5.4 オルレアンの決意:開戦の準備
オルレアンの住民は戦う決意を固めたが、それは名誉のためではなかった。
当時、市民が自分の町を守ったからといって、名誉を得られることはなかった。唯一の見返りは、恐ろしい危険を冒すことだけだった。
町が陥落すれば、富裕層や有力者は身代金を払うだけでよく、征服者は彼らを厚遇したが、下級貴族や貧しい貴族のほうがより大きな危険にさらされた。
同じ1428年、ムランを守るために馬や犬まで食べ尽くして戦った末に、降伏した騎士たちはセーヌ川で溺死刑に処せられた。「貴族は何の価値もない」とブルゴーニュで歌われた。[489]
しかし、一般的には、高貴な生まれであることは命を救った。
自衛のために勇気を振るった市井の人は、死ぬ可能性が高かった。決まった規則はなく、何人かを一度に絞首刑に処すときもあれば、一人だけで済むことも、全員がやられることもあった。首を切り落としたり、袋に縫い込んで水に投げ込むことも合法だった。
同じ1428年、ラ・イルとザントライユの両隊長はル・マンへの攻撃に失敗し、間一髪で退却した。
彼らを助けた市民は、すでにオリヴェに到着していたサフォーク伯ウィリアム・ポールと、まもなく到着する予定だった《《最も礼儀正しい》》イングランド騎士ジョン・タルボットの命令により、クロワトル=サン=ジュリアン広場の石碑の上で斬首された。[490]
この前例は見せしめとして、オルレアンの人々に警告を与えるのに十分だった。
オルレアンの町は総督の支配下にあったが、総督の承認を得て、市民によって2年任期で選ばれた12人の行政官によって自治運営されていた。[491]
これらの行政官は、他の市民よりも大きな危険にさらされていた。
そのうちの1人は、処刑場であるサン=シュルピス修道院の前を通りかかったとき、領主の遺産を守った罪で、年内にそこで処刑される可能性を考えたかもしれない。
それでも、12人はこの遺産を守る決意を固め、迅速かつ知恵を尽くして公共の利益のために行動した。
オルレアンの人々は、不意を突かれたわけではなかった。
彼らは、父親の代からイングランド軍を注意深く監視し、町の防御を固めていた。
彼ら自身、1425年には包囲攻撃を強く予想していたため、サン=サムソン塔に武器を集め、富める者も貧しい者も同様に堤防を掘り、城壁を築くことを義務付けられていた。[492]
戦争は常に費用がかかる。
町の年間税収の4分の3を、城壁の維持とその他の戦争準備に費やした。
ソールズベリー伯の接近の知らせを聞いて、彼らは驚異的なエネルギーで迎え撃つ準備をした。
川沿いを除いて、城壁には胸壁(城壁や城の最上部に設けられた《《凸凹》》部分)がなかったが、町の商店には手すりを作るための杭と横木があった。
砲撃から守備隊を防御するために、城壁の上にペントハウス型の砦(外堡)を築き[493]、出入り口には木製の防壁が設置され、開閉を担当する門番の控え小屋を作った。
城壁の上部と塔には、大砲や臼砲を含む71門の火砲を設置したが、カルバリン砲はまだなかった。
町から3リーグ離れたモンマイヤールの採石場から石を運び、砲弾を作った。
多額の費用をかけて鉛や硫黄を買い込み、女性たちが火薬を調合した。
毎日何千本もの矢を作って備蓄した。鉄の両端には矢じりと、鳥の羽や羊皮紙で作った羽をボルトで留めた。[494]
木片を互いに組み合わせて革で覆った大きな盾も多数製造された。
住民のために、また守備隊や王の家臣、そして傭兵のために、穀物、ワイン、家畜を大量に買い入れた。[495]
オルレアンの人々は、町の中に軍人が駐屯することを拒否して自力で守る特権を持っていた。職業に応じて、塔の数と同じ数の守備隊に分けて運用していた。
長い間、市民は自力でこの権利を守り抜き、そのおかげで、略奪や焼き討ちなどの被害から町を守っていた。
しかし今、オルレアンの人々はこの権利を放棄したがっていた。
なぜなら、町の人々で構成した中隊と、近隣の村の農民だけでは包囲攻撃に耐えられないと悟ったからである。敵に抵抗するには、槍の扱いに熟練した騎兵と、クロスボウを使いこなす歩兵が必要だった。
町の総督であるゴークール卿と、王の中将(Lieutenant General)を務める「オルレアンの私生児」卿が、国王から兵士と資金を調達するためにシノンとポワティエに行き[496]、その間に、市民は2人1組の委員を結成して、ブルボネやラングドックまで足を運び、町々に救援を求めた。[497]
行政官は、フランス王のために近隣の地域を守っている武運に恵まれた傭兵たちに呼びかけた。
市の2人の伝令、オルレアンとクール・ド・リスの口を通して、「市の城壁内には金銀が豊富にあり、2000人の戦士を2年間養うのに十分な食料と武器を用意している」こと、そして「善良で誠実な騎士であれば誰でも市の防衛に参加し、死ぬまで戦うことができる」と宣言した。[498]




