八、思い出としゅわしゅわと
「学校帰りにファミレスなんて寄っていいのかな」
目の前でメニューを真剣な表情で見ている柊依の姿を見た壮介は、自分で呟いた疑問に「まあいいか」と答えを出すことにする。
「柊依は海老フライが好きだぞ」
「あぁそうなんだ。じゃあ海老フライとライスのセットでいいかな? あとドリンクバーは付ける?」
「ドリンクばー? なんだそれは?」
「ドリンクバーを知らない?」
ファミレスの常識と言っても過言ではないドリンクバーを知らないと言う柊依に壮介はショックを受ける。だがすぐに柊依が帰国子女であることを思い出して、自分の常識にあてはめてしまったことを恥ずかしく思いながら話しかける。
「ごめん、帰国子女だったよね。外国だと珍しいのかな? えっとねドリンクバーっていうのは━━」
「帰国子女? それは嘘だぞ」
「いや、嘘って……もうなにからツッコめばいいか分からないんだけど」
説明しようとした壮介の言葉を遮り、サラリととんでもないことを告白する柊依に驚きよりも、呆れの方が勝った壮介はジト目でメニュー表の横から顔を出す柚葉を見る。
「柊依は学校に行ったことがない。だから、帰国子女という設定にすれば問題ないと言われた」
「いや、設定とかますます意味が分からないんだけど」
「外食なんて久しぶりだ。幼いころに一度だけ母と行ったのを覚えている。そのとき食べたのが海老フライだ」
疑問は多々ある壮介だが、柊依が話す内容から見える普通ではない何かを感じとり、どこか楽しそうにメニューを見る姿に今はそれ以上聞かないことにする。
「じゃあ海老フライと、このAセットでいい?」
「おう、どんとこい」
変わった返事に苦笑しながらテーブルの上にあるボタンを押して店員さんを呼ぶ。
「ご注文をお伺いします……あれ?」
チャイムを聞きつけすぐにやって来た店員さんが注文を聞こうとするが、語尾と視線に違和を感じた壮介が上を向いて店員さんの顔を見る。
普段注文するときはメニューを見て、店員さんをまじまじと見ることなどない壮介が見上げ店員さんと目が合うと「あっ」と一言発っしてしまう。
「藍鞣くん……デート?」
「え、えーっと、これはデートではないんだけど……そ、それよりも蒐場さんはここでアルバイトしているの?」
同じクラスの女子である蒐場と目が合った壮介は、デートの話題から話を逸らすため適当に応えて質問を返す。
「そうだよ、ここでアルバイトしてるんだ。それよりも藍鞣くんは神坂さんとデートなんだ」
だが、すぐにデートの話題に戻されてしまう。どう応えればいいかと悩む間も与えず、メニュー表を倒して姿を現した柊依が目をパチパチさせて壮介を見る。
「壮介、誰だ?」
「いや、誰って……ほら、同じクラスの蒐場夢來さん。覚えてない?」
「ほう、そうなのか」
「そうなのかって……お昼ごろ教室で柊依と番傘の話題で盛り上がってなかったっけ?」
「おお! あのときの!」
思い出したのか手をポンっと叩く柊依と壮介のやり取りをじっと見ていた蒐場が、口元を押さえふふっと可笑しそうに笑う。
「へぇ〜やっぱり仲いいんだ。名前で呼び合うとか恋人同士は違うね」
「あ、いや……違う、これは」
「はいはい、恥ずかしいからってそんなこと言ったら神坂さんが悲しむよ。それよりも注文をどうぞ」
壮介は完全に誤解されたと思いながらも、柊依が転校してきてからここに至るまでのクラスからの自分の評価を思えば、もうどうにでもなれとヤケクソ気味に諦めてメニュー表を指差す。
「海老フライプレートにAセットのドリンクバー付きで。それと、ポテトフライを一つとドリンクバーを単品で」
「はい、ではご注文を繰り返します━━」
蒐場が注文を読み上げるのを聞きながら、いつも見るクラスメイトとは違う姿につい見入ってしまう。
「えっと、なにか御用ですか?」
「あ、いや……アルバイトとかしたことないから、なんていうか凄いなって思って」
適当に誤魔化す壮介の姿を見た蒐場はふっと笑うと、制服を摘まむ。
「ここの制服って可愛いいと思わない? 私オレンジ色って好きだから結構気に入ってるんだけど、どうかな?」
そう言いながらオレンジ色のギンガムチェックのスカートを摘まんでひらひらさせる。
「う、うん。可愛いと思う……」
「ふーん、それって制服が? それとも私が?」
「え? あ、えっと……その、蒐場さんが……です」
顔を赤くして口をパクパクさせ必死に答える壮介を見て蒐場は可笑しそうに笑う。
「もー、彼女の前でそんな優柔不断じゃダメだよ。しっかりしなきゃ。あ、お水とドリンクバーはセルフなので、ご自由にお取りください」
笑いながらハンディターミナルを閉じると、ポニーテールを揺らしながら足早に厨房へと戻って行く。普段教室では結んでいない蒐場の濃い茶色の髪が、ポニーテールになっていることに気づいた壮介は、クラスメイトの違う一面を知れたことに不思議な感覚を感じてしまう。
「壮介」
「え? はい?」
柊依に声をかけられ自分が蒐場が去った後を見つめていたことに気づき慌てて返事をする。
「ドリンクばぁーに行きたい。案内を頼む」
「あぁ、ドリンクバーね。行こうか」
しどろもどろになりながら、結んだ髪をぴょこぴょこ揺らし歩く柊依の背中を壮介は見る。
(この子も知らない一面があるのかな……いや、知らないことしかないし)
自問自答で「知らないことしかない」と結論に至った壮介はドリンクバーコーナーに柊依を先導する。
「このコップを取って、氷を入れてから好きな飲み物のボタンを押す」
「押す? これか?」
「うわっ! まだ押したらダメだって」
柊依がドリンクバーのディスペンサーのボタンを押したのを見て、壮介は慌ててコップを置くとコップにオレンジジュースがそそがれる。
「ほう、反射神経を試されるのだな」
「いや、普通はコップを置いてからボタンを押すの」
感心したように言う柊依に呆れてジト目になる壮介が文句を言う。
「オレンジジュースか……」
普段オレンジジュースを飲まない壮介は、コップになみなみとそそがれたオレンジジュースを見つめる。
「壮介、壮介」
「はいはい、なんでしょう」
名前を呼ばれ適当に返事をした壮介は、いつもよりも目を輝かせた柊依が指さすディスペンサーのボタンを見る。緑色の背景に無数の泡と共に描かれたメロンのシールが貼ってあるボタンを柊依が必死に指さしている。
「メロンソーダ? 飲めばいいじゃん」
うんうんと頷く柊依を見て、日頃感情の起伏が薄そうに見えて意外と感情が見えることにおかしくなり頬を緩めてしまう。
「押せない。押してくれ」
「あ、ああ。なるほど」
指をぴっぴっと振ってメロンソーダのボタンをさす柊依を見て、ボタンに手が届かないのだと気づいた壮介がボタンを代わりに押す。
コップにそそがれ氷を溶かしながら水面が上がっていく緑の液体を興味深げに見る柊依を可愛く感じてしまう壮介だが、表情に出さないように耐える。
そのおかげで不自然に口をぎゅっと力を入れて閉じていることに壮介は気がついていない。
「壮介、泡が出てるぞ! しゅわしゅわだよな」
「しゅわしゅわ? 炭酸のこと? あのさ、もしかして炭酸飲んだことない?」
「炭酸ってしゅわしゅわだろ。知ってるぞ」
「しゅわしゅわって……まあいいけどなんでメロンソーダが飲みたいんだよ」
「あのとき柊依にはまだ早いと言って母は飲ませてくれなかった。だが今は違う」
そう言って柊依が自分の胸を叩く。
「柊依は大きくなった」
「ああ……そうなんだ。とりあえず席に戻ろうか。飲み終わったら、おかわりができるから」
小さな体でえっへんと胸を張る柊依が可笑しくて笑いそうになるのを堪え、冷静を装った壮介が席に向かう。メロンソーダの入った覗き込み上がってきては弾ける泡を、じっと見ながらついてくる柊依がコケたりぶつかったりしないか心配しながら壮介は歩く。
そんな心配をよそに席に着いた柊依は上から覗き込んだり横から見たり、コップを掲げて下から見たりとメロンソーダを見て楽しむ。
そんな様子に笑いを堪えつつ壮介は自分のオレンジジュースをストローで飲む。
見て満足したのか柊依はコップに口をつけるとメロンソーダを勢いよく口に流し込む。
「一気に飲まない方がっ」
「うっ」
勢いよく飲む柊依を慌てて止める壮介だが、時すでに遅しで、舌を出し涙の滲んだ目でしかめっ面の柊依が出来上がる。
「口の中が痛い。それにうっ、っとなる」
「炭酸は一気に飲むものじゃないし。まして初めてならなおさら一気飲みなんてやるもんじゃないと思うけど」
「柊依にメロンソーダを飲むのは難しい。もっと大きくなって挑戦する」
もう一度コップに口をつけ、少しだけメロンソーダを飲んだ柊依が小さく舌を出してコップを壮介の目の前に置く。
そして壮介の飲みかけのオレンジジュースを手に取るとストローに口をつけ飲み始める。
「こっちのが好きだ」
「初めからオレンジジュース飲めばよかったんじゃないの?」
「もう飲めると思ったんだ。だが無理だった。おかわりに行きたいから壮介も早く飲め」
「はいはい……」
柊依とのやりとりを終え、メロンソーダのはいったコップを手に取った壮介があることに気づき固まる。
「あのさ、そのオレンジジュース僕の飲みかけなんだけど……」
「知ってるぞ。柊依はメロンソーダが飲めない。だから壮介がメロンソーダを飲む。早くおかわりするために、柊依がオレンジジュースを飲む。効率的だ。だから早く飲め」
ドヤ顔を見せる柊依に壮介は戸惑いつつ、手に持ったメロンソーダを見つめる。
「ま、まあ、今さら間接キスとか気にしても……」
唇から出た血を吸われたことを思い出し、体が熱くなるのを感じながらメロンソーダのはいったコップに口をつける。
「へぇ〜、やっぱり恋人さんたちは違うんだね。間接キスなんて今さら気にしない……ねえ」
「ゲホッ!? ゴホッ、なん、なんで蒐場さんが、なんでっここに?」
突然背後から声をかけられ、メロンソーダが気管に入りむせる壮介はジト目で見る蒐場を涙目で見る。
「なんでここにってご注文の品を運んできただけですけど。それが私のお仕事ですから」
お盆に載せた料理を見せる蒐場に、確かにそうだと納得して頷くしかない壮介を蒐場は冷めた目で見る。
「海老フライAセットのライスと、コーンスープ、こちらがポテトフライとなっています。ご注文の品はおそろいでしょうか?」
業務的に尋ねる蒐場に壮介が「はい」と一言返事をすると、蒐場は伝票を丸めて伝票差しの中へ入れる。
そのまま体を反転させかけた蒐場が、何を思ったか途中でやめ壮介たちに向き直る。
「料理の方熱くなっていますので、お気をつけください。……いちゃついている恋人ほどじゃないかも知れませんが」
それだけ言うと背中を向けて足早に去ってしまう。
「うわぁ……ちょっと騒ぎすぎたかな。明日学校で謝ろう」
呆れて冷たい雰囲気を蒐場から感じた壮介は、反省しつつ明日の謝罪文を頭の中で考える。
そんな壮介の悩みなど、気にもとめていない柊依がフォークで海老フライを突き刺すと、顔の前に持ってきてまじまじと見つめる。
「壮介、壮介」
「はいはい、なんでしょう」
壮介は蒐場が怒っている場合を想定し明日何と話しかけようか、それともそっとしておこうかと様々なシュミレーションをしていたせいで、適当な返事をする。
だが、一口かじった海老フライをフォークに刺して目を輝かせている柊依の姿に可愛らしさを感じ、今はこのときを楽しもうと表情を緩める。
「海老フライ、美味しいぞ」
「そう、そう。良かった。ポテトフライも食べる?」
「おう、食べる。柊依はポテトフライも知ってるぞ」
そう言ってポテトフライ一本摘むと口に入れる。
「これも美味しいな」
気に入ったのかもう一本ポテトを摘まんで口に入れもぐもぐと食べる柊依が見せるついさっき妖と戦っていたとは思えない可愛らしい姿に、壮介は頬を緩めじっと見てしまう。
「どうした? 壮介は食べないのか?」
「あ、いや、いただきます」
可愛くてつい見ていたなんて言えるわけもなく、慌てて敬語で返事をしてしまう壮介はポテトを摘まんで口に放り込む。
「どうだ? 美味しいか?」
「うん、美味しいね」
「そうか、そうか」
満足そうに頷く柊依に色々とツッコミを入れたいところだが、そんなこと今はどうでもいいやと思わせる可愛さに壮介は次のポテトに手をの伸ばす。
和やかに食事をする二人をじっと見つめる視線があるとも知らずに。