第三十九夜 懐古
後書きに、一つ質問があります。
出来ましたら、お答え頂けると嬉しいです。
「……痛い」
エルヴィネーゼは試合に敗けた後、十畳程の医務室に運ばれていた。
そこは白を主体とした一室で、あるのはエルヴィネーゼが寝ているベッド、丸椅子が二脚、腰ほどの高さの机が一つ、そして同じく腰ほどの高さの棚が一つと、非常にがらんとした空間である。しかも、今はエルヴィネーゼ一人しかいないため、先の呟きも室内に良く響いた。
「…………痛い」
エルヴィネーゼの姿は、試合中とほぼ変わりがない。頭に包帯を巻いて、頬に絆創膏を貼っている程度で、仰々しい治療の跡はなかった。
そもそも、エルヴィネーゼが敗けた原因は、異能『吸血』の効果が切れたことによる、全身に走った激痛である。カルロスとの戦闘で大怪我を負ったわけではないのだ。因みに頭に巻いている包帯は、最後に倒れた際、受身を取れなかったために地面の突起で切ったからである。
「………………痛、い」
今は丁度、第三試合が始まった頃かと、ぼーっと天井を見ながら何とはなしに思考するエルヴィネーゼ。僅かでも体を動かすと激痛が襲ってくるため、これくらいしかすることがないのだ。
本来ならば、今は第二試合が行われている予定だが、クラウドがそれを棄権するのは絶対なので、エルヴィネーゼは考えてすらいなかった。
純粋に、どちらの方が強いのかという興味はあるが。
(去年は確かクラウドが勝ったのよね……。『雷電』にとっては再戦のチャンスだったけど、可哀想に……)
クラウドの実力は未知数だ。いつも行動を共にしているエルヴィネーゼですら、彼の実力の底を知っているとは言えない。今の実力で打ち止めとも思えるし、まだ一つ二つと隠し玉が存在しているようにも思える。
ただ、確実に分かっていることは一つだけ。
(……あたしよりは、強い)
実際にNo.13であるムーバルを倒していることから、これはある意味周知の事実と言えようが、実はクラウドとエルヴィネーゼは、誰にも知られてはいないが、一度本気で殺し合いを演じたことがある。
(……まあ、クラウドが本気だったかはともかく、あたしは、少なくとも当時での本気は出していた)
その結果は、言わずもがな。
クラウドと行動を共にし始めたのは、それからのことだ。
(あたしは確実に強くなっている……、それは絶対の自信を持って言える。だけど、だとしてもアイツを、当時のアイツにすら追い越した、どころか追い付いたとは思えない……。一緒に行動すればするほど、アイツのポテンシャルには毎回驚かされた。流石に今は、慣れたから驚くことも減ったけど、でも……)
終わりの見えない思考をぐるぐるとこねくりまわしていたら、誰かが廊下を歩く足音が聞こえてきた。特有の甲高い音なので、エルヴィネーゼは一瞬で誰が来たかを確信する。と同時に、近付いてくる気配はその足音の主だけではないということも看過した。
(……やっぱり棄権したのか)
首を動かすことが出来ない──厳密に言えばしたくない──エルヴィネーゼは、目を閉じてその来訪者達を静かに待つ。
ゆっくりと足音が近付いてきて、
近付いてきて……、
近付いてきて…………、
………………、
通り過ぎた。
「アレ痛ァッ!」
思わず体を起こしてしまい、当然ながら襲ってくる激痛。
痛みに悶絶していると、扉の外で誰かが声を上げた。
「クラウドくーん、行きすぎよー」
「ここですよー、先生ー」
「おお……」
戻ってくる足音。
(くそぅ……、天然なのか……わざとなのか……)
悶絶したことで更に痛みが増したエルヴィネーゼは、涙目になりながらも動くことを我慢して必至に痛みに耐えていた。この状況を作ってくれたクラウドに悪態をつきながら。
──コンコン。
「失礼しまーす……」
─ガチャ……。
遠慮気味の声と共に、静かに扉が開けられる。開けたのはフィオナだった。
そぉっと、という擬音が付くような所作で部屋の様子を窺う彼女が目にしたのは、ぶるぶる震えて涙目になりながらも、何かに必至に耐えているエルヴィネーゼの姿だった。
「ッ!!」
息を飲んで目を見開くフィオナ。
(そんなに、悔しくて……)
まあ、傍目から見れば、そのように映っても何らおかしくはない。つまり、試合に敗けた悔しさに必死に耐えているように、だ。
実際には、“試合に敗けた悔しさ”、ではなく“襲い来る痛み”にである。
「あ……、いらっ……しゃい……」
目だけをフィオナに向けて、頑張って笑顔を作ろうとするエルヴィネーゼは、痛々しくも、健気であった。
「あ、えっと、その……」
見てはいけないものを見てしまったと勘違いをしたフィオナは、何かを言おうと口を開くが、出てくるのは意味を為さない単語だけ。
「なにしてるの、フィー? 早く入って」
後ろからは、未だに廊下で立ち往生している一行の内、直ぐ後ろにいるカイルから催促が飛ぶ。
「? どうし……たの? 入っていいよ……」
前からはエルヴィネーゼの言葉。その言葉に、フィオナは過敏に反応した。
「す、すいませんでしたっ!」
腰を九十度に折って勢い良くお辞儀をして、急いで扉を閉めたフィオナ。その様子をきょとんとした表情で見送るエルヴィネーゼ。
扉の向こうでも、フィオナの突然の挙動に、お見舞いに来た全員が口をポカンと開けている。
「……どうした?」
一番最初に立ち直ったクラウドが、最もな質問をぶつける。
「いや今は止めておきましょう今はダメですええそうです止めましょう」
どこか必死な様子のフィオナに、全員が頭にクエスチョンマークを浮かべる。その中で、シャイナだけがクエスチョンマークからエクスクラメーションマークへと変わった。
「ハッ! まさか、エルちゃん──」
「…………はい」
フィオナは、シャイナが察してくれたと思い、沈鬱な表情で頷く。
「──中でイケナイ情事の真っ最中……」
「違いますッ!」
沈鬱な表情はどこへやら。顔をリンゴのように真っ赤にしてシャイナの推測を否定するフィオナ。
「じょう……じ?」
「……知らなくて大丈夫」
脇ではソラリスが知らない単語に首を傾げ、セシルが気にするなと諭している。
「……それで、結局どうしたの?」
それを呆れ顔で見ていたリンが、フィオナに続きを促す。
「あ、えと……」
リンの質問に、顔を暗くするフィオナだが、答えないとダメだなという結論に至り、言いにくそうに答えた。
「エルヴィネーゼさん、泣いてて……。その、悔し涙っぽいんだよね……」
その言葉を聴き、表情を険しくする一同。皆無言で、示し合わせているかのように扉を見やる。
約二名を除いて。
ガチャ!
「なになに、泣いちゃってるんだってエルちゃん!? お姉さんが優しく慰めてあげようかッ!?」
「あの程度で泣くだと……? 脆弱な精神だな」
「シャイナさん!? 先生!?」
構わず特攻するのは、やはりと言うべきかシャイナとクラウドであった。フィオナは慌てて二人を止めようとするが、既に二人は病室内に入ってしまっていた。
そして、その二人が見たのは、確かに瞳をうるうるさせたエルヴィネーゼ。
だが、その表情はポカンとしており、別に悔しそうでもなんでもない。
「泣いてる……? なんのこと?」
エルヴィネーゼの疑問に、黙ってしまったクラウドとシャイナ。そして徐にフィオナの方へ振り向いた。
フィオナは、二人の肩口からその様子をバッチリ見ており、あれっ!? と言った表情を浮かべている。
額から、汗をだらだら流して。
「い、いや〜、あはは……は……」
空気をどうにかしようとして笑ってはみたが、二人の沈黙と無表情が全てを無効としている。
「…………ッ!?」
更に自身へと注がれる視線に気付いたフィオナは、錆び付いた歯車のように首を後ろに回す。
『………………』
突き刺さるは四対八本の視線。廊下にいた四人にも状況は伝わったようだ。
「はは……は……」
前門の虎、後門の狼。逃げ場、なし。フィオナに出来ることは、一つしかなかった。
「ご、ごめんなさい〜!」
***********
「ああ、あれは痛みに耐えてただけよ。ちょっと動いちゃって」
「そんなことだろうと思ったわ」
「嗚呼……」
「ご、ごめんなさい……」
「まあまあ、二人とも。フィーに悪気はなかったんですし……」
「お姉ちゃんもあんなに慌てたりするんだ……」
「……滑稽だった」
「ハハハ……」
フィオナの勘違いも無事(?)解決し、今は全員が病室に入っている。元々、あまり広くはない病室なため、七人も増えると少々手狭である。
「調子はどう、エルちゃん?」
ベッドに一番近い位置にいたシャイナが、エルヴィネーゼの容体を尋ねる。
「副作用がツラいですけど、他は全く問題なしです」
エルヴィネーゼは、僅かに開いた口から声を出す。口を動かすだけでも相当ツラいため、あまり大きな声は出せず、しかもその声も聞き取りづらい。
それでも、確りと聞き取ったシャイナは満足そうに頷いた。
「なら良し。明日には完全復活ね」
「そうですね……」
シャイナとエルヴィネーゼが会話をしていると、セシルが近くによってきた。
「……平気?」
「平気……ではないわね。身体中が痛い」
「……そっか」
セシルはそれだけ言って、離れていった。
「……全く、人の心配するより、自分の心配しなさいよね」
会話の輪に加わりながらも、どこか上の空であるセシルの後ろ姿を目だけ向けて眺めながら、エルヴィネーゼはやれやれと嘆息する。
「次の試合のこと?」
「そうです」
シャイナは腰に手を当てながら、呆れたように笑みを浮かべる。
「エルちゃんとセシルちゃんが逆の立場だったとしても、今と全く一緒のやりとりが見れたでしょうね」
「……それ、どういう意味ですか?」
「そのまんま」
「むぅ……」
エルヴィネーゼがむくれていると、次に近くに来たのは、カイル、フィオナ、ソラリスの学生三人組だ。
「大丈夫ですか、エルヴィネーゼさん?」
「ありがと。なんとかって所だけど……」
カイルの心配そうな声に、表情を緩めるエルヴィネーゼ。本人としては、笑顔を作りたいのだろうが、それが限界であった。
「早くよくなってね、先生」
「うん。ゴメンね、応援してくれたのに勝てなくって……」
エルヴィネーゼが申し訳なさそうに謝ると、ソラリスは慌てて首を振った。
「そ、そんなことないです! あたし達の方こそ、最初から応援出来なくてごめんなさい」
そう言って頭を下げたソラリスに、エルヴィネーゼは優しく笑いかけた。
「そんなことないよ。貴女達、二―二の皆の応援があったから、あそこまで頑張れたんだよ。応援がなかったら、途中で諦めてただろうし……。ありがとね、あの応援が一番良く聞こえたわ」
「あ……」
エルヴィネーゼの感謝に感極まったのか、ソラリスの瞳から涙が流れ出した。
「あ、あれ……? なんで泣いてるんだろ、あたし」
拭っても拭っても治まらない涙に、ソラリスは困惑していたが、そんな彼女を四人は優しく見つめていた。
嬉し泣きが止まらなくなってしまったソラリスを連れてカイルとフィオナが下がると、最後にクラウドとリンがやってきた。
「調子はどう? とは訊かないよ。訊かなくても分かるし、訊かれ飽きてると思うし」
リンの言葉に、エルヴィネーゼは僅かに苦笑い。
「ありがと。ゴメンね、勝てなくて……」
「ううん、俺感動した。凄かったもん、お姉さん。あんなに強いなんて思ってなかった」
リンはベッドに腰掛けようとして、後ろのクラウドに止められた。
「止めとけ……。軋み一つで激痛だ」
「あ、そっか……」
納得したリンは、代わりに丸椅子に座った。
「イヴと戦ったときは、全然本気じゃなかったんだね」
リンは、どことなく嬉しそうに言った。頬も、少しばかり緩んでいる。
「……リンちゃんの苦しみを知ったから。あんなに悔しそうな顔をされて殺せるほど、あたしは人間が出来てないから」
エルヴィネーゼの言葉を、目を瞑って聴いていたリンは、ゆっくりと瞼を開いて、その可愛い顔を綻ばせた。
「ありがと。ホントにありがとう。ちゃんと、お礼言わなくちゃって思ってたけど……、こんな変なときでごめんなさい」
「気にしないで。あたしも、すっごく嬉しいから」
互いに笑い合った後、リンは丸椅子から立ち上がった。
「それじゃ、俺は満足したから。後は、お二人でごゆっくり……」
「なッ……!?」
「………………」
リンは含みのある笑いをしながら、クラウドとエルヴィネーゼを交互に見て、皆の所へ歩いていった。
「あらら……、ならお姉さんもオジャマかしらん?」
それに悪乗りしたシャイナは、口元に手を当てくふふ、と笑った。
「だ、大丈夫ですから! 痛ッ!」
つい大声をあげてしまったエルヴィネーゼの顔が痛みに歪む。
「大人しくしていろ……、全く……」
そう言いながら、クラウドは今までリンが座っていた丸椅子に腰掛けた。
「………………」
「………………」
そして、無言。クラウドも、エルヴィネーゼも。いつの間にか、シャイナはその場を離れていた。
最初に口を開いたのは、クラウドだった。
「……敗けたな」
遠慮容赦のない一言。それを、エルヴィネーゼは素直に受け止めた。
「……うん」
軽く頷く。
そして、また無言。
クラウドの顔は、前髪の陰になっていて良く見えない。
「……どうだ? “オレの言ったことは、間違っていたか?”」
「“ううん……、間違っていたのは、あたしだった”」
「……そうか。それならば、もう良い」
「……うん」
当人達にしか分からない会話が、小声で交わされる。互いに明言はしないが、考えている事は、共に同じ。
──過去の、話。
「……そろそろ行ってくる」
不意に聞こえてきたのは、セシルの落ち着いた声だった。
「そうですね。あまりゆっくりしてるといけませんからね」
フィオナがうんうんと頷く。ソラリスも、頑張って下さいとエールを送る。
「……ありがとう。……エル」
セシルは、ふらふらとエルヴィネーゼのベッドに近寄る。
「……勝ってくるから」
「……うん。あたしの分まで頑張れ」
「……勿論」
強く頷いたセシルは、一度クラウドに視線を送ってから、病室を出ていった。
「セシルの相手は……」
「No.21の人です」
エルヴィネーゼの呟きに、カイルが律儀に答える。
「そっか……。なら、問題ないかな」
エルヴィネーゼは、安心しように目を閉じた。
「みんな、ゴメン。ちょっと、眠くなってきちゃった」
「分かったわ。ほらみんな、出ましょうか」
シャイナが、お見舞いに来たみんなを外へと促す。
全員、部屋を出るときに、エルヴィネーゼに一言ずつかけていった。
「……ありがと。明日には、復活してるから」
エルヴィネーゼの感謝の言葉に、みんなが頷いた。
「そいじゃ、お大事に」
「ありがと、シャイナさん」
最後に部屋を出たシャイナが、静かに扉を閉めた。
急に静かになった室内。 エルヴィネーゼは、先のクラウドとのやりとりを頭の中で反芻していた。
『“オレの言ったことは、間違っていたか?”』
(……ただ、一つだけ)
エルヴィネーゼは、目を閉じたまま小さく呟いた。
「あたしは、頼っていたわけじゃない……。それしか、無かったのよ……」
そして、そのまま、眠りについた。
皆様に、少しお訊きしたいことがあります。
この小説の行間ですが、このままで大丈夫でしょうか?
読みづらい、という意見がありましたら、少々変更しようかと思うのですが。
どうか、ご意見お寄せください。