグラシダ(Glacidas)と呼ばれたウィリアム・グラスデール(従騎士でアランソンの代官。卑しい生まれの男)などの旗もあった。[510]


 弓兵は全員が馬に乗っていた。歩兵はほとんどいなかった。

 牛に引かれた荷車には、火薬の樽、クロスボウ、弓矢、砲弾、あらゆる種類の銃火器、マスケット銃、猟銃、そして大型の大砲が積まれていた。

 イングランド軍の砲手長フィリベール・ド・モランとウィリアム・アップルビーの2人が部隊に同行した。

 また、鉱夫38人と親方が2人いた。

 女性も少なからずいたが、中にはスパイとして活動していた者もいた。[511]


 軍隊がオルレアンに到着したとき、道中で勝利するたびに脱走者を出していたため、大幅に兵力が減っていた。イングランドに帰国する者もいれば、フランス国内を放浪して強盗や略奪を働く者もいた。


 まさに開戦当日の10月12日、ルーアンからノルマンディーの代官と総督に、ソールズベリー伯の部隊から離脱したイングランド人を逮捕せよという命令が出された。[512]


 レ・トゥーレルの砦(本塁・本丸)とその外塁(外側に張り出している副次的な要塞施設)が、オルレアンへ渡る橋の入り口を塞いでいた。


 イングランド軍は、郊外のル・ポルトローに陣を構え、サン・ジャン・ル・ブランの丘の上に大砲と臼砲を設置し[513]、次の日曜日には砲弾の雨をオルレアンの市街地に降らせた。町の家々はひどく痛めつけられたが、死者は1人のみ——川岸のシュノー裏門近くに住んでいたベルという名の女性——だった。


 ひとりの女性ジャンヌの勝利で終結するオルレアン包囲戦は、ひとりの女性の死から始まったのである。

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