第三十夜 初日終了
二週間ぶりの投稿です。
この拙作もついに三十話となりました。これも、この作品を読んでくださる読者様のお蔭です。
それでは、どうぞ。
「『紅蓮地獄』……」
シャン────
セシルの対戦相手の全身が氷漬けとなる。まるで一回戦の再生のように、とどめが全く同じである。
《試合終了ォオオオオ!! 勝者はセシル・フローラムッ! 順当に駒を進めたァアアア!》
実況の叫び声が会場に響く。一回戦の時は氷漬けになった選手を気遣っていたが、命に別状がないことが分かったからか、完璧に無視である。
救護班が駆けつけるのを視界の端に捉えながら、セシルは氷結解除を行ってからフィールドを後にする。その時チラリと観客席に視線を向けたが、直ぐに正面へと戻した。
《ではこれにて、二回戦全試合終了と共に、一日目終了ォオオオオ! 生き残ったのは一桁を除いて六十四人中、十六人だけ! これが明日にはたったの四人にまで絞り込まれることになる! そして、その過程では今日以上の熾烈な戦いが待ち受けているハズだ! テメェら……これを見逃したら人生の大部分を損することになるぞ! いいかッ!? 明日は絶対に来い! 死んでも来いッ! 俺はそんなテメェらを待ってるぞ!!》
実況の大袈裟なMCで大会一日目が終了した。
十六人中、二つ名は八人と全員残っているため、その実力は想像に難くないだろう。
観客席に戻ってきたセシルに、皆が祝福の言葉をかける。
それに頭を下げたりして返答していると、ソラリスが近くにやってきた。
「おめでとうございます、セシルさん」
「……ありがとう」
他の人達とは違う対応で応えるセシル。しかも、うっすらとではあるが、微笑付きである。
「ホント、一気に仲良くなったわね……」
エルヴィネーゼが呆れながら呟く。他の面々も口には出さないがうんうんと頷いている。
「お姉ちゃんとしては、嫉妬しちゃうんじゃないの〜?」
シャイナがニヤニヤ笑いながらフィオナに耳打ちする。
だが、フィオナはシャイナが期待した反応──顔を真っ赤にして吃りながら否定する可愛らしい反応である──はせず、ただ嬉しそうにソラリスを見ながら答えた。
「いえ。ソラリスがあんなに楽しそうにしているのを見られて嬉しいですよ。あの子は元々内気な方でして、いつもあたしの後ろに隠れているような子だったんです。でも、クラウド先生やセシルさんみたいに、まだ少数ですけど、臆することなく……っていうのは少し語弊があるかもしれませんが、まあそんな感じに打ち解けられているっていうのは、さっきも言いましたが、姉としては嬉しいですね。まあ、今まで頼られていた分、姉離れされちゃって寂しい気持ちがあるのも嘘じゃないんですけどね……」
えへへ……、と照れたようにはにかむフィオナを、シャイナは優しげな笑みで見ていた。
「立派な姉じゃない。ソラリスちゃんの気持ちが分かるわ。私が妹でも、つい頼っちゃいたくなるわ」
「や、やめてくださいよ、そんなお世辞なんて……」
「お世辞じゃないんだけど……まあ良いわ。それと、一つだけ」
人差し指をピンと立てるシャイナ。
「え?」
「まだまだあの子には“お姉ちゃん”が必要よ」
立てた人差し指をそのままに、フィオナの後ろを指差す。
フィオナが振り向けば、そこにはこちらに向かってくるソラリスがいた。
「“お姉ちゃん”!」
カバッと抱き着くソラリスにフィオナを目を白黒させる。
「ソ、ソラリス……?」
ソラリスは抱き着いたまま顔だけを挙げて、えへへ……と笑う。その笑みは先程のフィオナとそっくりであった。
「お姉ちゃんが寂しがってるってセシルさんが……」
ギョッとして慌ててセシルを見れば、よく見なければ分からないが、確かに笑みを浮かべていた。
顔が沸騰していくのを自覚出来るフィオナ。
「……大丈夫だよ、お姉ちゃん」
そんなフィオナを見上げながら、ソラリスは抱き締める腕を更に強くした。
「あたしには、まだまだお姉ちゃんが必要だから……。お姉ちゃん離れなんて、全然出来ないよ。だから安心して」
その宣言に、一瞬ポカンとするフィオナ。だが直ぐに我に返り、込み上げてくる感情を我慢しようとしたが叶わず、悪あがきとばかりにソラリスの頭をぐりぐりと撫でる。
「ん〜、な〜に、お姉ちゃん〜」
文句を言いつつも気持ち良さそうな声をあげるソラリス。
「まったく……。お姉ちゃんとしては、安心じゃなくて心配よ、姉離れが遅いなんて……」
「えー?」
そして、心配だと口にしているフィオナの表情は、誰が見ても、嬉しそうであった。
その様子を離れた場所から見ていたクラウドに、エルヴィネーゼが近付く。
「羨ましい? フィオナが……」
クラウドは目付きを険しくしたが、それも一瞬の事で、直ぐにいつもの気だるげな雰囲気に戻る。
「その言い方だと、オレがソラリスを狙っているように聞こえるぞ……」
「あら? 実際にそうじゃないの?」
まだまだ弄る気満々だったエルヴィネーゼだったが、クラウドに睨まれたため直ぐ様方針転換した。
「じ、冗談だって……そんな本気で怒らないでよ……」
苦笑いをしながら、両手を顔の高さまでホールドアップするエルヴィネーゼ。だが、内心はガタガタと震えていた。
「………………」
暫く睨み付けていたクラウドだったが、唐突に顔ごと視線を逸らした。それでようやくホッと一息吐けたエルヴィネーゼ。そして、表情を引き締めて、本当に言いたかった事を放つ。
「ま、あたしも直接知っているわけじゃないから、深くは言及しないけど、これだけは言わせて」
先程の巫山戯た雰囲気は完全に霧散し、真面目な表情のエルヴィネーゼ。それに気付いたクラウドも顔は横に向けたまま視線だけをエルヴィネーゼにやる。
「“何時まで過去に縛られてるの”? No.77に拘る事とか、妹みたいな女の子に甘いところとか……」
「………………」
一瞬だけ、視線をクルービー姉妹に向ける。そこには仲睦まじげな、理想的な姉と妹がいた。
「……オレは──」
クラウドが静かに呟く。それは本当に小さな声で、回りの喧騒に紛れてしまいそうだったのに、何故だかエルヴィネーゼの耳には、はっきりと聴こえていた。
「オレは過去に縛られている訳ではない……。ただ、過去を忘れていないだけだ。憎悪を忘れていないだけだ。復讐を忘れていないだけだ。屈辱を忘れていないだけだ。苦悶を忘れていないだけだ。後悔を……忘れていないだけだ」
淡々と、本当に淡々と、まるで原稿に書かれている事をそのまま声にしているかのような声色、調子で語り続けるクラウド。
「今のオレは、過去と、憎悪と、復讐と、屈辱と、苦悶と、後悔で成り立っている……。これらが無ければ、今の“オレ”はいない。情けなくとも純粋だった、世界の醜さを知らない“ボク”がいただろうな」
その表情に感情は一切無く、ただただ“無”が、そこに居座っていた。
「………………」
エルヴィネーゼは、無言でクラウドの独白を聴いていた。なんの抑揚もない、ただの一本調子の独白を。
(まったく……、それを縛られてるって言うのに……)
だが、そこに秘められた感情を、エルヴィネーゼは確りと聴き取っていた。
“寂寥”。
淡白な台詞の裏には、親を探す迷子の子供のような、儚く、拙く、ともすれば直ぐに泣き出してしまいそうな、不安と寂しさが内包されている。
クラウドは、意識的にか無意識的にか──恐らく後者であろう──この感情を隠しているが、エルヴィネーゼには通用しなかった。
(やっぱりか……)
何故なら──
(クラウドもあたしと同じだ……)
彼女も──
(あの時匂った同族の香りは本物だ……)
クラウドと同じく──
(あたしと同じ、孤独を識る人間だ……)
“寂寥”を識っているから。
(でも……あたしより、濃くて深い闇だ。あたしなんかのと比べたら失礼な程の……濃厚な闇)
そんなエルヴィネーゼですら量れない、量りきれない。
(あたしは、知らない。恐らく知っているのは、シャイナさんと……ナーシャぐらいかな)
それほど深い、深い闇。
(クラウドの過去を知っているのは……)
クラウドは、闇に、縛られている。
***********
貴賓席に座っていた王族や貴族は、大会初日が終了してからも席を立つことはなく、メモに何事かを書いていたり、周りの護衛と色々と相談をしたりしていた。当然その内容は、今日の試合で目についた傭兵についてだったり、個人的に契約をしてしまおうと画策していたり、といったものである。
しかしそんな中、ツェツァリ王国の王族として大会観戦をしていたユリア王女は、実況が終了宣言をしてから三十分もしない内に席を立っていた。
曰く、「座り続けて腰が痛い」とか……。
勿論、ユリア王女の護衛はもう暫く座っていてくれと懇願したが、一様に聞き入れてくれることはなく、泣く泣く護衛達も後に続いた。
そして今の現在地、国営運動場入口前。
「物凄い人ですね」
帰りの混雑を前に、足が止まっていた。
「だから言ったでしょう、もう少し待ちましょうって……」
つい愚痴――のようなもの――を溢してしまった護衛の男性。彼は、今まさに頭を抱えたい気分である。
「まあ良いじゃないですか。たまにはこういうのも……」
そして、護衛の男性の苦悩を一マイクロも理解していないユリア王女は、暢気にそんなことを言い放った。
それを聞いた護衛の男性は色々とアレな感情──所謂怒り──が沸き上がってきたが、流石に爆発することはなく、深く細い溜め息を吐くことでなんとか耐えてみせた。
「それじゃあ、取り敢えずホテルに戻りますか」
そう言ったのは、怒りの元凶であるユリア王女だ。この人混みの中を突き進んでいく気満々である。
流石にそれは止めなければと、護衛の面々が表情を強張らせたとき、ユリア王女は一人の女の子が近くで転けたのに気が付いた。
つい条件反射で女の子に歩み寄り、手を差し出す。
「大丈夫?」
「ふぇ……?」
涙を溜めていた目がユリア王女を捉え、ポカンとしていた。
転んだのは、お下げ髪で目がくりくりした女の子であった。年の頃は二桁も行っていないだろう。
「大丈夫? ほら、掴まって」
もう一度同じ言葉を発してから、ユリア王女は女の子の手を握る。未だに女の子は放心状態である。
「ひ、姫様!?」
慌てるのは当然護衛達である。自分達護衛の囲いを抜けてまでして女の子に手を貸す理由がないためだ。それに、無防備に護衛の輪から抜けること事態が、既に護衛達の動揺を誘った。
「よいしょ……っと。大丈夫? 怪我はない?」
転んだままだった女の子を立たせてから、三度同じことを訊くユリア王女。それにやっと女の子が反応した。
「お、お膝が……」
半泣き状態で言った箇所を見てみれば、確かに右膝を擦りむいており血が滲んでいた。
「ありゃ……痛そう。取り敢えず、傷を綺麗にしなきゃ……」
そう言って手に持っていた手提げポーチから取り出したのは、彼女のハンカチであった。無論、高級品である。
「姫様……」
それには護衛も絶句した。これから彼女が何をするのか見当が付くからである。
「構いません。ハンカチだって、使われるためにあるんですから」
「わ、私達がやりますから」
「私でもこれくらいなら出来ます」
ユリア王女は、ハンカチの端を口に含んで湿らす。そして、それを女の子の傷口に当てた。
「ちょっと染みるからねぇ」
「ひゃう……!」
「ちょっとだけ我慢してね〜」
痛そうにしている女の子に声をかけながら、確りと傷口を消毒するユリア王女。
「はい、終わり。よく我慢したわね。これで、後は絆創膏を貼るだけね」
そこまで嬉しそうに言ったユリア王女だが、大事なことに気が付いた。
「あ、私絆創膏持ってない……」
愕然とした表情で呟いたユリア王女に、一人の女性護衛が溜め息を吐きながらユリア王女の隣に跪いた。
「はーい、絆創膏貼るからね〜。じっとしててね」
そして、優しい手つきで素早く絆創膏を貼り終える。
「はい、終了。もう大丈夫だからね」
「あ……」
最後に軽くポンと絆創膏の上から叩き、終わったことを知らせる。
「ありがとう、カッコいいお姉ちゃん」
嬉しそうに感謝の言葉を口にする女の子。
「ありゃま、おだて上手ね。どういたしまして」
護衛の女性と女の子のやりとりを若干恨みがましく見ているのは、勿論ユリア王女だ。
「手柄取られた……」
「後先考えずに行動するからですよ。今後は、ちゃんと大人しくしていてください」
「むぅ……」
口を尖らせて拗ねるユリア王女に、女の子が近付いてきた。
「綺麗なお姉ちゃんも、ありがとう」
「……ッ!」
胸を撃ち抜かれたユリア王女。さっきまでの表情は何処へやら、口角を上げずにはいられない。
「ど、どういたしまして。今度からはもう少し落ち着いて行動しようね」
(貴女が言いますか……!?)
驚愕の表情を浮かべる護衛には気付かず、女の子はお下げを揺らしながら元気よく頷いた。
「うんっ!」
「よーし、偉いぞ」
頭をなでなでするユリア王女に、気持ち良さそうにされている女の子。
そこに、遠くから声が聞こえた。
「ユリアー! 何処だー!?」
「ユリアー! 何処にいるのー!?」
「あ、お父さんとお母さんだ!」
それを耳にした女の子は笑みを浮かべる。
「……あなた、ユリアって名前なの?」
ちょっと驚いたように女の子──ユリアを見るユリア王女。
「うん! お兄ちゃんのお見舞いに来たの!」
「そうだったんだ……。実は、私もユリアって名前なのよ」
「そうなんだ! お揃いだね!」
「そうね。さ、早くお父さんとお母さんの所に行きなさい。心配してるわよ」
「うん! ありがとね、ユリアお姉ちゃん!」
「……お姉ちゃん……」
未知の呼称に、体を震わすユリア王女。本当に嬉しそうである。
「どういたしまして! この子を両親の所まで送ってあげて」
頼まれた護衛──絆創膏を貼った護衛である──は苦笑いをしながら、ユリアの手を取った。
「さ、行こっか。送ってあげる」
「ありがとう! バイバーイ、ユリアお姉ちゃんー!!」
大きく手を振るユリアに振り返してあげるユリア王女。その表情は、終始にやついていた。
「面倒な事態になったな……」
櫓の書かれた図面を見ながら呟くのは、傭兵内最強の女性、ナタリア・リーンバールである。
「予定変更は已む無いか……。怒るかな〜、クラウドの奴……?」
ナタリアが見ていたのは櫓の一部分である。
そこには、三回戦進出をしているランカーの内の一人のランクが記されていた。
No.78と。