01. 若く美しいきみを、死なせはしない
※原題『髑髏仮面夫人の静かなる鉄槌』
イリー語訳:アイーズ・ニ・バンダイン
初版発行:イリー暦178年 オウゼ書房(ファダン大市)
とっぷりと暮れた宵、である。
どこまでも広がる闇の空に、満天の星々が輝き始めていた。
誰かとともに見上げて――あっ、すばる七乙女!
そんな風に明るい声を上げるにふさわしい、絶景だと言うのに。
――わたしさえ、消えてしまえば。
白く煙る息だけを寒気の中に吐き出しながら、若い女は震えていた。
たしかに寒い、……けれどそれだけではない。
もうすぐ永久に別れなければならないこの世界、自分の生命から、女は未練を断ち切ろうとしているのだ。
――わたしがここから、消えてなくなれば。わたしが死ねば。彼は栄光の人生を歩むことができる……。
女は、ゆっくりとまばたきをした。
――そして彼はわたしを、永遠に想い続ける。だから、踏み出して……。跳ぶのよ、オルスカ!
若い女は、想い人の笑顔を小さな胸いっぱいに思い浮かべた。オルスカ、と彼女の名を呼ぶ、そのいとおしい声とともに。
――わたしの身体が滅びても。わたしの恋は、彼の中で生き続ける……。
ほろ・ほろり。
ふた筋の熱い涙が、オルスカの頬を伝った。それでオルスカは、にこりと笑う。決意がかたまった。
野菊の花の核のような、赤みがかった金色の巻き毛が肩先で揺れる。豊かなこの髪が、秋の陽にきらめくことは、もうないのだ。
誰も通る者のいない、夜の大橋半ば。欄干の真上によじのぼって、オルスカはすっくと立つ。
両腕を大きく広げ、飛び立つ鳩の形をとる。
小さく想い人の名をささやいて、オルスカは真下の大河に向かい羽ばたいた。
両足の裏に思いっきりの弾みをつけて、欄干を蹴る。
星空と真っ黒い水面のさざ波立ちとが、オルスカの視界に満ちた。
その、一瞬。
がしり!
強大な力が、オルスカを背中から抱きしめた。
「え? えええーっっっ」
突如いだかれたそのあまりの力強さ、荒々しさにびっくり仰天して、オルスカは叫んだ。
誰かが……何かが、彼女の計画を阻害した!?
「は、放してちょうだいっ」
――いけない! これじゃあの人が……! わたしは彼を、救えなくなる!!
「はなせないな」
耳元で囁かれた低い声は、女性のものだった。
さらにたまげたオルスカが、胸と腹とに巻きついた何者かの腕をほどこうと身体をよじると、……宙に浮いているのである。
「きゃあああーっっっ」
はるか高みの星天と、真下の水面闇に挟まれた空の中。オルスカをがっしりと抱え込んで、浮いている誰か。
混乱のさなか、後ろ向きに顔をねじったオルスカの視界の端に、長細い棒のようなものが見えた。
浮いているのではない。オルスカを後ろから抱きとめている人物は、その棒の上にいる。
橋の欄干にひっかけた巨大な槌鉾、河にむかってせり出したその柄の先端に、立っているらしいのだ!
なんという均衡。落ちるべきところなのに、……落ちない。
オルスカは、いまやがたがたと震え出していた。
「きみは若くて、美しい。わたしはきみを、死なせないぞ」
低い声の源を、オルスカはゆっくり見上げた。
彼女をその胸に抱きしめ、死から隔てて守っているのは……。
髑髏。
にぶい星明りにきらめく、その人の顔面は髑髏だった。
「あああっ……」
緊張と恐慌とが、限界に達する。
亡者のごとき怪人に支えられたまま、オルスカはがくりと意識を手放した。




