09. 淑女にして怪人、オード
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オードに続いて玄関扉を出たところで、オルスカは何気なく背後を振りあおぐ。
うっ、と息が詰まりそうになった。
そこは赤石材の輝く、壮麗なお屋敷だったのである。中身が豪奢だったから、ある程度の予想はしていたけれど。こんなところに自分は滞在していたのか、とオルスカは身の縮む思いがした。
ジルゼリー邸よりずっと規模は小さいが、周りの花灌木と平らな花壇の寄せ植えが、緑と赤の彩りを添えている。丁寧な手の入れように、豊かさが映っていた。
くるっと見回せば、前庭は背の高い生け垣に囲まれている。さっきオードは、ここが安全だと言っていた。確かに市の中心地ではなさそうだし、周りは静か過ぎるほどである。
きゅきゅきゅっ、軽い車輪の回転音がした。屋敷の裏手から、前庭を貫く白い道に馬車が入って来てとまる。
少し古い型の、天蓋付き軽量二頭馬車。執事風に黒い衣を着た老人が、御者台で頭を下げた。
「ありがとう、じいや。さあ乗って、オルスカ」
側扉をオードが開けて、肩を押されオルスカは乗り込んだ。
狭い箱馬車の座席におさまって、オルスカは改めて不安を覚える。
「……どこへ行くんですか? これから」
からからから……。
馬車が動きだしたところで、オルスカは右脇のオードに問うてみた。
深い紺色の外套襟をきちっと高く立てたオードは、黒い手袋をはめた手に杖を握っている。淑女が持つ杖とはかなり趣の異なる、ごつい黒木の杖だった。
「手始めに、イガラマ街へ行ってみよう。まさかとは思うが、ジルゼリー卿が≪ネザヤ玻璃の青皿≫を本当に悪徳業者に流してしまった、ということがあったりするかもしれない!」
「ありえませんよッ」
「うむ、そうだなオルスカ! だからこそ、そうでないことを確かめられれば良くないだろうかー!」
まじめなのだか、ふざけているのか……。オードの本心は、オルスカには読めない。
オードは一見、落ち着いた大人の貴族女性に見える。しかしオードの話し方には、どうもどこかで冗談めかしているような、子どものような口調がまじった。
――でも。このひと、昨夜はあんな亡者みたいな……お化けの顔になっていたわ! どういうからくりなのだか、分からないけれど。
オードの微笑する褐色の瞳の向こうに、白っぽい髑髏の顔を思い出して、オルスカはぞくりと背筋を震わせた。
やっぱりオードは不気味だ。普通の人間に見えるけれど、絶対そうじゃないとオルスカは直感する。現に、お化けの姿になっていたことを否定しなかったではないか。
――怖い。
胸の中に湧いた正直な感情に従い、オルスカはそれ以上オードに何も言い返さなかった。
目を伏せ、次いで馬車窓のほうへ顔を向ける。視界に入るのは、見慣れない風景だった。
緑の樹々に囲まれた古い屋敷が連なる、住宅地のような場所。
オルスカは住み込み勤め先である、ジルゼリー邸とその界隈のことしか知らない。
そこは市中でも高級住宅の集まる一画だったが、樹々の旧さ大きさは、こちらの方が上だった。
「ここは市の南はずれにある、レクエル谷郷だよ。きみを見つけたのは、あそこのネメル大橋の上だったね」
「……」
死に場所を探して、薄暗い中あてもなくさまよい歩いた場所のことを、オルスカはよく憶えていなかった。
オードが自分側の窓から指さしているが、オルスカに橋の姿は見えない。土手に生えているとおぼしき樹々の列が、遠く視線の先を流れていくばかりだった。
「イガラマ街のある南区には、四半刻もかからないよ。変装の頬かむりは、そのままにしておきなさい」
そう言われて、オルスカは頭を覆った黒い布の端を両手で引っぱる。
豊かにふくらんでよく目立つ、金の巻き毛を隠すための≪変装≫だった。ジルゼリー卿にとり世間にとり、すでに亡者となっているはずの自分を、誰にも見てとられないように。
「赤みがかった金菊のような、みごとな巻き毛を隠すのはもったいないけれどね。場合が場合だから、今きみは目立ってはいけない」
「……はい」
ここは素直に、うなづいた。
確かに生きているけれど、オルスカは死んだことにもなっている。じきにそうなるのだから深く考えないでいい、と思いはするが、オルスカは妙な感覚にとらわれていた。
ぽっかりとした空虚に、宙ぶらりんになったような。そう、ちょうど昨夜あの橋の上で、オードに抱かれ空に浮いていた時に似ている。
そこはどこなのだろう……。生と死のあいだの、境のようなあいまいな場所だろうか。




