3.2 ジャンヌの予言、ベルトラン・ド・プーランジとの出会い
ジャンヌは完全に落ち着いており、自信に満ちた様子で、「四旬節の半ばまでに、主は王太子に助けを与えるでしょう」と王太子に関する予言を口にした。そしてすぐに付け加えた。
「実際には、この王国は王太子のものではありません。しかし、メシエの意志によって、王太子は王となり、王国を『信託』されて受け継ぎます。[335] 敵がいても、王太子は王になります。そして、王太子をその塗油式に導くのは私です」
ジャンヌが用いた「メシエ」という称号は、曖昧で奇妙な響きだった。
ロベール卿は理解できずに「メシエとは誰のことか?」と尋ねた。
ジャンヌは「天国の王です」と答えた。
このとき、ジャンヌはもうひとつ、奇妙な言葉を使った。
ロベール卿は何も言わなかったらしいが、示唆に富む言葉だ。[336]
王位継承に関して使用された「アン・コンマン(en command)」という言葉は、「信託で与えられるもの」を意味する。もし、王が王国を「信託」で譲り受けるというならば、王国は王のものではなく、単に神の信頼によって王国を預かっているにすぎない。
ジャンヌの発言は、「王国の支配者は神である」という信心深い宗教家の見解と一致していた。
ジャンヌが独力でこの言葉や考えを思いついたはずがない。
彼女は明らかに、「予言にロレーヌを追加した件」ですでにその影響を認めた聖職者の1人から教唆されていたが、現在まで、その人物の痕跡は完全に消えている。
霊的な事柄に関して、ジャンヌは何人かの司祭に相談していた。ゴンドルクール・ル・シャトーのアルノラン師や、彼女の告解師(懺悔聴聞僧)であったムーティエ・シュル・ソーの司祭ドミニク・ジャコブ師などである。[339]
これらの聖職者たちが、イングランドの飽くなき残酷さ、ブルゴーニュ公の傲慢さ、王太子の不幸についてどう考えていたのか、わからないのが残念だ。
そしていつの日か、我らが主イエス・キリストが庶民の祈りに応えて、シャルル六世の息子シャルルに王国を「信託」で与えてくれることを願っていたのかどうか。
ジャンヌは、これら聖職者の誰かから神権主義的な思想を吹き込まれたのだろう。[340]
ジャンヌがロベール卿と話している間、ロレーヌの騎士であるベルトラン・ド・プーランジがそこにいた。彼は、ゴンドルクール近郊に土地を所有し、ヴォークルールの司教区の役職(provostship)に就いていた。[341]
当時36歳くらいだった。
彼は教会の聖職者と親しく付き合い、少なくとも信心深い人たちの話題に詳しかった。[342]
彼は、このときジャンヌを初めて見たかもしれないが、おそらく彼女の噂を聞いていた。そして、ジャンヌが善良で信心深い人だと知っていた。
12年前、ベルトラン・ド・プーランジはドンレミ村を頻繁に訪れており、この地域のことをよく知っていた。あの「女神の木」の下に座ったことがあり、ジャック・ダルクとロメ夫婦の家に何度か行ったことがあるので、彼らは善良で正直な農民だと知っていた。[343]
ベルトラン・ド・プーランジは、ジャンヌの言動に感銘を受けたのかもしれない。
だが、それよりも、この騎士は、現在知られていない「ジャンヌを導いた聖職者」と繋がっており、フランス王国と教会のために、農民の女預言者がもっとよく奉仕できるように指導していた可能性が高い。
いずれにせよ、ベルトランは将来、ジャンヌの強力な支えとなる友人になった。
しかし、情報が正しければ、ベルトラン・ド・プーランジはこの時点では何もせず、何も話さなかった。
おそらく、町の司令官であるロベール卿が、ジャンヌの話をもっと好意的に聞けるようになるまで待った方がいいと判断したのだろう。ロベール卿は、これらすべてをまったく理解していなかった。
ベルトラン・ド・プーランジにとって明らかだったのは、ジャンヌは立派な従軍者になり、兵士たちに愛されるだろうということだ。[344]
ロベール卿は、ジャンヌを連れてきた農民を追い返す際、当時よくありがちなしつけに従って「この娘を父親のところに連れて帰り、耳をしっかり叩くように」と忠告した。
ロベール卿は、子供を懲らしめる体罰は正しいと信じていたので、ラッソワ叔父さんに何度も「ジャンヌを家に連れて帰り、よく鞭打つように」と勧めた。[345]




