《第2章:影を歩く者》
闇が息を潜め、街が眠るころ、男は“逆光通り”にいた。
無数の影が歩くこの場所では、正面から人の顔を見ることができない。
誰もが“誰か”の形をしているが、その正体はひとつも確かではない。
アレンは立ち止まり、遠くに滲んだ光を見ていた。
夕焼けのような光。だが空には太陽がない。
ここはずっと、沈まぬ黄昏に照らされている。
「……また、ここか」
口にした自分の声が、耳にとって異物だった。
まるで他人が発したような、借り物の響き。
彼は、ここに来るたび、誰かの“記憶”を踏んで歩いている気がしていた。
足元のアスファルトが、うっすらと軋む。
その音に混じって、どこかで囁く声がする。
振り返っても、誰の姿もない。
影が語るのは、いつも過去ばかり。
そして彼らは決まって、こう告げる。
――「真実は見ない方がいい」
それでもアレンは立ち止まらない。
この街を出る方法を、探している。
あるいは、自分が誰なのかを知る術を。
胸の奥に刻まれた命令がある。
「少女を殺せ」
なぜそんな言葉だけが、自分の中に残されているのか。
それが何よりも忌まわしく、同時に唯一の“真実”であるように思えてならなかった。
……その少女の顔を、彼はまだ知らない。
ただ、声だけがある。
夜の空気に滲んだ、柔らかくもどこか痛ましい声。
心の奥に触れようとする、壊れそうな感情の波。
アレンは、何かを思い出しかけていた。
だが、記憶が溶ける音が、背後から近づいてくる。
影人たちがこちらを嗅ぎつけたのだ。
思考を断ち、ナイフを抜く。
ここでは、迷いが命を落とす。
アレンは一度だけ、沈むように笑った。
その笑みは皮肉にも、どこか“懐かしさ”の匂いをまとっていた。
――名前もわからない少女。
君は誰だ。
そして、なぜ、僕は……。
言葉にならない問いを胸に抱えながら、アレンは再び闇のなかを歩き出す。
足音だけが、夜都の石畳に響いていた。