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鬼喰らう蛇  作者: 功野 涼し


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二、転校生の帰国子女は教室で傘を差す

 ごちゃごちゃとした喧騒の町から離れた小高い丘にある学校の校門には、立派な表札が掲げられており『喜井(きい)高等学校』と達筆な字が掘られている。


 雨でぬかるんだグランドを抜けると年季の入った校舎が迎えてくれる。校舎のとある教室で女性の先生が点呼を取るため名簿を開くと手に持つペン先を紙に近づける。だが点呼は一人目の生徒から(つまづ)いてしまうことになる。


藍鞣あいなめ 壮介そうすけさん!」


 名簿に一番最初に載っている男子生徒が上の空で、名前を呼んでも返事をしないことに先生は僅かに苛立ちを顔に浮かべその生徒の名前を再び強めに呼ぶ。


「藍鞣さん!」


「あ、はい」


「ちゃんと返事してくださいね。藍鞣さん、ぼーとしていますけど昨日はしっかり寝ましたか?」


「あ、はい。大丈夫です。ごめんなさい」


「ならいいですけど、睡眠は大切だからしっかり取るようにしてくださいね!」


 壮介が返事をしたのを受け先生は名簿にチェックを入れると点呼を再開する。


 やがて点呼を終えると出席簿を台の上に起き、わざとらしく咳払いをする。その行動にいつもと違う雰囲気を感じた数人の生徒は、なんとなくだが先生に注目してしまう。


「突然ですけど、今日はこのクラスに転校生が来ることになっています」


 突然の発表に教室にどよめきが起きる。


 転校生がどんな人物なのかで盛り上がる最中、壮介は一人ぼんやりと昨日のことを考えていた。


(のっぺらぼうにそれを刀で斬る少女か……そんな夢みたいなこと誰も信じてくれないよなぁ。それに誰かに話したところで、高校ニ年にもなって現実と漫画の区別もつかないのかって心配されるのがオチか)


 物思いにふけながら教室の外を見ると、雨でぐしょぐしょにぬかるんだグランドと今にも振りそうな真っ黒な雲が空を覆っているのが見える。


 重く沈んだ空気と昨日の夢か現実か分からない出来事を思い出しながら、深いため息つく壮介の耳に聞き慣れない名前が飛び込んでくる。


神坂(かみさか)柊依(ひより)さんです。海外生活が長くて日本の生活にまだ馴染めていません。色々と大変でしょうから困っていたら手を差し伸べてあげてくださいね。では神阪さん、挨拶をお願いできますか?」


 先生に促され神阪柊依は一歩前に出る。


 その容姿はおおよそ高校生と呼ぶには幼すぎる顔立ちで、150センチ前後の背丈とそこそこ長い髪を無理矢理束ねて結んだ髪も相成ってより幼く見えてしまう。

 中学生は言いすぎだが、壮介の周りにいる同級生の誰よりも幼いのは明らかであった。


 そんな幼さの残る転校生を見た壮介は固まってしまう。


(昨日の子⁉)


 壮介が驚き固まっていることなどは知らない神阪柊依は後ろで小さくまとめ結んだ髪を跳ねさせながら、体全体を使って大きくお辞儀をする。


「柊依だ。よろしく」


 幼い見た目と違いギャップのあるぶっきらぼうな物言いに教室が湧く。


「可愛い!」


 数人の女子生徒が声を上げ盛り上がる様子を神阪柊依は、眠そうな目をクリクリさせながら小動物のように首をかしげる。


 柊依がかしげた首を戻すと、どよめくクラスメイトのなかにあって一人固まって信じられないと言った表情で自分を凝視する視線に気付き自分の視線を向ける。


 ぶつかる視線に緊張から音を立てゴクリと唾を飲み込む壮介を見て、柊依は眠そうな目を僅かに大きく開き指をさす。


 その行動に教室全員が柊依が指さす方向、つまりは壮介に集まる。


「あっ発情期のヤツ」


 転校生が壮介に向けて放った突然の言葉に教室が盛大に湧き上がる。


「ちょっと藍鞣さん、どういうことですか?」


「あ、いや……」


 どもってしまう壮介に周囲の視線が冷たく突き刺さる。


「柊依、胸触られた」


 トドメの一言が壮介に襲い掛かる。


「信じられない!」と非難の言葉を叫ぶ女子たちに、女子とは違うニュアンスの「信じられねえ!」と叫ぶ男子たち。


 日頃クラスでも目立つ生徒ではない壮介は、人生において一番の注目を浴びてしまいどうしていいのか分からずパニックに陥ってしまう。


 手を広げバタバタさせる安いおもちゃのような動きをする壮介に、人混みを誰とも触れることなく鮮やかに移動した柊依が近づくと胸ぐらを掴む。


「神阪さん!?」


 柊依が壮介に暴力を振るうのではないかと思った担任の先生が叫ぶ。


 だがそんな心配をよそに柊依は壮介に顔を近づけると頬に唇をつける。


 転校生があいつに胸を触られたと言ったかと思うと、その相手に突然キスをする。この意味の分からない行動に教室内は大いに混乱し様々な声が飛び交う。


 思春期の少年、少女の前で熱いキスをする柊依の姿は頬とは言え刺激的で、多くの生徒たちがその様子を凝視してしまう。


「かっ、神阪さん! にっ日本ではそれダメ! イケナイ!」


 焦って片言になる担任を不思議そうに見つめた柊依は壮介を指差す。


「コイツ、甘い」


「甘い?」


「ペロペロ舐めたら甘い」


「ぺっ、ペロペロ!? か、神坂さんココ日本! 過度なスキンシップダメね」


 両手の人差し指でばってんを作る片言の担任に不思議そうな顔をする柊依は、よく分からないがとりあえず従っとくかくらいの感じで壮介から乱暴に手を離す。


 胸ぐらを掴まれちょっと椅子から浮いていた壮介は、落とされた衝撃で尾てい骨を打つが、そんな痛みよりも頬に触れていた柊依の柔らかい感触と周囲からの好奇心に満ちた視線による恥ずかしさの方が気になって、痛いほど激しく動く心臓を押える。


「はいはい、みなさん。席に着いてくださーい。神阪さんは……あっちにしましょう」


 担任は教室を見渡し、壮介のいる廊下側の席ではなく、対角線上に当たる窓際の一番前の席を指差す。


「分かった」


「ちょ、ちょっと神阪さん。それはなんでしょう?」


 一旦廊下に出て置いていた荷物を抱えてきた柊依を担任が慌てて止める。


「これか?」


 担任が指さす柊依の手に持っている物を見て壮介は大きく目を見開く。


「蛇ノ目、柊依の相棒だ」


 そう言って柊依は番傘を広げる。教室に突然開かれた番傘は違和感を発しながらも美しさの方が勝っていて皆の視線が集中する。

 和紙に色を重ね塗ったであろう特有の黒く光る番傘には、赤い線が真横に一本引かれ先端も赤くなっており一際目を引く。


「あ、相棒……今日はいいですけど今度から傘は下駄箱のところにある傘立てに置いてくださいね。えぇっと佐藤さん、あとで教えてあげてください」


 柊依の隣の席になった佐藤と呼ばれた女子生徒が返事をすると、担任はどこか疲れた顔で教壇へと戻って行く。


 騒がしい朝のホームルームが終わり、授業が始まると新たに入った転入生である柚葉の存在を気にしながらも学業を進めて行くことになる。


 幼い姿をして、背丈もあまりなく、ぶっきらぼうな感じの話し方。それに何より、みなの目の前でキスをする突拍子もない行動から勉学や運動は得意ではなさそうだと、どこか心の奥底で壮介を含め皆が決めつけていた。


 だがそれは間違いだったとすぐに認識することとなる。


 数学、国語はもちろん全教科をスラスラと解き、特に英語関係は帰国子女の実力を存分に見せつける。さらに体育の時間になれば、その小さな体からは想像もできないスピードとパワーを見せつけ、転校生であることもあって柊依は一瞬にしてクラスの注目の的となる。


「ねえねえ、神坂さんはなにか部活をやる気ないかな?」


「ない。柊依は忙しい」


 文武共にとんでもない能力を見せたことで、主に女子に囲まれ部活のお誘いを中心に会話がなされるが、柊依は首を横に振りながら淡々と断っていく。


 まだ周囲に人がいるのも構わず柊依は勢いよく立つと机に立て掛けてあった番傘を手に取る。


「柊依はやることがある。これにて失礼」


 変な言い回しと番傘などの持ち物も帰国子女だからだろうと言うことで片付けられ、好奇の視線を背に受けながらパタパタと走り教室から出て行く。その際廊下側の席に座っていた壮介の前で足を止めると、体を廊下に向けたままチラッと横目で壮介を見る。


「お前、かなり甘いから気を付けろ」


「は?」


 意味の分からない忠告を受けた壮介は、思わず間抜けな声を出してしまう。


 教室から出てもう姿の見い柊依の影を見つつ、壮介は自分の手をチラッと見て口に近づけるとペロっと舐めてみる。


「甘いのか?」


 自分の手を舐める壮介の後ろでひそひそと話す女子たちがいるとは知らずに、壮介は再び柊依の影を目で追う。

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