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鬼喰らう蛇  作者: 功野 涼し


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三十二、メイドたるもの常に笑顔を忘れてはいけないです

 微笑を携えたまま壮介の元に歩いてくる穂香に一体のマネキンメイドが襲いかかる。


 手に持っていた細い鉄パイプを振り降ろすそれを涼しげな表情でかわすと振り下ろされた腕を掴み手刀で肘関節を下から突き上げ、腕を反対方向へと曲げてしまう。


「お人形ですから痛みは感じないのですね」


 腕を折られた衝撃で勢いよく床に転がったマネキンメイドを見下ろした穂香が自分の髪を飾るリボンに触れる。


「ここからは妖退治といたしましょう」


 そう言ってリボンを引っ張るとスルスルと解けて、一本の長いリボンへと姿を変える。


 リボンの端を右手に巻き付け横に薙ぎ払うともう一体のマネキンメイド腕に絡みつく。おおよそ布とは思えない動きで腕に絡みついたリボンを引っ張ると、マネキンメイドは派手にひっくり返り顔面から床に叩きつけられる。


 起き上がる暇も与えられずに腕に絡みついたリボンが一気に伸びてマネキンメイドの体を覆い尽くす。


(さく)


 一言口にした言葉と共にリボンを引っ張り、張ったそれを左手の指ではじくと、絡みついていたリボンが収束し中にいたマネキンメイドを粉砕してしまう。


「意外と脆いのですね」


 そう言ったときには穂香は一体のマネキンメイドの背後に立っており、喉元にリボンの端を当てる。普通であればただのリボンを当てられたところで気にするほどのことではないが、穂香の眼光にはそうは言わせない鋭さがある。


 壮介がまばたきをする間にリボンが首の上を撫でると、マネキンメイドの首が胴体から離れて床に転がる。転がった頭と目があった気がした壮介だが突然引き寄せられ気がつくと穂香に抱きしめられていた。


「じっとしててくださいね」


 壮介を見てふっと笑う穂香が手に持つリボンを振ると、リボンは坂井の頭上を横切る。

 次の瞬間包丁を持って壮介に近づいていた坂井は、糸が切れた人形のように崩れ落ちて床に倒れる。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 壮介を降ろした穂香が心配そうに声をかける。その問いに答える前にスピーカーが大きく震える。


『お前は━━なんだ? ━━なぜ━━私の店を━━邪魔する━━潰す気か?』


「人聞きの悪いことを言いますね。わたくしはあなたのお店など興味がありませんので、潰すなどと手間をかける価値もございません」


 ノイズ混じりにスピーカーから響く声に対し涼しい顔で酷いことを言う穂香が微笑む。


()()お店のオーナーと言ったところでしょうか? 察するに潰れてしまったお店に対する執着心、いえ逆恨みと言った方がしっくりくるかもしれませんね。憎しみの果てに妖の道を選ばれた方と言ったところでしょうか」


 ニタリと笑う穂香の発言にスピーカーから耳をつんざくようなノイズが走り、複数の人が一斉に喋ったかのような声が響く。


「図星なのですね。お人形遊びで自己欲求を満たしていた最中に見られて恥ずかしくなったのですか? これ以上邪魔はしませんから今なら引いてあげますよ」


 穂香は口元を押さえてクスクス笑う。


 キーンっとスピーカーからノイズが走り、それと同時に勢いよく立ち上がった頭と腕がない二体のマネキンメイドが空中に浮いて襲いかかってくる。


 ノイズに思わず耳を押さえた壮介の前に立った穂香がリボンを振るとマネキンメイドたちは、上半身が切断され吹き飛んでいく。


「たしか傀儡(かいらい)でしたか。人を眠らせ意のままに操る妖……」


 そう言って穂香は勢いよく自分の腕を下に引っ張るような仕草を見せる。


 引っ張られ天上から落ちてきた塊からは、穂香の腕にまとわりつく黒い糸が繋がっておりそれが無数の髪の毛であることに壮介は気がつく。


「わたくしに糸を結ぶ機会を狙っていたのでしょうけど、わたくしもまたそれを待っていましたのでお互い気が合いますね」


 ふふっと笑った穂香が立ち上がった黒い塊に話しかける。


 黒い塊は人の頭の耳から手が、首がある場所から足が生えた奇妙な姿をしており、長い髪の毛の隙間からは丸い鼻と右目が覗き穂香を見上げている。


 その目は鋭いと言うよりはどこか怯えて震えているように見える。


「意のままに操ると言っても糸で無理矢理動かしているだけ。結局は妖になっても心を支配し人を動かすこともできない雑魚ということですね。生前に経営していたときのお店がどうであったかは存じ上げませんが、汚れたメイドの服を見るにあまり労働環境がよろしくなかったのではありませんか?」


「だっ黙れ! 経営には金がかかる。コストを下げれる場所は下げるのが定石なんだ!!」


 声を荒げる傀儡(かいらい)を見て穂香は口元を押さえて笑いを堪える仕草を見せる。


「ええ、だとしてもです。身内にお金を費やさず苦しい思いをさせる経営者のお店でお客様に喜んで頂くことなどできると思えません」


「お前になにがわかるっ!!」


 大声で叫んだ傀儡(かいらい)が全身覆う髪の毛をドリルのように束ねて一斉に穂香に向けて放つ。


「ええ存じ上げません。ですけどあなた様が弱いことは存じ上げております」


 鋭く空気ごと斬り裂くリボンが傀儡(かいらい)の髪の毛を切り落とすとそのまま全身を覆う。


「あなたはどこでどのようにして妖となったのです? そこまで意識がハッキリとしているのでしたら答えられますよね? 誰の協力を得て妖になったのか、お答え願います」


 静かに話すが逃げことのできない穂香の殺気を前に、かろうじてリボンの隙間から覗く右目と口元が震える。穂香が傀儡に鋭い視線を向けると、恐怖から傀儡はガチガチと歯が鳴る口を動かす。


「男だ、男からもらった」


「男? どんな方ですか? 特徴などありましたら教えていただけますか?」


「わからない。くっ、暗くて見えなかったんだ! 店が潰れて途方に暮れていたときに突然声をかけられて『見返してやりたいならこれを飲んでみたらいい』と変な玉を置いていったんだ。それだけで、本当にそれだけしかわからないんだ!」


 必死に訴えかける傀儡を見て小さなため息をついた穂香が壮介に視線を向けた瞬間、傀儡が大きく口を開く。


「ばかめっ!」


 傀儡の叫び声と共に倒れていた坂井が立ち上がり手に持っていた包丁を振り上げる。


「愚かなのはあなたです」


 穂香は冷たい視線で見下ろしリボンをスッと引く。傀儡に巻きついていたリボンの両端が輝いたかと思うと穂香に引っ張られ高速で手元へと戻って行く。体に巻きついていたリボンがなくなり解放された傀儡が困惑しながら体を確かめる。


 そんな傀儡を右手に巻きついたリボンを垂らして見下ろす穂香がそっと口を開く。


(ぜつ)


 その言葉が合図だったかのように傀儡に無数の線が入るとバラバラと崩れ黒い霧が立ち昇る。


 穂香が右手を素早く横に振ると霧の中からリボンで絡めとった黒い珠、妖珠(ようじゅ)を手に取る。


「これは柊依お嬢様のお土産といたしましょう」


 指で摘まんだ妖珠を見て呟いた穂香が壮介を見て微笑む。


「助けてくれてありがとうございます」


「勿体ないお言葉。大した情報は聞けなかったのは残念ですが、壮介様が御無事で良かったです」


 元の柔らかい雰囲気に戻った穂香が床に倒れている坂井に視線を向ける。


「まずはそちらのお嬢様を連れて帰らないといけませんね」


 そう言って坂井を抱きかかえ背負った穂香が壮介の手を取る。


「では帰りますよ」


「へ?」


 坂井を背負った穂香が壮介を軽々と持ち上げて抱きかかえると走り始める。


「舌を噛まないようにしててください」


 応える間もなく穂香は破れ窓から飛び降り、壮介は声にならない叫び声を上げる。


(絶対に穂香さんを怒らせないようにしよう)


 今日の穂香の姿を思い出し、穂香に抱きかかえられたままそう心に誓うのである。

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