表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/25

《第8章:鍵が開けたのは》



夜都は、夢のようでいて、醒めることのない街だった。

その静寂は眠りではない。息を潜めながら、確かに何かを待っている。


弥生は、無人の本屋の前に立っていた。

あの小さな鍵を、掌の中でそっと握りしめながら。


「……どうして、ここに」


見慣れたはずの扉に、見たことのない“鍵穴”が浮かび上がる。

まるでそれは、ずっとそこにあったのに、今になってようやく目に映ったかのようだった。


迷いながらも、鍵を差し込む。

カチリ――乾いた音が響き、扉が音もなく開いてゆく。


 


中にあったのは、書棚ではなかった。

棚に並んでいたのは、“記憶の断片”だった。


光の粒となった想い出たちが、静かに呼吸しながら、空気の隙間を舞っている。


そのなかの一冊が、ふと弥生の足元に落ちた。

拾い上げると、その紙はやわらかく、どこか心臓の鼓動のように温かかった。


本は、自らページをめくる。

そこに、ひとつの言葉が浮かんでいた。


――「泣いてはいけない、と言ったのは、あのときの私だった」


息が止まった。


忘れていたはずの記憶が、波のように胸を叩いていく。

あの日の夕暮れ。

涙をこらえて背を向けたこと。

母の冷たい背中。

祖母の、小さな温もり。


「……これ、わたし……?」


言葉は喉の奥に沈んだまま、声にならない。

けれど、確かに知っている。


この鍵が開けたのは、本屋の扉ではなかった。

心の奥に閉ざされていた、記憶の部屋。

その入口だったのだ。


夜都の空が、ふたたび微かに軋んだ。

その音は、やさしさと痛みを等しく孕んでいた。

まるで、誰かが、遠くでそっと泣いているような音だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ