3.8 ジャン・ド・メスとの出会い
守備隊には、ジャン・ド・ヌイヨンポンという28歳くらいの腕利きの男がいて、通称ジャン・ド・メスと呼ばれていた。
貴族階級ではなく自由民だったが、公爵領外のヴァロワ地方にあるヌイヨンポンとオヴクールの領地を取得または相続し、その名を名乗っていた。[399]
以前は、ステネイの隊長で主席司祭でもあるジャン・ド・ヴァルスに雇われていたが、1428年当時はヴォークルールの司令官(ロベール卿)に仕えていた。
この男の道徳観や生活ぶりについては、3年前に口汚い誓いをまくし立てて2ソルの罰金を科せられたこと以外、何もわかっていない。[400] どうやら彼がこの誓いを立てたときは、ひどく怒っていたようだ。[401]
彼は、ベルトラン・ド・プーランジと多かれ少なかれ親しくしており、ジャンヌについて聞いていたのだろう。
ある日、ジャン・ド・メスはジャンヌに出会ってこう尋ねた。
「やあ、お嬢さん、ここで何をしているんだ? 王様は王国から追放され、俺たちはみんなイングランド人にならなければならないのかね?」[402]
若きロレーヌ人戦士のこの言葉は注目に値する。
トロワ条約は、フランスをイングランドに従属させたのではなく、二つの王国を統合する取り決めだった。
条約締結後も、以前と同様に戦いが続いたとしても、それは単に二人の王位請求者、シャルル・ド・ヴァロワ(シャルル七世)とヘンリー・オブ・ランカスター(ヘンリー六世)の間で決着をつけるためにすぎない。どちらが勝利しても、フランスの法律や慣習は何も変わらないはずだ。
しかし、このドイツ辺境に住む哀れな略奪者は、イングランド王の支配下では自分がイングランド人になると考えていた。
彼だけでなく、あらゆる階級の多数のフランス人が同じ考えを持っており、イングランド化されることに耐えられなかった。彼らは心の中で、自分たちの運命は王国と王太子シャルルの運命にかかっていると考えていた。
ジャンヌはジャン・ド・メスにこう答えた。
「私がここに来たのは、ロベール卿と話をするためです。私を王太子のところに連れて行くか、誰かに連れて行くよう命じてもらうために。ですが、彼は、私にも私の言葉にも耳を貸してくれません」
ジャンヌの心に、四旬節の半ばまでに自分の使命を始めなければならないという確固たる考えが湧き上がり、
「それでも、四旬節の半ばまでに、私は王太子の前にいなければなりません。たとえ足を膝まですり減らしてでも」[403]
その頃、ある知らせが、町や村を駆けめぐった。
フランス王シャルル七世の息子である王太子ルイは5歳になったばかりだが、スコットランド王の娘で3歳のマーガレット王女と最近婚約したという。庶民は、荒れ果てた国で可能な限りの歓喜をもって、王室の慶事を祝った。[404]
ジャンヌはこの知らせを聞くと、兵士に訴えた。
「私は王太子のところへ行かなければなりません。なぜなら、世界中の誰も、王様も公爵も、スコットランド王の娘でも、フランス王国を回復させることはできないのだから」
それからすぐに、ジャンヌはこう付け加えた。
「助けられるのは私だけです。本心をいうと、私はこの生活が好きじゃないから、哀れな母のそばで糸を紡いでいる方がずっといい。でも、私は行かなくてはならない。だからそうする。なぜなら、メシエが行くようにと命じているから」
ジャンヌは思っていることを言った。
しかし、ジャンヌは自分自身のことを知らなかった。
自分の「声」が自分自身の心の叫びであることを知らず、糸巻き棒を捨てて剣を手に取りたいと切望していることを知らなかった。
ジャン・ド・メスは、ロベール卿と同じく「メシエとは誰なのか?」と尋ねた。ジャンヌは「神です」と答えた。
するとすぐに、まるでジャンヌを信じているかのように、ジャン・ド・メスは突然の衝動に駆られて「約束するよ。神の助けがあれば、俺はあなたを王のところに連れて行く」と告げた。
約束を誓った印としてジャンヌに手を差し出し、「いつ出発するのか?」と尋ねた。
ジャンヌは「今すぐにでも。明日よりも今日がいいし、明後日よりも明日がいい」と答えた。
27年後、ジャン・ド・メス自身がこのときの会話を証言している。[405]
証言を信じるなら、彼は話の最後、ジャンヌに「女の格好で旅をするつもりか」と尋ねた。好色な男たちがうろつくフランスまでの旅路を、赤いコートを着た農民の娘をつれて旅することがどんなに大変か、そして少年に変装した方が賢明だと彼が考えたことは容易に想像できる。
ジャンヌはすぐに彼の考えを察して、「私は喜んで男の格好をします」と答えた。[406]
こういうやり取りが起こらなかった理由はない。
もしこれが事実なら、のちにジャンヌが「神から授かった」と証言した服装に関するアイデアを、ロレーヌの略奪者が聖人のために提案したことになる。[407]




