疑念
トラックを半周ほど流して、スタート位置に戻る途中だった。
ふと、視線を感じる。
視線の方に目を向けてみる。
校舎の壁は、ところところ塗装が剥がれていた。
真っ白だったはずの外壁は、日に焼けて薄い灰色になっている。
窓枠の金属は少し錆びていて、ガラスには細かい傷がついている。
やっぱり総凌の校舎は綺麗とは言い難い。
でも古いなりに整備はされていて、「使われている場所」特有の匂いがあった。
そんな校舎の1階。
運動場方面にある靴箱前に彼女は立っていた。
……宮瀬だ。
腕を組んで、こっちを見ている。誰かと喋っているわけでもなく、スマホを触っているわけでもない。ただ、じっと。
「……?」
気づいた瞬間、目が合った。と思ったら、すぐ逸らされた。
なんだ今の。
もう一度スタートラインに立つ。ブロックの前で、軽く足首を回す。
……いや、待て。
さっきから、何本か走ってるけど。そのたびに見える。あの位置にいないか?
校舎の影。フェンス際。微妙に距離があって、見てるかどうか分からない場所。
――もしかして。
「……俺のこと、好きとか?」
前も突然話しかけてきたしな。確かに俺はイケメンとまでは行かないが顔は悪くないはずだし、有り得なくは。。。
そんなことを思った瞬間、恥ずかしさが一気に来た。
何考えてんだ。自意識過剰すぎる。
スタートの合図がかかる。
「オン・ユア・マーク」
構える。余計なことを考えるな。
号砲。
一歩目。
二歩目。
地面を押す感覚が、少し遅れる。
上体が早く起きる。腕が先に振れて、脚が追いつかない。
――固い。
自分でも分かる。
スピードに乗る前に、力を使いすぎている。加速に入るまでが、どうしても重い。
50メートルを過ぎてから、ようやく流れが合う。ピッチとストライドが噛み合ってくる。
遅いわけじゃない。でも、強くもない。
ゴールして、惰性で数歩流す。
久我先輩が、少しだけ顎を上げた。
「今の、出だし」
「……はい」
「脚より、先に気持ちが行ってる」
それだけ言って、目を逸らす。
難しいことを言われているのは分かる。でも、少しだけ、分かる気もした。
――焦ってる。
誰かに追いつきたいとか。置いていかれたくないとか。
そういうのが、全部、最初の一歩に出ている。
ふと、フェンスの方を見る。
また、宮瀬がいた。
今度は、こっちを見ていない。でも、なぜか、さっきより近く感じた。
……いや、集中しろ。
全体練習が終わり、トラックに集合がかかった。
監督が、いつもより少しだけ前に出る。
「来週、記録会をやる」
ざわっと空気が動く。
「市内大会のメンバーを決める」
それだけで、十分だった。
「全員、条件は同じだ。 自己ベストも立場も関係ない。 “今、走れるやつ”を出す」
視線が、自然と短距離組に集まる。
茶南先輩と庵原先輩は、いつも通りだ。変わらない。
今の俺は久我先輩に勝てるのだろうか。
走ってみたら意外と大丈夫なのかもしれない。
でも――
俺は、さっきの一歩を思い出していた。
固いスタート。遅れた加速。
走りは、正直だ。
見てる人は、ちゃんと見ている。
フェンスの向こうに、宮瀬がいる気がして、でも、振り返らなかった。
次に見るときは、走ってる最中でいい。




