《第1章:止まった時計と夢の声》
目を開けたとき、弥生は広場の中心に立っていた。
靴の下で、大理石が冷たく光っている。広場を囲む建物たちは、まるで眠るように沈黙していて、どこか遠くから、鐘の音だけが響いていた。
目の前には、黒ずんだ巨大な時計塔がそびえている。針はもう、どれほどの時間も動いていないのだろう。
それでも弥生には、それが“見張っている”ように思えた。
空は墨を溶かしたように曖昧で、星の位置さえ定まっていない。
街の灯がかすかに揺れている。その明かりの一つひとつが、人の記憶の残響であることを、弥生はまだ知らない。
「……またここなの?」
呟いた声は、まるで水底に沈むように静かに消えた。
夢のなかでだけ訪れるこの都市――夜都。
それが現実なのか幻想なのか、彼女には判断がつかない。けれど、ここには“確かに何か”がある。そう確信している。
床の大理石のあいだから、泡のように何かが浮かび上がる。それは、ぼんやりと光る淡い記憶の断片。
手を伸ばすと、ふっと消えた。
「何を、思い出せばいいんだろう‥‥。」
声に出した瞬間、空気がわずかに震えた。
そのとき――
どこからともなく、音楽が流れた。懐かしい旋律。けれどそれが何の曲かも、誰の声かも思い出せない。
ただ、心の奥が、強く締め付けられる。
「君がすべてを思い出すとき、夜は終わる」
あの声が、また囁いた。
弥生は立ち尽くしたまま、止まった時計を見上げる。
時は、まだ動かない。