九、小さな背中
近くで大きな事件が起きようともいつもの日常が来るのは無関心なのか、過去を引きずらず前に進む強さなのか。そんな日常に身を置く壮介もまた、事件の中心にいて腕を怪我したというのに今は、クラスメイトの蒐場がどのような態度をとるのかが気になって仕方ない。
「調子に乗って騒ぎ過ぎたかぁ……はぁ~」
会計のときに出会えたら一言謝ろうと思ったが、タイミングが悪く別の人に会計をしてもらった結果それは叶わなかったので今日に持ち越しになったのである。
成り行とはいえ柊依と二人で食事することになり、正直浮かれていたなと壮介は反省する。
ふうーっと大きく息を吐き、呼吸を整えたところで突然後ろから声がかけられる。
「壮介」
壮介が慌てて振り返ると、自分をじっと見上げる柊依の姿があった。
「靴箱の前でなにやってんだ?」
「あ、いや……別になんでもないんだけど」
「そうかなるほど。壮介はこの場所が好きなのか?」
昨日あなたと一緒にいて浮かれていたことを反省していました。なんて言えるわけもなく、かといって上手い言い訳も思いつかずただの靴箱エリアが好きな人と勘違いされる。
「別にここが好きではないんだけど……そ、それよりも番傘を教室に持っていってもいいの? 担任から注意されたよね」
「おう、問題ない。校長に根回しして許可もらったから大丈夫だ」
「いやいや、校長先生に許可もらうって、いったいどんな権力者だよ」
番傘を持ったまま教室に向かう柊依を追いかけ、壮介はツッコミを入れると並んで廊下を歩く。
「神坂家は柊依をこの学校に編入させ、学歴を改ざんできるくらいの力はあるぞ」
「いや、学歴を改ざんって……サラッととんでもないことを言ってるけど。そういえば、帰国子女って言うのも……うぐっ!」
「声が大きいぞ」
腹にパンチをくらい、その威力に思わず壮介は息を飲みこんでお腹を押さえる。
「み、見えない速度でツッコミ入れるのやめてくれないかな……」
「人の秘密を探るのはデリカシー不足だ。今のは壮介が悪い。反省しろ」
「デリカシー不足って……」
お腹を押さえながら壮介は柊依の鋭い視線を受けて、言いかけた言葉を飲み込む。
「教室に行くぞ」
手をパタパタさせてついてこいとジェスチャーする柊依に壮介はしぶしぶ従う。背丈こそ小さいが、どこか独特の迫力を持つ柊依が堂々と歩くその背中を追う自分は小さいなと思いながら歩く壮介が突然止まった柊依にぶつかりひっくり返って廊下に転がる。
「いたたっ、なんで突然止まったの……⁉」
結構な勢いでぶつかったはずなのによろけるどころか、堂々と立つ柊依を廊下に座り込んで見上げる壮介の視界に二人の男子生徒と一人の女子生徒の姿が映る。
「なんだお前ら?」
自分の二回りは大きい体格の男性生徒に思わず身をすくめる壮介だが、柊依はいつも通りの眠そうな目を向けていつものぶっきらぼうな口調で話しかける。
「なんだとは俺らのセリフだ。お前が噂の帰国子女だな?」
「そうなのか?」
質問に質問で返す柊依に一瞬戸惑う男子生徒の代わりに後ろにいた女子生徒の一人が口を開く。
「とぼけてないで真面目に話しなよ! ちょっと頭いいからってバカにしないでもらえる?」
苛立ち声を荒げる女子生徒に柊依は首をかしげる。その行動がまた苛立ったのか女子生徒が手を振り上げて脅しにかかる。
だがきょとんとした表情の柊依に女子生徒が耐えきれなくなり舌打ちをすると、思いっきり手を振り下ろす。思ってもいなかった展開に壮介は思わず目をつぶってしまう。
パーンっと乾いた音が響き、薄目で見ていた壮介の視界には女子生徒の手首を握って受け止めていた柊依の姿があった。
「離せ!」
「お前が攻撃してきたのにお前が怒るな」
柊依の物言いに苛立ち、乱暴に手を振り払う女子生徒に代わって前に出た男子生徒が柊依を脅そうと手を伸ばし胸ぐらを掴もうとする。
今度は目をつぶることができず一部始終を視界に捉えていたにもかかわらず、いつの間にか手を伸ばした男子生徒が膝を付き自身の腹を押えて息もできないと言った様子で冷や汗をかいていた。そして柊依はいつの間にか三人の生徒たちの背後に立って番傘を肩に担ぐ。
「いきなり危ないやつだな。壮介行くぞ」
「えっ、あ、はい」
柊依に呼ばれ返事をした壮介は何が起きたのか分からず呆然と立ち尽くす三人の横をおそるおそる通り過ぎる。柊依に追いついた壮介は後ろから襲われないかとびくびくする自分のことが情けないと思いながらも、小さな背中を頼りに教室へと向かう。