第四十一夜 大会の……
「調査に行った船とも連絡不可能、だと?」
「はい。昨日から続く、巡回船三〇五の音信不通に伴い、二隻向かわせたのですが……」
「どちらも、か……」
「はい……」
海上自衛隊の隊舎の一室、隊長室に居座る海上自衛隊総隊長は、たった今報告された内容にうーんと唸った。
「……それは、紛れもなく事実か?」
「はい。今から三時間ほど前から、音信が途絶えています」
捜索船を派遣した、海上自衛隊第二班班隊長の言葉に、総隊長は目を細める。
「その、音信不通というのは、当然……」
「はい。義務化されている、三時間毎の連絡が、その二隻からはありません」
「救難信号は?」
「同じく……」
言葉を濁したが、つまりは、ない。救難信号はこちらには届いていない。
そのため、第二班班隊長は自分一人で決断することが出来ずに、こうやって総隊長に判断を委ねようとしているのだ。
「ただの機器トラブルだと良いが……」
総隊長は顎を右手で撫でながら、希望を呟く。
「……妨害電波、という可能性も捨てきれません」
班隊長の推測に、総隊長は強く頷いた。
「うむ、そうだな。もし仮に、妨害電波が出ているのだとしたら、それは──」
室内の空気、雰囲気とも言って良い。とにかく、そのような肌で感じる類いのモノが、一瞬で重くなる。
「──明確な侵略行為だ。我がクリスティアを、私利私欲を満たすために狙っている不埒な国が、存在していることとなる」
総隊長の体から、威圧的なオーラが滲み出す。それを正面から浴びた班隊長は、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「……どうします? もう何隻か、出港させますか?」
「……いや、敵の位置が分からん以上、闇雲に船を出した所で二の足を踏むだけだ。それでは、兵力の無駄遣いに等しいよ」
「では、どうすれば……!?」
総隊長の大きな机をダンッと両手で叩き、苛立ちを露にする班隊長。先程までは、総隊長の雰囲気に呑まれかけていたが、今では怒りが恐怖に打ち勝っていた。
「せめて……せめて、敵の来る方角だけでも分かれば……」
総隊長も、机に肘をつき、両手を組んでその上に顎を乗せて唸る。何か名案がないかと、思考を繰り返す。
そこに──
ビービーッ
「「!?」」
本部室の無線が鳴り出した。総隊長は急いで無線のスイッチを押す。
「どうした?」
《至急お伝えしたいことが……!》
「ああ、なんだ?」
《巡回船三〇五から、無線が来ていますッ!!》
「なにッ!?」
「ッ!?」
思わず、総隊長と班隊長は互いの顔を見合った。だが、それも一瞬で、すぐに総隊長は無線に向かう。
「それで、三〇五はなんと?」
《……襲われた、ようです》
その情報に、班隊長は顔を強張らせ、総隊長は歯軋りをした。
「……そうか。無線は? まだ繋がっているか?」
《はい》
「分かった。直ぐにそちらに向かう」
《了解しました》
総隊長は無線を切ると、直ぐ様立ち上がり、既に扉を開けて待っていた班隊長と共に、指令室へと向かった。
道中、班隊長は無線でどこかと連絡を取っていた。おそらく、自分の班員の誰かであろう。
二人が指令室に着いたとき、そこには既に隊長や副隊長などの主要な人物は全員揃っていた。
「待たせた」
「いえ、大丈夫です。では、続けます」
そう言って、無線員の一人は無線のスイッチを押した。途端に指令室に響く、荒い息遣いと波の遠い音。
「こちら、海上自衛隊本部。総隊長がお見えになった」
そして、どうぞと無線員が総隊長にマイクを譲る。
「こちら、総隊長。貴公は?」
暫く荒い息遣いだけが続いたが、一度唾を飲む音がして、幾分かマシになった。
《……こちらは、ライラル・プリハマム一等兵……。沈没した、いえ、沈没させられた巡回船三〇五の、生き残りです!》
水面下で蠢いていた、海上の思惑。それが今、一人の奇跡によって、表面化していく。
……だがそれは、あまりにも遅すぎた、奇跡であった──
***********
ビーッ!
鳴り響いたブザーは、ここ数日で完全に聞き慣れた開始音。先に習い、相対する二人の戦姫は静かに境界を跨ぐ。
違うのは、ここからであった。
「……『氷柱軍隊』」
「………………」
シャイナが動き出す前に、セシルの魔術によって生み出された無数の氷柱が、彼女をドーム状に覆った。正に四方八方という言葉がピッタリで、逃げ場は見当たらない。
「これは?」
シャイナは首だけを動かして、氷柱の包囲網を確認しながらセシルに訊ねる。
「……ブザーとブザーの合間。この時間は、攻撃以外なら何をしても良い」
更に増える氷柱の兵隊。その全ての矛先がシャイナに向いている。
「……このように、相手を閉じ込めることも、可能」
「……成る程。それで? この程度で私を倒せると?」
真正面を向き、笑顔のままセシルを見やるシャイナ。だが、その目だけは刃物のような鋭さを隠し持っている。
「……ブザーと同時に、氷柱は貴女に降り注ぐ。回避は不可能」
それを表すかのように、シャイナを覆う氷柱の位置が、少し彼女に近付いた。
それを目の当たりにしながら、眉一つ動かさないシャイナ。
「分からないなぁ……」
そう言って、溜め息を一つ吐く。その両手は、腰に吊っている銃のグリップを握っていた。
「……なにが?」
怪訝な雰囲気で首を傾げるセシル。
「だからぁ──」
シャイナはそう言いながら、銃を僅かだけホルスターから抜いた。
「──これと同じ状況にセシルちゃんもなっていない、なんて信じてるわけ?」
途端にセシルの周りに現れたのは、無数の銃口。その全てが、セシルに向いている。当然ながら、その配置は氷柱と同じくドーム状。
「……『銃座』」
「そ。今は分かりやすくするために、可視化してるだけ」
妖しく微笑む今のシャイナは、普通の人が見てしまったら即刻失神、ないしは失禁してしまう程の迫力を内包していた。
だが、セシルは普通のくくりからは程遠いため、
「……だからどうしたの?」
軽く受け流すことが出来る。
セシルは、自身を狙う銃口を一瞥もせず、ずっとシャイナを睨んでいた。
「……忘れたの? 私には『氷の鎧』がある。如何なる手段でも、私に攻撃を届かせることなんて、出来ない」
自信満々に断言するセシルを、シャイナは冷ややかな目で見ていた。
「あ、そ。まだそんな幻想に囚われているんだ。哀しいわね……」
無表情であるはずのセシルの眉が、ピクリと動いた。
「……幻想?」
「そう、幻想。もし、セシルちゃんの『氷の鎧』が何人たりとも破れない絶対防御なら、貴女は今、No.11なんて湿気た番号を背負っていないわ」
明らかな挑発。相手の冷静さを奪うためとは言え、ここまで来るとただの罵倒である。
セシルは無表情を装ってはいるが、その内心はどうであろうか。
「……何を言っても無駄。貴女は、もう終わり」
セシルの放った言葉は、決して強がりではなく、それだけの自信を有していたからこそ。
だから、
ニィ──
「……!?」
それを真正面から受け止めたシャイナは、笑みを深めた。
「分かったわ。じゃあ、先ずはその鼻っ柱をへし折らせてもらおうかな」
そう言って、未だに二度目のブザーが鳴らない中、シャイナは右手に握る銃の引き金を、引いた。
その瞬間、セシルを囲む銃口から放たれる、魔術の塊。その銃弾は、寸分の狂いもなく──
「……ッ!?」
セシルの周囲の地面を抉る。抉られた地面は、石になり、砂になり、砂塵となってセシルの視界を閉ざす。
「……煙幕……!?」
咄嗟に右腕で目を庇ったセシルの耳に、二度目のブザーが聞こえた。
(……とにかく、行けッ)
視覚の情報を遮られてはいるが、構わずセシルは『氷柱軍隊』を発射した。
だが……。
ガガガガガガッ──!!
何か、複数のモノがぶつかり合う音が響く。
「……手応えが、ない」
セシルはそう呟くと、自身の周囲に雨を降らす水術を発動し、砂埃を洗い流した。そうして視界を回復させてシャイナを見てみれば、案の定。
「ほら、終わりじゃなかった」
シャイナが無傷で立っていた。その両銃をセシルに向けながら。
「……五月蝿い」
セシルは雨の水術を解き、もう一度、今度は彼女の背後に現れるように『氷柱軍隊』を発動。
「ん〜……」
ここで、シャイナは急に唸り出した。何事かを考えるかのように。
「……なに?」
セシルも義理はないのだが、なんとなく不意打ち気味な行為を嫌い、律儀に待っていた。
「いやぁ……うん。これなら大丈夫かな……」
「……なにが?」
納得のいった雰囲気で頷いたシャイナ。セシルは着々と氷柱の本数を増やしながら、まだ待ってあげる。
「ルールを変更しましょう」
「…………は?」
シャイナの唐突な提案に、流石のセシルもきょとんとする。
「このままじゃあ、どこまで行ってもセシルちゃんの不利は変わらないからね。ちょっとしたハンディをあげる」
「……ハンディ?」
ハンディ、という言葉が気に食わなかったのだろう、効果音で表せば“怒ッ”というような威圧感を出したセシル。だが、シャイナは気にしない。
「そ、ハンディ。私はここから一歩も動かない」
右足で地面を叩く。まるで、足跡をくっきりと残すかのように。
「んで、セシルちゃんの勝利条件は、私をここから一歩でも動かすこと」
「……何だって……!?」
「これぐらいなら、まあギリギリ私と対等になるんじゃないかな?」
ニヤリ。正にこの擬音が似合うような笑みを浮かべたシャイナ。
対してセシルは、より一層無表情が増した様子。
「……本当に、それで良いの?」
「ええ、構わないわ。これでも敗ける気なんて、さらさらないけど」
「………………そう」
恐らく、最後通告だったのだろう。セシルは次の瞬間には、今までの倍近くの氷柱を召喚した。
「なに言っちゃってるんですか、シャイナさん!?」
慌てたのは、当然ながらエルヴィネーゼ。わたわたと落ち着きのない様子で叫ぶ。
「……煩い」
その横で静かに文句を言うクラウド。エルヴィネーゼはキッとクラウドを睨み付ける。
「アンタねぇ! シャイナさんが敗けちゃったらセシルと結婚するのよ!? なのにシャイナさんと来たら……」
頭を抱えるエルヴィネーゼに、クラウドは確かにと頷く。
「あれは、非道い」
「そう思うんなら、シャイナさんに文句をぶつけなさいよ!」
クラウドは、エルヴィネーゼの叫びに眉を顰めた。
「何故文句を言う?」
「何故って……、シャイナさんがわざわざ自分から不利になるようなルール作ってるんだから、当たり前……!」
「どこが不利だよ……。寧ろ、シャイナさんの悪意がひしひしと伝わってくるよ」
クラウドは、何かを吐き捨てるような口調でそう言った。
「……悪意?」
エルヴィネーゼは首を傾げる。
「ハァ……。シャイナさんの異能『遠見』は、どういう条件、と言うよりどういうリスクで発動出来た?」
「どういうって……あ」
ピンと来たエルヴィネーゼと、もう一度溜め息を吐くクラウド。
「そう。『遠見』のリスクは、一歩も動けないこと。今シャイナさんが作ったルールで、シャイナさんが不利になる所なんて、一切ない」
「……でも、それ知らなかったら」
「嗚呼。完璧に不利に見えるだろうな。全く、性格が悪い」
クラウドは、フィールドでニヤニヤ笑うシャイナを睨む。
「……なら、セシルがその条件を断れば……」
「断ろうが、断らなかろうが、シャイナさんは一歩も動かないだろうな……」
「…………鬼畜ね」
「嗚呼、鬼畜だ」
二人が見下ろすフィールドでは、氷柱がまるで空を覆い隠してしまうほど存在していた。
「……嘗めていられるのも、今の内」
「そういうものは、勝ってから言いなさい。いくら吠えようと、私には痛痒すら感じないわ」
「……ッ!」
直後、弾けるように撃ち出される氷柱の弾丸。
その全てを、シャイナは不可視の『銃座』から放たれる魔弾で撃ち落としていく。
「まだまだ甘いなぁ。私、この倍は軽くいけるんだけど……」
「……五月蝿い」
全ての氷柱を撃ち終えたセシルは、肩で息をしていた。対するシャイナは涼しげな様子。さっきのセリフも誇張ではないかもしれない。
「……まだまだッ!」
次にセシルは、左腕に巻いていた鎖、〈因果繋ぐ永遠の鎖〉を右手でほどいた。
「〈因果繋ぐ永遠の鎖〉か……」
「……ええ。全力で行くッ」
セシルは右手を不規則に動かす。すると、その先の鎖は綺麗に纏まっていき、幅広の両刃剣の形を模した。それを氷術で固め、即席の氷剣を作成した。
「流石に、あれにはちょろっと本気を出さないと、なッ」
シャイナも、両手の銃をセシルに向ける。同時に、目には見えないが、フィールドの至る所に『銃座』を設置。いつでも、発射可能にする。
「……ッ!」
「──ッ!」
セシルが足に力を入れ駆け出そうとし、
シャイナが指に力を入れ引き金を引こうとした、
瞬間──
ズドォオオオオン──!!
「「!?」」
会場の外で大きな音が響いた。
これには二人も驚き、初動を止め轟音の鳴った方向に視線を向ける。
観客席も、突然のことに騒然となっている。
「な、なに?」
「………………」
エルヴィネーゼも、僅かに動揺したように声色を揺らし、クラウドは黙ったまま視線を発信源に向けた。
「どうしたんですか?」
「お姉ちゃん!」
「大丈夫よ、ソラリス」
「お兄さん、お姉さん……」
四人も慌てて、クラウドとエルヴィネーゼの近くに集まる。皆、状況を理解出来ていないようだ。
それは、観客席だけではなかった。
一桁ランカーが寛いでいたテラスも、突然の轟音と振動に一瞬動揺が走った。が、そこは一桁。それも直ぐに収まり、今は僅かな緊張感が場を支配していた。
「これは、どうしたんですか?」
ナタリアは、座っていた椅子から立ち上がると、総裁の近くに歩み寄った。
「わ、分かりませんッ。一体なにが……」
未だに動揺していた総裁の元に、一人の部下が駆け寄ってきて、総裁に耳打ちした。
「……なにッ!?」
すると、顔を青くする総裁。その目は大きく開かれ、唇は細かく震えている。
「どうかしたのかの?」
その総裁に近付いたのは、ゲイルだった。総裁は、酷く脅えた様子で顔を向けると、震える唇で伝えられた情報を口にした。
「……他国からの……襲撃、です……」
『ッ!?』
場を支配していた僅かな緊張感は、異様な緊張感へと変貌した。ランカー達の表情が引き締まり、空気が重くなっていく──。
こうして大会は、予想外の出来事によって幕を閉じることとなる。
これから始まるのは、ランクではなく、命を賭けた本物の闘争。
どれだけの人が嘆き、傷付き、倒れていくのだろうか。
そして、
どのような結末を迎えるのだろうか──