03. 朝食と慟哭
「わたしはオード。きみの名は? お嬢さん」
「……オルスカ、と言います」
気おくれで縮こまりそうなオルスカのために、オードは椅子をひいて座らせる。
色々なにおいの混じりあう台所は暖かく、湿気に満ちていた。
ここも豪華な厨房だ。大きなかまどにどっしりした食器棚の数々、しかし高い天井まぎわを彩る壁瓦には陽気なひまわりの意匠が描いてあって、こじゃれた田舎風である。
「いらっしゃいまし。オルスカさん」
中央に置かれた食卓の上には、ひとり分の皿と食器とが置いてある。そこにすうっと椀を差し出してきたのは、がっしりした体型の中年女性だった。白い前掛けをしめて、厨房係の女中だろうか。どうにもお上流なところだ、と察してオルスカはますます気おくれを募らせた。
「さあ、お白湯をどうぞ。ぱんと果物がございます。お腹が空いているのでしたら、卵で何かこしらえましょうか?」
「いえ、あの……いいんです、結構です」
「遠慮せずに、おあがりよ。オルスカ」
中年女性とオードにすすめられて、仕方なくオルスカは湯飲みの椀を手に取った。
――こんな時に、ものを食べるなんて……。
そんな風に思ったのは、束の間である。白湯を一口飲み、ぱんの端をかじったところで、オルスカの身体は飢えと渇きを思い出す。
「……!!」
気が付いたら、夢中で食べていた。
つぶつぶ雑穀ぱんにたっぷり牛酪の層をぬりつけて、いったい何片たいらげただろう?
中年女性が微笑して、目の前で卵を三つ炒ってくれた。窓辺の鉢から葉っぱをむしって、塩と一緒にぱらり……。
平鍋からお皿へと産地直送、炒りたて金色たまごのほかほか湯気に、目ほうき草の芳香がまじる。ああ、おいし過ぎる!
食卓の上には、くだもの籠が載っていた。そこから誰かが、下にむかってふくよかな緑の梨をとって切り、赤いりんごと一緒に四つ切りにしたのを脇に置いてくれる。
誰が切ってくれたのか、オルスカは見なかった。見ないほどに、飲み食べるのに夢中でいる。口の中いっぱいに、おいしいもの温かいものを噛む……!
よく考えたらもう一日以上、何も食べていなかったのだ。お腹が空いていて当たり前なのである。
――でも。なんでそんなに長いこと、食べていなかったのだっけ……? あっ。
「んぐっ」
「なんだ、どうしたオルスカ。りんごが喉につっかえたか」
「あららら、お白湯をあげましょう」
オードの長い腕がのびてきて、とんとんとオルスカの背中を叩いた。
「あの。わたし、死ぬはずだったのに」
ぼんやりしていた頭が、ようやくしゃっきりとする。オルスカは食卓の角に座る、背の高いオードを見た。
「なんで生きて、朝ごはんなんて食べているんでしょうか……」
「何で、って。そりゃあわたしが、きみを止めたからね? 力づくで」
ばし、ばしばし……。オルスカは目をしばたたかせる。
すぐ近くに座る、オードの顔を見つめた。オルスカよりもずっと年上の妙齢女性は、きりっと太い眉毛をしていて、どちらかと言ったら男性的に整った顔立ちだ。
「……あなたが? けれど、大橋の上で――」
オルスカは言いかけて、息を飲む。
記憶が一挙に、頭の中にあふれてきた。
世界とすべてに別れを告げるはずだったあの瞬間、暗闇の中で彼女を抱きしめたのは……。
星明りにきらめいていた、あの髑髏の顔!!
「それじゃ、……それじゃあなたが! あのお化けっ……!?」
がたっっ!
オルスカは立ち上がった。次いであとじさった。身体が震え出している。
――そうだ。あんな場所で、曲芸師みたいにわたしを抱えて、宙に浮いて……! このひと、人間じゃないっ!
「いやいや。そう見えたかもしれないけれど、正真正銘わたしは人間で……。あ、逃げた」
取り乱して、オルスカは台所の出入り口から跳び出した。
昨夜見たあの恐ろしい骸骨の顔が、……こわい。怖い!
長い廊下の終わりに、玄関らしい扉が見える。その大きな取っ手に、オルスカはとびついて引っぱろうとした。
「食べたばかりで走っては、消化にわるいよー。オルスカ~」
「は、は、はなしてぇっっ!」
ふいと左肘にまとわりついてきたオードの手を、オルスカが振り払おうとした時だ。
ばさり!
向かい合う形になった、小さなオルスカと大きなオードの間。かさばる何かが、床に落ちた。
「!!」
朝刊だ。※1
扉のたより口から落ちた今朝の新聞が、二人の足もとに広がっている。
反射的に視線を落としたオルスカの眼に、その見出しが入ってきた。
≪ジルゼリー卿、宝物横領の疑惑を全面否定!≫
そのくっきりした太字を見て、震えていたオルスカの身体が凍りつく。
ふわり、と軽い動作で屈みこんだオードが、その朝刊を拾い上げた。
「なぜ泣くんだ、オルスカ?」
「……あなたの、せいよ!!」
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※1「新聞」
ティルムン文明圏においては、定期的に発行される情報媒体がおもに都市部で普及している。日刊の情報通信布は新聞と呼ばれ、発行時間帯により朝刊、夕刊と区別して称される。この場合は定期購読の契約をしているらしいオードの在所に、朝刊の新聞が配達されていた、ということ。(訳注、バンダイン)




