1.6 領主と農民とならず者たち
封建的な領主権に関して、ドンレミ村は南北で2つに分かれていた。
ムーズ川沿いの城と約30軒の農家がある南部は、ブルレモンの領主に属しており、フランス国王から封建領地(封土)として与えられたグランレクール城の領地に属していた。
そこはロレーヌとバルの一部だった。
修道院がある村の北部は、モンテクレールとアンデロの司教区に属し、シャンパーニュ地方のショーモン管区に属していた。[217]
ヴォークルール方面の街道を挟んで隣接するグルー村の一部を形成しているように見えることから、ドンレミ・ド・グルーと呼ばれることもあった。[218]
ブルレモンの農奴は、西側の近くを流れている小川によって王の臣民から隔てられていた。この小川は3つの水源から流れ出ているため「3つの泉の小川」と呼ばれていた。
小川は教会の前にある平らな石の下を静かに流れ、その後、急な坂を下ってムーズ川に流れ込んだ。ムーズ川はジャック・ダルクの家と向かい合っており、その左側を通過して、シャンパーニュ地方とフランスの土地に流れていった。[219]
(筆者は)ここまでの話にかなり確信を持っているが、当時知られていた以上のことを知るには注意が必要だろう。
1429年、シャルル王の評議会は、ジャック・ダルクが自由民なのか農奴なのかを確信していなかった。[220]
ジャック・ダルク自身も、おそらくそれ以上は知らなかっただろう。
小川の両岸にあるロレーヌ地方とシャンパーニュ地方の人々は、どちらも同じように苦労と苦難に満ちた人生を送る農民だった。
彼らは異なる主人に統治されていたが、それでも密接に結びついたひとつの共同体、ひとつの農村家族を形成していた。
彼らは、利害関係、生活必需品、喜怒哀楽の感情、すべてを共有していた。
同じ危険におびやかされ、同じ不安を抱えていた。
ヴォークルールの城(castellany)の最南端に位置するドンレミ村は、東はバル地方とシャンパーニュ地方、西はロレーヌ地方に挟まれていた。[221]
ロレーヌ公爵とバル公爵、ヴォーデモン伯爵、コメルシーの騎士(Damoiseau:貴族の子弟)、メッス、トゥール、ヴェルダンの司教たちは、常に互いに戦っていた。彼らは恐ろしい隣人だった。
しかし、それは王子同士の喧嘩だった。
村人たちは、昔話に登場するカエルが草原で闘っている雄牛を眺めるように、彼らを眺めていた。
哀れなジャックは、青ざめて震えながら、これらの獰猛な戦士たちに踏みつぶされるのを見ていた。
キリスト教世界全体が略奪に明け暮れていた時代に、ロレーヌ辺境の兵士たちは世界で最も有名な略奪者として知られていた。
ヴォークルール城の労働者にとって不幸なことに、この領地近く、北方に、略奪で生計を立てているコメルシーの貴公子、ロベール・ド・ザールブリュックが住んでおり、特にロレーヌでの略奪行為を習慣にしていた。
彼は、「焼き討ちのない戦争は、マスタードなしのチタリング(腸詰め料理)と同じように役に立たない」と語ったイングランド王と同じ考えの持ち主だった。[222]
ある日、コメルシーの貴公子は、農民が避難した小さな要塞を包囲すると、手下をどのように配置するかをより明確にする口実で、周辺の作物に火をつけて一晩中燃やし続けた。[223]




