5.2 オルレアンの町(1)城壁と塔
ラ・ボースとラ・ソローニュ地方の間、フランス王家に忠誠を誓うトゥーレーヌ、ブレゾワ、ベリーの各地方への入り口に、公爵領の都市オルレアンがあった。ロワール川の湾曲部に位置しており、あたかも張り詰めた弓に矢がつがえられているかのように、敵に対峙していた。[479]
司教座、大学、広大な市場があり、その鐘楼、塔、尖塔の上に、「主の十字架」、「町の紋章(3つの心臓)」、「公爵家の3つの百合紋」を天に向かって誇らしげに掲げていた。
曲がりくねった通りや薄暗い路地に沿って、石造りや木造の家屋が建ち並び、スレート屋根の下にはオルレアン市民1万5千人が暮らしていた。
そこには、司法官や財務官、金細工師、薬剤師、食料雑貨店、皮革職人、肉屋、魚屋、琥珀のように繊細で、上質な衣服、立派な家、音楽とダンスを愛する富裕層、司祭、聖職者、神学者、学徒監視員(守衛)、大学のフェロー、写本屋、筆記者、彩色師、画家、庶民が住んでいた。学問はぱっとしないがフルートを美しく奏でる楽士、あらゆる宗派の修道士——黒修道士(ドミニコ会)、灰色修道士(フランシスコ会)、マチュラン会、カルメル会、アウグスティノ会——、そして鍛冶屋、樽職人、大工、船乗り、漁師といった職人や労働者がいた。[480]
ローマ起源のこの町の形は、皇帝アウレリアヌスの時代から変わっていなかった。
ロワール川に沿って南側と北側はおよそ3000フィート(約914メートル)におよぶ。東西の境界はわずか150フィート(約46メートル)だった。
町は、厚さ6フィート(約1.8メートル)、堀の上から18フィート(約5.5メートル)から33フィート(約10メートル)の高さの城壁に囲まれていた。
城壁の両側には34の塔があり、5つの門(表のゲート)と2つの裏門で貫かれていた。[481]
以下に、これらの門、裏門、塔の位置と、包囲戦で有名になった設備について説明する。
城壁の南東から南西にかけて、次のようなものがあった。
ロワール川に浸かっている丸型の巨大なヌーヴ塔(新塔、La Tour Neuve)。
その他、川岸に3つの塔があった。
シュノーは水面に面している唯一の裏門だ。
ラクロワ=ムフロワ塔は、塔の足元から川に突き出ている鉤状の突起物からこう呼ばれる。
跳ね橋に続く門扉ラ・ポルト・デュポン(La Port du Pont)は、2つの塔に囲まれている。
ラブルヴォワール塔。
ノートルダム塔は、城壁に面して建てられた礼拝堂に由来する。
ラ・バール=フランベール塔は、城壁の南西の角に位置し、川を見下ろしている。こちら側の最後の塔だ。
ロワール川沿いの城壁には、細長い胸壁(城壁や城の最上部に設けられた《《凸凹》》部分)と石造りの手すりがあり、そこから投石することができる。敵がはしごをかけて城壁を越えてこようとしたら、石を落として撃退する。塔と塔の間は弓の射程ほどで、門扉で守られていた。
西側には、まず3つの塔があり、次にレニャールまたはルナールと呼ばれる2つの門塔があった。これは、かつて隣接する宮殿の所有者だった市民の名前にちなんだ名称で、1428年当時はオルレアン公の財務官ジャック・ブーシェがそこに住んでいた。
その後、もうひとつの塔が続き、最後に城壁の北西の角にベルニエ橋(La Porte Bernier)がある。こちら側の城壁は、弓よりも射程距離の長いクロスボウの時代に築かれたため、塔と塔の間はクロスボウの射程距離の間隔で離れており、城壁は他よりも低かった。
森に面した北側には、弓の射程距離の間隔で10の塔があった。
2番目のサン・サムソン塔は、武器庫として使用されていた。
6番目と7番目の塔は、パリ門を挟んでいた。
東側にも、北側と同じ間隔で10の塔があった。
5番目と6番目はブルゴーニュ門を囲む塔で、城壁のないサン・テニャン教会に近かったためサン・テニャン門とも呼ばれた。
最後は、ヌーヴ塔(新塔、La Tour Neuve)と呼ばれる大きな角型の塔で、これでヌーヴ塔は2回数えられたことになる。




