4.4 ヴォークルールからの旅立ち
ジャンヌ一行は、人通りの多い街道を避けた。特に、敵対勢力の兵士がいるジョアンヴィル、モンティエ=アン=ソー、サイイの付近を通るときには、入念に警戒しなければならなかった。
ベルトラン卿とジャン・ド・メスは、このような隠密の遠征に慣れていたため、抜け道をよく知っており、馬脚を麻布で包んでひづめの音を消すなどの有用な対策を知っていた。[444]
日が暮れると、あらゆる危険を回避した一行は、マルヌ川の右岸に近づき、サン=ウルバン修道院に到着した。[445] そこは古くから旅人の避難場所となっており、当時の修道院長はロベール・ド・ボードリクールの親戚であるアルヌール・ドーノワだった。[446] 簡素な建物の門が旅人のために開かれ、彼らは屋根が交差する丸天井の下を通った。[447]
修道院には、見知らぬ旅人のために特別に設けられた建物があった。
そこが最初の休憩場所となった。
外門の右側に、修道院付属の教会があり、そこにはローマ教皇・聖ウルバヌスの聖遺物が保存されていた。
2月24日の朝、ジャンヌはそこで修道院のミサに参加した。[448]
その後、ジャンヌと仲間たちは再び馬に乗った。サン=ウルバン修道院の向かい側にある橋を渡ってマルヌ川を越え、フランスに向けて進んだ。
彼らは盗賊がうろつく土地で、あと125リーグ(約625km)を進み、3本の川を渡らなければならなかった。敵を恐れて、彼らは夜に旅程を進めた。[449]
わらの上に横たわって休むとき、ジャンヌは長靴下とコートを結ぶ紐を解かず、衣服を着たまま、ジャン・ド・メスとベルトラン・ド・プーランジの間に毛布をかけて眠った。ジャンヌはこの2人に信頼を寄せていた。
のちに彼らは、ジャンヌに神聖さを感じていたので、一緒に寝ていても彼女に欲望を感じたことはないと語った。[450] それを信じるかどうかは人それぞれだ。
だが、ジャン・ド・メスは、預言者に対してそれほど熱烈な信仰を抱いていなかったため、ジャンヌにこう尋ねた。
「あなたは本当に、自分で言っていることを実行するつもりか?」
ジャンヌは答えた。
「恐れることはありません(ご心配なく)。私は命じられたことをするだけです。天国にいる私の仲間が、私に何をすべきか教えてくれます。天国にいる仲間とメシエが、フランス王国を救うために戦争に行かなければならないと私に言ってから、もう4〜5年になります」[451]
これらの無作法な仲間たちは、全員がジャンヌの前で宗教的な敬意を払っていたわけではなかった。
中にはジャンヌをあざけり、わざと自分たちが敵方のイングランドに属しているかのようにジャンヌの前で話して、気分を紛らわせる者もいた。
時には冗談で、うその警報を発して引き返すふりをした。
だが、このような冗談は無駄に終わった。
ジャンヌは彼らを信じていたので恐れることはなく、イングランド人を装ってジャンヌを怖がらせようとする者には、真剣な面持ちでこう言った。
「決して逃げないように。神の名において言っておく。敵はあなたに危害を加えないから」[452]
危険が迫るたびに、それが本当であろうと誤報であろうと、ジャンヌの口はいつも励ましの言葉を繰り返した。
「恐れることはない。シノンに着いたら、美しい王太子が私たちをどれほど優しく迎えてくださるか、きっと分かるから」[453]
ジャンヌの最大の悲しみは、教会で祈りを捧げたいのに頻繁に祈ることができないことだった。ジャンヌは毎日こう繰り返した。
「もし可能なら、ミサを聞きたい」[454]
大きな街道を避けていたため、橋を渡ることはあまりなかったが、しばしば増水した川を徒歩で渡らざるを得なかった。
彼らは、バル=シュル=オーブの近くでオーブ川を、バル=シュル=セーヌの近くでセーヌ川を、オーセールの向かい側(対岸)にあるヨンヌ川を渡り、ジャンヌはサン=テティエンヌ教会でミサを聞いた。そして、ロワール川の右岸にあるジアンの町に到着した。[455]
一行は、フランス王(シャルル七世)に忠誠を誓っている町までやってきた。敵地を75リーグも旅したが、攻撃されることなく、また、人質にされることもなかった。これは奇跡だと言われている。
ついに、彼らロレーヌ人は、フランス王に忠誠を誓うフランスの町を目にした。
敵地を75リーグ(約375km)も旅したが、攻撃も妨害も受けなかった。のちにこれは奇跡とみなされた。
しかし、7〜8人のアルマニャック派(シャルル七世を支持する勢力)の騎馬隊が、イングランドとブルゴーニュが支配する地域を無事に通り抜けることはそれほど難しいことだったのか?
ヴォークルールの司令官は、頻繁に王太子に手紙を送り、それは彼に届いていた。王太子もまた司令官に使者を派遣する習慣があり、現に、コレット・ド・ヴィエンヌがジャンヌを召喚する手紙を運んできたばかりだ。[456]
実のところ、王太子の追随者(使者)たちは、彼の支配下にある地方でも、他の領主の支配下にある地域でも大差なく、大きな危険にさらされていた。[457]
シャルル王に雇われた傭兵(ならず者)たちは、旅人を略奪して身代金を要求する際、味方のアルマニャック派か、敵方のブルゴーニュ派かを尋ねることはなかった。
実際、ベルトラン・ド・プーランジとその仲間たちが、最大の危険にさらされたのは、ロワール川を渡った後だった。
フランス軍に所属する兵士数名は、ジャンヌ一行の接近を知ると、先回りして奇襲を仕掛けようと待ち伏せしていた。
彼らは乙女を捕らえて穴に投げ込み、大きな石の下に閉じ込めるつもりだった。彼女を呼んだ王が、救出のために多額の金銭を支払ってくれることを期待したのだ。[458]
略奪者や傭兵が、旅人を落とし穴に投げ込み、身代金を支払わせて解放するのは、よくある悪い習慣だった。
これより18年前のコルベイユで、5人の男がブルゴーニュ人によってパンと水だけで穴に閉じ込められた。そのうち3人は身代金を払うことができずに死んだ。[459]
あやうく、ジャンヌも同じ運命を辿るところだった。
しかし、彼女を待ち伏せしていた哀れな悪党たちは、襲撃すべき時に何もしなかった。理由は不明だが、一行よりも自分たちの方が弱いと察したのかもしれない。[460]




