4.1 老ロレーヌ公と、娘婿ルネ・ダンジュー
イングランドと同盟を結んでいたロレーヌ公シャルル二世は、相続人(継承者)である長女イザベルを、シチリアとエルサレムの女王でアンジュー公爵夫人であるヨランド夫人の次男ルネと結婚させた。[423]
この婚姻は、ロレーヌ公のいとこであり友人でもあるブルゴーニュ公に、手痛い一撃を与えた。
ロレーヌ公の娘婿ルネ・ダンジューは、当時20歳になったばかりだった。
騎士道と同じくらい健全な学問を愛し、親切で愛想がよく、優雅な教養人だった。
軍事遠征や槍を振り回していないときは、写本を彩色することを好んだ。
花咲く庭園やタペストリーに描かれた物語を愛し、いとこ(実際ははとこ)のオルレアン公のようにフランス語で詩を書いた。[424]
ルネ・ダンジューは、大叔父であるバル公枢機卿からバル領を譲られ、さらに、義父ロレーヌ公(息子は夭折していた)の死後、そう遠くない将来にロレーヌ領を相続することになる。
この結婚は、ヨランド・ダラゴンの巧妙な策略とみなされていた。
しかし、主君として君臨するには戦わなければならない。
ブルゴーニュ公は、ブルゴーニュとフランドルの間に、シャルル・ド・ヴァロワ(シャルル七世)の義理の兄弟であるルネ・ダンジューが有力な地位を確立したことに危機感を覚えていた。
(⚠️ルネ・ダンジューは、シャルル七世の王妃マリー・ダンジューの実弟)
そこで一計を案じたブルゴーニュ公は、ロレーヌ公の甥で、ルネ・ダンジュー夫妻の遺産相続に不満を持っていたヴォーデモン伯を焚きつけて、戦いを挑むように扇動した。
アンジュー家の政策によって、ブルゴーニュ公とフランス王の和解はますます困難なものとなった。こうして、ルネ・ダンジューは、ロレーヌの義父をめぐる相続争いに巻き込まれた。
この年、1429年に、彼はメスの市民に対して「りんごバスケットの戦い」と呼ばれる戦争を仕掛けた。[425] ロレーヌ公爵の役人の管轄を通さずに(税金を払わずに)りんご入りのバスケットがメスの町に持ち込まれた事件が戦争のきっかけになったため、このように呼ばれた。[426]
一方その頃、ルネの母は、イングランド軍に包囲されたオルレアン市民のために、ブロワから食料を積んだ輸送隊を送っていた。[427]
彼女は当時、義理の息子であるシャルル王の顧問たちと良好な関係ではなかったが、王国の敵がアンジュー公領を脅かした際には、警戒を怠らなかった。
したがって、バル公を譲り受けたルネは、親族、友情、利害関係によって、イングランドとブルゴーニュの党派ばかりか、フランスの党派にも結びつけられていた。
フランス貴族のほとんどが、似たような状況だった。
ルネ・ダンジューとヴォークルールの司令官は、つねに友好的な連絡を取り合っていた。[428]
ロベール卿が、ルネに「ヴォークルールにフランス王国に関する予言を話している乙女がいる」と伝えていた可能性はあり得る。
バル公がジャンヌに興味を持ち、2月20日ごろに滞在する予定だったナンシーに彼女を呼び出したのかもしれない。
しかし、ルネ・ダンジューは、見ず知らずのヴォークルールの乙女よりも、公爵の宮殿を騒がせている小さなムーア人と道化師を気にしていた可能性の方がはるかに高い。[429]
1429年の2月ごろ、ルネ・ダンジューはフランス情勢に深く関わることを望んでおらず、関心を持つ余裕もなかった。シャルル王の義理の兄弟でありながら、オルレアンの町を救援するのではなく、メスの町を包囲する準備をしていた。[430]




