第三十七夜 剣vs爪
ビビーッ!
試合開始のブザーが鳴り響き、フィールドのみならず、会場全体に威容な緊張感が走った。言い換えるならば、空気がピリッとした、である。
皆、理解しているのだ。この試合は、油断出来ないと……。
最初に動いたのはエルヴィネーゼだった。
左腿に縛り付けてあるホルスターから拳銃を取り出し、左手で構えながら隠れていた岩蔭から飛び出した。
(いくら〈血風舞う蹂躙の爪〉があるからと言って、がむしゃらに近距離戦を挑めば、敗けるのは必至。だったら、まずはこれで牽制して……)
走りながら思考を回転させるエルヴィネーゼ。頭の中で、いくつものファーストコンタクトに対する対応をシュミレートし、不測の事態に陥らないようにする。
これは、彼女のいつもの戦い方であり、同時に癖でもある。幼少の頃に叩き込まれたこの思考回路は、確かに様々な状況に対処することに成功してきた。
だが、それは様々な状況であり、全ての状況ではない。
(『至高の剣装』は遠距離武器を持っていないはず……。ならば、遠目からの射撃を嫌い、不用意に近づいてきた所を〈血風舞う蹂躙の爪〉で迎撃すれば……ッ!)
一瞬だが、一つの岩蔭から僅かに剣先が覗いた。
(あれは……囮? でも、確認しようとして下手に近づいてバッサリされたら、そこで終わり……。ならまあ──)
エルヴィネーゼは銃口を件の岩に向けた。
(シュミレート通り、乗らせてもらうわよッ!)
引き金を、引く。
パンッ
拳銃から、その殺傷力からは想像も出来ないほど軽い発砲音が響く。銃口から放たれた銃弾は、寸分違わず彼女の狙いに向かって飛んでいく。
そこは、剣先が見えた岩の端をちょうど削るような絶妙な位置である。
(どう……? 何か反応は……)
このときエルヴィネーゼは、実に四十六通りの状況をシュミレートしていた。彼女としては、カルロスが例えどんな動きを見せたとしても対処出来るつもりであった。
暫く──と言っても、二秒も経過していないが──して、カルロスは動き出した。
エルヴィネーゼから見て岩の左側から、地面スレスレで剣を覗かせたのだ。
(あの行動は、十六通りシュミレートしてある……。さて、どれになるか……)
エルヴィネーゼが待ち構えていると、カルロスはその剣を横にスライドさせた。
岩を通過して。
(え……? 岩を切断……?)
なんの抵抗もなく、まるでバターを斬っているかの如く岩を切断したカルロス。地面スレスレを切断したため、岩はほとんど原型を留めたままだ。
(一体何を……? これはシュミレートに……ッ!)
「なッ!?」
思考の途中でエルヴィネーゼがギョッとした。
岩が大きくなってきているのだ。
(じゃなくて! 体を隠すほどのサイズの岩を突き飛ばした!?)
そう。大きくなってきているように見えたのは、ただ岩がとんでもないスピードで飛来してきているからだった。
(どんな膂力してんのよッ!? とにかく、あのサイズは〈血風舞う蹂躙の爪〉じゃ両断出来ない。回避あるのみ!)
そう判断し、右側へ跳躍して岩の弾丸を避ける。
そうして、岩蔭で隠された視界が開けたと同時に目の前に現れたのは──
「ッ!?」
鼻先五センチもいかない所にあった、刃であった。
(投げナイフッ!? くそッ)
この投げナイフを、持ち前の反射神経を駆使してなんとか〈血風舞う蹂躙の爪〉で弾き飛ばす。
だが──
「──ッ!」
次にエルヴィネーゼが見たものは、前傾姿勢で突っ込んでくるカルロスであり、彼は既に体の横合いから〈鎧断つ無情の剣〉を振り抜きかけていた。
(回避は間に合わないッ! とにかく防御を……!)
肉薄してくる〈鎧断つ無情の剣〉と自身との間に、投げナイフを弾き飛ばす際に使用しなかった左手の〈血風舞う蹂躙の爪〉をなんとか捩じ込む。その際、持っていた拳銃は躊躇なく捨てている。
ガギンッッ!
鈍い音を立てて二つの固有兵装がぶつかり合い、〈鎧断つ無情の剣〉はそのままの勢いでエルヴィネーゼを吹き飛ばした。
「ガハッ!」
背中から勢いよく岩にぶつかり、肺の中の空気が一気に抜ける。
そんなエルヴィネーゼに対して、追撃をしかけるカルロス。〈鎧断つ無情の剣〉を横に流しながらエルヴィネーゼに向かって走る。
「ッ!」
それに気付いたエルヴィネーゼは、右手を開いてカルロスに向けた。
(『霧塵・削』ッ!)
突如舞い上がる砂埃。それを見たカルロスは迷わずその砂埃に向かって〈鎧断つ無情の剣〉を振り抜いた。
ガガガガガガッ!
「くっ!?」
カルロスの手に伝わる振動。それは、何か硬いものに鑢をかけたときと同じモノであった。
〈鎧断つ無情の剣〉を振り切ったカルロスは、後方に跳んで距離を稼ぐ。
(やはり、無理でしたか……)
カルロスは自身の長剣の状態を確認する。
(傷痕は……無し。あの程度では流石に傷付きませんよね。だけど、厄介ですね……)
カルロスは眼前に広がる砂埃に目を向ける。
(抵抗はあるのに、手応えがない……。斬っても斬れない壁……ですか)
一方、『霧塵・削』を発動したエルヴィネーゼもカルロスと似たようなことを考えていた。
(やっぱり……。あたしの『霧塵』は『至高の剣装』に相性がピッタリ。下手に壁型の土術出しても、あの長剣で一刀両断だからね……。その点、『霧塵』ならいくら斬られても、斬られない。それに、『霧塵』は攻めにも転じられる。……予想通り、正にこの試合の攻守の要になりそうね!)
なんとか体を起こしながら樮笑むエルヴィネーゼ。その体調は、未だ万全とは言えない。
深く、大きく深呼吸しながら、次の策を考えるエルヴィネーゼ。
そんな様子を観客席から見ていたカイルが、クラウドに話しかけた。
「エルヴィネーゼさんのあの魔術なら、確かに『至高の剣装』と相性が良いですね」
クラウドは眼下にフィールド全体を俯瞰しながら、表情を変えずに答えた。
「嗚呼。だが──」
「え?」
「あの魔術は一回戦で既に披露している……。『至高の剣装』も、あの魔術が自身にとって相性が悪い事は承知しているハズだ。それ故、なんの対抗策も講じていない訳は、ない」
クラウドの言葉に、カイルは生唾を飲み込み、再びフィールドに視線を戻す。隣で観戦していたフィオナも、今まで以上にカルロスを注視し始める。
(……そう甘くはないぞ、『至高の剣装』は)
クラウドは、視線を強めてエルヴィネーゼを見ていた。傍目には、睨んでいるように見える。
(『吸血』を使わん理由は知らんが、奥の手を隠すという芸当は、格下が使うべきではない……。持てる力を全力で注ぐのが常套だ。相手の引き出しを開けさせるなよ、エル)
***********
(最初の難関は、予想通りこの魔術ですね)
カルロスは〈鎧断つ無情の剣〉を肩に担ぎながら嘆息する。
(まあ、初見だったら正直ヤバかったですが……)
次に、その長剣を背中の鞘に収めた。
そのまま右手は左腰にぶら下がっている鞘に入った剣の柄を握る。
(一度見てますからね、対抗策はバッチリです……よッ)
そして、抜刀。
ゴォオオオオッ!
「ッ!? なに?」
突如吹いた突風。その突風により、エルヴィネーゼの『霧塵』が吹き飛ばされてしまった。
「一体、なにが……」
腕で両目を庇いながら、薄目で事態を確認しようとするエルヴィネーゼ。突風が止み、その視線の先に見えたのは、
「なに……アレ……?」
右腕を振り抜いた姿勢で立っているカルロスだった。ただ、問題なのはその彼が右手で握っているものだ。
「刀身が……扇?」
カルロスが抜刀したその剣は、柄や鍔は剣のそれだが、肝心要の刀身が剣の形をしていなかった。鍔に接している部分を支点に扇状に広がっているのだ。
「まさか、それが……?」
エルヴィネーゼの呟きに答えたのは、剣の担い手であるカルロスだった。
「その通りです。これは、鉄扇ならぬ剣扇。刀身を幾重にも重ねることで、剣の形状をしていながら同時に扇の役目も果たす代物です。今回は、貴女の『霧塵』に対抗するためだけに持ってきました」
「ッ!」
顔を強張らせるエルヴィネーゼ。つい先ほど攻守の要になると予想した魔術が、こうもあっさり破られたのだ、仕方ないだろう。
「いやー、それにしても疲れますね。この剣扇の欠点は、その重量なんですよ。なんせ、単純計算で何本もの剣を一緒に持っているのと同義なんですからね」
右手を一振り、扇状に広がっていた剣の束を纏め、一見すれば其処らの剣と何ら変わらない形状へと戻した。当然、剣の厚さは他のものを凌駕するが。
「……それって、言い換えれば」
嫌な予感がしたエルヴィネーゼは、〈血風舞う蹂躙の爪〉を展開し、油断なく構える。
「ええ、そうです」
瞬間、カルロスがエルヴィネーゼに突っ込む。勿論、手に持っているのは〈鎧断つ無情の剣〉ではなく、剣扇のままだ。
カルロスは体を目一杯捻り、その反動で剣扇を振るう。対するエルヴィネーゼも左手の〈血風舞う蹂躙の爪〉を開き、剣扇に突きを放つ。
二つの刃はぶつかり合い、火花を散らした。
散らした、だけだった。
(くッ! やっぱり……!)
エルヴィネーゼは顔をしかめながら、拮抗する状況を嫌がり足を浮かせた。
踏ん張りがなくなったエルヴィネーゼの体が、カルロスの剣扇によって軽々と押し飛ばされる。だが、今回は先ほどとは違い、エルヴィネーゼがわざと飛ばされたため、岩に体をぶつけることなく華麗に着地した。
「束……ね」
「その通りです。この剣扇は重量の増加を代償に、通常の剣では得られない頑丈さを獲得しています。そのため、この剣扇は切り裂くのではなく──」
またもや一直線に突っ込んでくるカルロス。剣扇を両手で握り、大きく振りかぶる。受け止められないと直ぐ様判断したエルヴィネーゼは横に回避。振り下ろされた剣扇はエルヴィネーゼを外れ、そのまま──
ゴガァアアアアンッ!
エルヴィネーゼの背後にあった大岩を粉砕した。
「──叩き潰すのです、その重量を十全に使ってね」
エルヴィネーゼの額からツツーと冷たい汗が一筋流れる。
(ヤバい……、全然シュミレート通りにいかない……。まさか〈血風舞う蹂躙の爪〉でも切り裂けない剣が出てくるなんて……)
完全に受け身に回ってしまったエルヴィネーゼ。自ら突っ込むことはせず、逆に突っ込んでくるカルロスの剣扇を〈血風舞う蹂躙の爪〉で受けるだけ。更に、膂力の差から数合打ち合うだけで簡単に吹き飛ばされてしまう。
今現在、この戦いは完璧にカルロスの流れになっていた。
一体、何度吹き飛ばされただろうか。
ぼろぼろになりながらもなんとか剣扇を受け止めるが、受けきる力も残されていなく、やはり吹き飛ばされてしまう。背中から岩に直撃、だけに留まらずそれを粉砕する。それに伴い粉塵が舞い、視界を遮る。
「エルヴィネーゼさん……」
カイルが泣きそうな表情で呟く。手を握り締め、何かに耐えているかのようだ。
「お姉さん……」
リンも下唇を噛んで悔しそうにしている。
「……先生」
フィールドから視線を反らし、後ろに振り返って涙目でクラウドを見るフィオナ。
「………………」
見られたクラウドは、無言でフィールドを眺めていた。
「……え? 先生?」
あまり感情的になっていないように見えるクラウドの様子に、疑問を持ったフィオナ。
「どうした?」
クラウドは、今気付いたかのようにフィオナの方に顔を向ける。
「あんまり、悔しそうではないですね?」
悲しそうにしてた先の二人も、フィオナの言葉にクラウドの方に顔を向けた。
「……当たり前だろう」
「どうしてですか?」
クラウドは一度、首に手をやりゴキッと鳴らす。
「……アイツの二つ名はなんだ?」
その言葉にハッとする三人。
「そっか。お姉さんにはまだアレがある」
「エルヴィネーゼさんの異能……」
「……『吸血』」
希望が見え、顔を輝かせはじめた三人を傍目に、クラウドはぽつりと呟く。
「……何を躊躇している? お前が格下なのは、誰の目から見ても明らかだ……。現実を直視しろ……」
(やっぱダメかぁ……。生身でどれだけ通用するか確かめたかったけど……)
崩れた岩に体を埋めながら、苦笑いするエルヴィネーゼ。彼女の左手が腰のポシェットに回った。
「………………」
いつまで経っても晴れない砂埃に、カルロスは剣扇を開いた。
(また性懲りもなく『霧塵』ですか? 時間稼ぎのつもりですかね?)
体を捻り力を溜めて、一気に解放する。剣扇によって起こされた突風は、容赦なく粉塵を消し去る。
と──
「ッ!?」
突風の中を突っ切って、エルヴィネーゼがカルロスに突進してきた。粉塵によりその動きが半ばまで隠されていたため、驚きの表情を浮かべるカルロス。
だが直ぐに、僅かに口角を上げるカルロス。
(まさか、この振り切った体制を狙うためにわざと『霧塵』を……? いや、例えそうだとしても、見くびられたものですね、俺も)
エルヴィネーゼのタイミングは完璧だった。カルロスの腕が延びきり、力が一番抜けたその一瞬に、彼女の刃が届くものだったからだ。
しかし、カルロスの膂力にはその一瞬がなかった。
振り切った剣扇を刹那の内に引き戻し、〈血風舞う蹂躙の爪〉の軌道上に割り込ませた。いつの間にか扇は閉じられている。
これにより、二つの刃は火花を散らす──ことはなく、
バキィイイイン!
「なッ!?」
〈血風舞う蹂躙の爪〉が剣扇を真っ二つに切り裂いた。
更に、驚愕により動きが一瞬止まったカルロスに追撃が襲う。
剣扇を切り裂いたのは左手の〈血風舞う蹂躙の爪〉であった。
当然、爪は二対ある。
「くッ!」
自身を狙う右手の〈血風舞う蹂躙の爪〉に気付き、避けようと後退するが、完璧な回避は叶わなかった。
「ぐぅ……ッ!」
カルロスの胸を横に裂く四本の筋。そこから血が流れ出る。
「くそッ! どうして……!?」
十分な距離をとった所で足を止めたカルロスだが、エルヴィネーゼは追撃の手を緩めていなかった。
一飛びでカルロスの懐近くまで潜り込むエルヴィネーゼ。今度は両手の〈血風舞う蹂躙の爪〉で内から外に裂く構えだ。
「──ッ」
カルロスは痛みを堪えながら、折れた剣扇を捨て、背中の〈鎧断つ無情の剣〉を鞘ごと素早く抜き、体の正面に立てた。
ギィンッ!!
今度は、どちらの刃も砕けることはなかった。ただ、今の一撃で〈鎧断つ無情の剣〉の鞘は壊れてしまった。
追撃に失敗したエルヴィネーゼは、直ぐ様後退。距離をとった。
「くそぅ、浅かったか……」
悔しそうに呟くエルヴィネーゼ。彼女の言う通り、カルロスの胸の傷は見た目ほど酷くはない。
「……何故、とは訊きません。『吸血』ですか……」
胸の傷を左手で触って確認しながら、カルロスはそう言った。
「正解。んじゃあ、そろそろ試合開始といきましょうか」
〈血風舞う蹂躙の爪〉を構え、前傾姿勢になるエルヴィネーゼ。
「……そうですね。やはり、二つ名の戦いはこうでなくては」
〈鎧断つ無情の剣〉を両手で握り、体の横に流す構えのカルロス。
──四回戦第一試合は、これから佳境に入る──