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0.01秒の距離  作者: 桜田門外
1年生編
2/3

本物の速さ

校舎と隣接した運動場には、直線のタータンが3レーン分だけある。

その横に、古い部室棟が並んでいた。


部室棟の前には20人ほどの人だかりができていた。

1年生だけでは無さそうだ。上級生らしき人たちもいる。


いきなり、周りを見渡していた一輝が突然こんなことを言い始めた


「にしても公立にしては綺麗だよなここ」


「最近、壁を塗り直したらしいぞ。それより、早く行かないと初日から怒られる」


小走りで人だかりのところまで向かうと、集団の前には監督と2人の先輩が立っていた。


「あれがさな先輩だよ」


一輝が小声で言った。


「さな?……あの、鈴木茶南?」


思わず声が裏返る。


鈴木茶南。

二年前の全国中学校体育大会で、100メートルと200メートルの二冠。名前を知らない陸上部員の方が少ない、うちの県の大スターだ。


YouTubeの配信で見た走りを、今でも覚えている。

スタートではあまり前に居ないものの、中盤から一気に前に出て、そのまま誰にも追いつかせなかった。


――別の世界の選手だと思っていた。

その本人が、目の前にいる。

思っていたより、背は高くない。

派手さもない。

ただ、立っているだけなのに、周りの空気が少し張り詰めていた。


「噂の先輩って……茶南さんだったのか」


そう呟いた瞬間、胸の奥が、わずかにざわついた。


「一年、集まれ」


監督の声が、空気を切った。


「今日は測定だ。2、3年生 の後に1年。100と、リレー適性を見る」


ざわっとした声が広がる。

監督は一度、全体を見回し、

そして―― 一瞬だけ、白井の方を見た。

目が合った、気がした。

ほんの一瞬。だが、その視線は、値踏みというより、何かを確かめるようだった。


「……準備しろ」


監督の合図で、先輩たちが準備に入る。アップはもう終わっているらしく、無駄な動きはない。


「茶南、庵原。お前らから始めろ。」


名前を呼ばれただけで、空気が静まった。


「俺最初がち?しゃばいな」


茶南はそんなことを言いながら、スタートラインの後ろに立つ。


次に前へ出たのは、庵原だった。


茶南のあとだというのに、

ざわつきは起きなかった。


そのあとに庵原は何も言わず、黙ってスタートラインに立つ。

2人は軽く足踏みをして、前を見た。

構えは深くない。力んでいる様子もない。


――速そう、というより、余裕がある。


「オン・ユア・マーク」


静止。


号砲。


茶南の最初の一歩は、正直言って普通だった。前に出たのは、むしろ庵原だ。


「……あれ?」


そう思った瞬間、60メートルを過ぎたあたりで、景色が変わる。


茶南のストライドが、目に見えて伸びた。地面を蹴る音が、一定になる。


庵原のピッチ先程よりも上がっているのにストライドも伸びている。


一歩一歩が、無駄なく前に進んでいく。

――来る。


80メートル。


並ぶ。


90メートル。

茶南は一気に抜けた。

跳んだのようにも見えた。


庵原さんは、最後まで崩れなかった。

茶南さんは、最後で景色を変えた。

同じ速さでも、種類が全然違う。



「こういっちゃんやっぱスタートはっやいなまじ! そろそろスタート負けんのどうにかしてーよー」


茶南先輩が笑いながら言っている。

まるで、さっきの勝負が「確認作業」だったみたいに。


「俺もお前に抜かされなければいいんだけどな。」


その後も多くの先輩たちが走っていたが、あんなに目を惹き付けられる走りをしていたのはあの2人だけだった。


「次、白井と中村」


「やっとだ!」


待ちくたびれていた一輝が嬉しそうな声を上げた。

名前を呼ばれた俺たちは並んでスタートラインに立った。


「まっけないぞー」


一輝はやはり。優しいな。


「はいはい」


俺はとっくにお前に勝てるなんて思ってもないのに。


「オン・ユア・マーク」


静止


号砲


『80だ。80mまで耐えられれば。』

そんなことを思って出たスタート。

地面に素直に体重が乗った。

1歩目から手応えを感じられた。


40m

まだ来てない 。


自己暗示するように相手を意識してこんなことを思ってしまう。


50m

いける―――


そう思ったのもつかの間。

60mになることには一輝に並ばれた。

足が空回りしているようだった。


ゴールした時には一歩分程の差つけられていた。


疲れた。それだけが、頭に残っていた。

一輝が何か話しかけてきていた気がする。返事をしなかったらしく、肩を叩かれた。


監督の期待に応えられなかった、というより、期待されている形が、まだ分からない。


その後も何人かが走り、挨拶をして、初日の練習は終わった。


帰ろうとした時だった。


「白井。中村」


記録用紙を持ったまま、監督が呼んだ。


「お前ら、残れ」


「なんか俺らしちゃったかな?」


一輝が心配そうに聞いてきた


「大丈夫だろ」


俺はそう返すしか無かった


「お前たちもだ」


監督は俺たちと同じく帰る準備をしていた茶南先輩達に向かってそういった。


俺たちは部室の中に集められた。


茶南先輩と、庵原先輩と。あの二人は誰なんだろう。

俺は正体を聞こうと一輝に話しかけた


「おい、かず―」


「お前らが今夏のリレーメンバーだ」


監督が突然こんなことを言い出した。


「えっ、俺らがっすか!」

裏返った声で一輝が聞く。


一輝と俺の声が、重なりかけた。

だが、声になったのは一輝だけだった。


茶南先輩がその時声を上げた。


「たしかにこいつら今日速かったもんね!だいかんげーでっせ」


「お前が決めることではないが、そういうことだ。だが出場メンバーは完全には決めていない。3走に庵原、4走に茶南を使う。1走を白井と"久我"、2走を中村と"柊木"のどちらかにする。」



つい久我先輩の方を見てしまった俺と先輩の目が合ってしまった。


「……そうですか」


久我先輩は、それだけ言って頷いた。


一輝と2走の座を争うらしい柊木先輩は、少しだけ背筋を伸ばしていた。


「まっ、はしればわかるってやつだね」


茶南先輩が楽しそうな顔でそんなことを言った。


「本メンバーはこれからの練習を見て決める。5月の市内総体の1週間前までが期限だ。今日はもう帰れ」


最後に監督と先輩たちに挨拶だけして今日は帰ることにした。


俺がリレーメンバーで走れることなんてあるのだろうか。

次回「先輩」

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