六、要領が悪いって言われる男子の遅くなった自己紹介
突如湧いてきた、謎多き帰国子女の柊依と今まで目立たなかったクラスメイト壮介の熱愛発覚で皆の話題は持ち切りで、本人たち以外どこか浮ついたクラスは授業を終え放課後になる。
「ちょっといいかな?」
机の上を片付ける柊依に壮介が声をかけるとクラス中の視線が二人に集まる。
帰国子女の転校生にその彼氏が声をかけたとなれば、彼らの言動に皆が視線を向け聞き耳をたてるのはごく自然なこと。皆の視線と耳が向いているのを感じながらも、壮介は柊依をジッと見つめる。その額にはやや汗ばんでいて、ほんのり耳が赤くなっている。
対して柊依は休み時間などにあれだけ女子に質問攻めされたにも関わらず、顔色一つ変えずに壮介を見返すと一言。
「いいぞ」
勇気を振り絞って声をかけた壮介の気持ちなどどこ吹く風の柊依は、いつも通り返事をして立ち上がると壮介を見上げる。
「柊依も昨日のことで言いたいことがあった」
「ちょ、ちょっと待って。帰ろう! 帰りながら話そう」
『昨日のこと』そのワードに皆が耳を大きく傾けたのを感じた壮介が慌てて言葉を遮り、この場から離れることを提案するがそれはただ早く一緒に帰ろうと誘っているだけにしか見えない。
「分かった」
あっさりと一緒に帰ることを了承されたのを、喜ぶべきか分からない壮介は皆の視線が全身に刺さるのを感じながら逃げるように教室をあとにする。
女子と一緒に帰る、ましてや二人っきりで。そんな経験のない壮介は自分の隣を歩く柊依を横目でチラチラ見る。そんな視線を気にもしていない柊依は肩に番傘を担いで歩いている。
「その傘……武器なんだよね。その、銃刀法違反とかならない?」
二人っきりになってどう話を切り出そうか悩んだ挙げ句、出てきた言葉に壮介はこれだから自分はモテないのだと自覚してしまう。
「銃刀法? ああ、問題ない」
柊依はそう言って番傘を持った手を壮介に伸ばす。それが持ってみろという意味だと悟った壮介が番傘を手にする。
「それは柊依にしか抜けない。だから警察が来てもただの傘だ」
説明しながら抜いてみろとジェスチャーするので、壮介は持ち手に手をかけ引き抜こうと試みる。
「ダメだ。ビクともしない」
目にも止まらぬ速さで柊依が抜刀する姿を見ていた壮介は、そうは言っても簡単に抜けるものだと思っていた番傘の持ち手がビクともしないことに驚きの声を上げる。そんな壮介に柊依が手を伸ばすので、壮介は番傘を返す。
「柊依の力で封じてあるから柊依しか抜けない。つまり完璧」
再び番傘を肩にかける柊依に、刀を抜いてくれるのかと期待していた壮介は少しだけガッカリする。
「昨日は助かった。甘いのがいなかったらあの親子はやられていた」
一緒に歩く柊依が壮介に声をかける。その言葉がお礼だったことに驚き黙ってしまう壮介だったが、すぐに我に返り声を絞り出す。
「あ、ああ。騒ぎがあったから近づいたらたまたま……ってそうだ! あれなんなんだよ。そして、神坂さんはなに者?」
「柊依だ」
「え? えっと……」
「柊依の名は柊依だ。神坂ではなく柊依と呼んでくれ」
質問には答えず名前の呼び方を強要され壮介は言葉に詰まる。女子を名前で呼ぶ、そんなレベルの高いことを強要されるとは思っていなかった壮介があたふたするのを柊依は眠そうな目でジッと見つめる。
「甘いの、お前変わってるな」
「い、いや、神坂……ひ、柊依さんには言われたくないと言いますか、なんとか言いますか」
しどろもどろになり、挙げ句敬語になる壮介を見ても相変わらず眠そうな目を向ける柊依が口を開く
「柊依だ。さんは付けるな」
「え、えっとじゃあ……ひ、ひ、柊依……その僕の名前だけども、藍鞣壮介だから」
「あいなめ? そうすけ? お前、甘いのじゃないのか? びっくりだ」
どうでもいいところに驚かれ、さらには自己紹介するのが初めてだったと気づき自分の要領の悪さを感じ肩を落としてしまう。
「壮介、改めて礼を言う。昨日は助かった」
「い、いや、えと、たまたまだから。騒ぎが気になって、別にひ、柊依……がいるかもとか思って探していたとかじゃないから」
女子から名前で呼ばれることに耐性のない壮介は、しどろもどろでぎこちなく、余計なことまで答える。そんな壮介の話など気にもしていないといった様子の柊依が口を開く。
「妖だ」
「え?」
お互いの名前で呼びあったことにドキドキしていた壮介は、日常会話で聞かないワードに驚きキョトンとした顔で柊依を見る。
「壮介が聞いた。あれはなんなのかと」
「あ、ああなるほど……」
はじめに聞いたことを覚えていてくれたようで、意外に律儀なんだと思う壮介だったがすぐに声を上げる。
「いや、なんだよ妖って!」
「柊依は妖を斬るのがお役目だ」
「ごめん、話が全く見えないんだけど」
「理解力ないヤツだ。あれは妖、柊依は妖を斬る。単純なことだ」
「いやいやいや、単純とかじゃなくて、そもそもの意味が分からないってこと。妖ってそんな実在しないものを信じろとか理屈的に……」
柊依が黙って見つめる視線の圧に気づき壮介は言葉を止める。
「壮介にはハッキリ見えてるんだろ。じゃあ信じろ。理屈で存在しているんじゃない。そこに存在があるから理屈がある」
「は、はあ……」
壮介は柊依の半ば強引な物言いに納得はできないものの、確かに見え触れた存在のことを思い出し反論できずに黙ってしまう。
「じゃ、じゃあさ。なんでその柊依は妖を斬ってるの?」
壮介の質問に眠そうな目を向けたままの柊依が、呆れたようにため息をつく。その態度に少しだけムッとしつつも壮介が答えを待っていると、柊依は番傘の持ち手に手をかける。
「え?」
柊依が僅かに番傘の持ち手を引っ張った、そう感じた瞬間に常人には目で捉えることなど不可能な動きを柊依は見せる。気がつけば壮介の首筋ギリギリに刀の刃があった。
少しでも首を動かせば自分の首に触れ切れてしまうであろう刀は、触れてもいないのに刀身の冷たさを感じてしまう。切れるような冷たさに死の香りを感じる壮介とは違い、いつも通りの柊依は刀を引くと先端に刺さっている黒い物体を見つめる。
「ク、クモ?」
「違う」
突然のことにキョドってしまう壮介の言葉を否定した柊依は刀を振る。すると先端に刺さっていた大きなクモは黒い霧になって消えてしまう。
「妖だ。壮介は先に帰れ。柊依は本体を探す」
「あ、いやちょっと!」
壮介の言葉は、あっという間に踵を返した柊依に届くことなく空振りに終わってしまう。
そして残された壮介はポツリと呟く。
「妖がいるって言われたあとに、一人にされる方が怖いんだけど」