第二十九夜 自然師
「やはりか……」
苦虫を噛み潰したような表情で呟くクラウド。
そこには、自分の回りが氷結しているスウェンがいた。
そして、スウェン側から流れてくる熱風を直に浴びることで、クラウドは自分の予想が当たっていることを確信した。
「貴様……、“自然師”か……」
「まずは訊きたいんだけど、みんなは魔術が発動するプロセスって何処まで教えてもらったの?」
エルヴィネーゼ先生による青空教室は、まず知識の把握から始まった。何分、彼女が教師代理をしてから軽く一月は経っている。生徒達も、あの頃よりは随分博識になっているはずだ。
「三系統魔術までは習いました。四系統魔術はまだです……」
ソラリスが代表して答える。回りの生徒達もうんうんと頷く。
「そっか。じゃあ、一応それについてあたしに説明してみて」
「え?」
「人に分かりやすく教えられて初めて、知識っていうのは身に付くのよ。だから、ソラリスがちゃんと魔術について分かっているかどうか、あたしに教えてちょうだい」
突然の発表会に、ソラリスはあわあわ言いながら顔を真っ赤にして周りを見渡す。しかし、ソラリスのクラスメイト達は彼女を囃し立てるだけで、誰一人救いの手を差し伸べてはくれない。
ソラリスは更に困ったようにキョロキョロと視線を右往左往させるが、ふと姉であるフィオナと目があった。
すると、フィオナはコクリと一つ頷いた。
「あ……」
──しっかりやりなさい──
フィオナにそう言われたように感じたソラリスは、今までの狼狽が嘘のように落ち着き始めた。
「うん……!」
そして、遂に決心をしてエルヴィネーゼに向き直る。
「お待たせしてすいません」
まずはお詫び。
「全然構わないわよ」
言葉通り、全く気にした様子のないエルヴィネーゼに、心持ち緊張が解れるソラリス。
「えっと……とりあえず魔力の説明からしますね。
あたし達はみんな、状態系統の『暖』と『寒』、形態系統の『乾』と『湿』をそれぞれ一つずつ、若しくはどちらにも属さない『無』とさっきの四つの内どれか一つを魔力として所持しています。中には二つ以上所持している人もいますが……。そして、自分が所持している魔力を混ぜ合わせることで魔術が発動します。ここまでは大丈夫ですか?」
不安そうに訪ねるソラリスに、エルヴィネーゼは笑顔で頷き、続きを促す。
「良かった……。では、続きを。
ここで混ぜ合わせる魔力の数で、魔術は呼び方が変わります。二つなら二系統、三つなら三系統と言ったようにです。では、まずは二系統魔術から説明します。
二系統魔術は最も基礎的な魔術で、『無』以外の魔力を持っている兵士なら大抵誰でも使うことが出来ます。もちろん、訓練は必要ですし、イメージ力が重要な役割を果たす魔術に於いて、“使える”のと“使いこなす”のとでは大きく違いますけど……。そして、発動される魔術は混ぜ合わせた魔力の組み合わせで異なる性質を持ちます。それは──、
『暖』と『乾』で『火術』
『暖』と『湿』で『風術』
『寒』と『乾』で『土術』
『寒』と『湿』で『水術』
──の四つです」
ここで一息入れるソラリス。説明というのは存外疲れるものなのだ。
「次に三系統魔術について説明します。
三系統魔術は魔力を最低三つ所持していなければ発動出来ない魔術のため、使用出来る人数は二系統魔術に比べてガクッと下がります。
そして、発動する条件ですが、始めに二系統魔術を練り、更にそこに新たな魔力を組み込むという形を取ります」
「そうね。三つの魔力を同時に混ぜ合わせて発動するって勘違いをしている人がいるけど、ソラリスは大丈夫そうね」
エルヴィネーゼが補足を入れつつソラリスを褒める。ソラリスは頬をほんのり赤く染めながらも、説明を続ける。
「その内訳は──
『火術』に『寒』で『光術』
『火術』に『湿』で『熱術』
『風術』に『寒』で『刃術』
『風術』に『乾』で『雷術』
『土術』に『暖』で『金術』
『土術』に『湿』で『木術』
『水術』に『暖』で『幻術』
『水術』に『乾』で『氷術』
──となります。
えっと、一応これで終わりですけど……」
若干不安そうに締めるソラリスに対して、エルヴィネーゼは惜しみ無い拍手で応えた。
「スゴいじゃない! 何も見ないでちゃんと説明出来る。正直、ここまで完璧に出来るとは思ってなかったわ」
「えへへ……」
嬉しそうに口元を弛めるソラリス。
「ただ、一応補足すると──」
エルヴィネーゼの一言に、ソラリスの表情が凍る。
「──ああ、そんなに心配しないで。本当にちょっとした付け足しだから。
それで、補足と言うのは、“たとえ三つ以上の魔力を持っていたとしても、その人達全員が三系統魔術を使用出来るわけじゃない”ということよ。これにはセンスもそうだけど、相当の努力が必要なの。まあ、中にはセンスだけで楽々使いこなしちゃう化け物もいるけど……。っと、それは置いておいて。だから、ソラリスが言っていた、三系統魔術の担い手は二系統魔術の担い手に比べて数が少ないと言うのは、こういった理由にも起因しているのよ」
感嘆した溜め息が漏れるのが、辺りから聞こえる。どうやら生徒達はこの内容を知らなかったようだ。
「まあ、これは知ってても知らなくてもどちらでも良いわ。それじゃあ、取り敢えずみんなは三系統魔術までは理解しているってことで良いわね?」
はーい! と元気良く返事をする生徒達。それを確認したエルヴィネーゼは、小さくよしっと呟き授業を開始した。
周囲を氷結させたスウェンと、周囲に熱波漂うクラウド。真逆の環境に身を置いている二人だが、両者の位置は二十メートルも離れていない。これは、偏にスウェンの能力に因るものだ。
(『減速術』による分子運動の停滞から起こる、水分の凝固……。そして発生した熱エネルギーを周囲に放射して、オレの居場所をあぶり出したのか……)
素早く、正確に、尚且つ冷静に、起こっている状況を思考し、分析し、整理する。
(“自然師”の相手は厄介だ……。さっさとケリをつけるか)
これだけ考えるのに、僅かコンマ数秒。一瞬でこれからの行動指針を定め、左手を振るった。
その左手は黒色に染まり、親指以外の指先から銀糸が伸びている。
(『糸四刃』!)
四本の銀糸に、クラウドの刃術が発動する。本来ならば為し得ない“モノを斬る”という効果が得られた銀糸は、縦横無尽に空間を奔り、四方八方から敵対者に襲い掛かる。
「『収束』……」
それを見たスウェンは、両手を胸の前で繋ぎ、一言呟いた。一見すると、シスターが教会でお祈りをしているようだが、一部だけ違うのは掌同士がくっついていないところだ。
「『発散』!」
そして、両手を開く。
と──。
「──ッ!?」
強烈な衝撃波がクラウドを襲った。当然、銀糸などはスウェンに届くわけもなく、衝撃波に吹き飛ばされた。
(『収束術』に『発散術』のコンボ……! これじゃあ銀糸はまともに使えない。ならば……)
クラウドは衝撃波に対し、足を踏ん張り耐えながら右手を懐に入れた。
──一閃──
振りきられる右腕。それが握るは一本の鉄の棒。しかし、その鉄の棒には刃渡り十五センチ程の刃が備え付けられている。
短刀。
クラウドがリンと戦った時に、最後まで所持していた短刀。それが、“衝撃波を斬り裂いた”。
「何ッ!?」
驚愕に染まるスウェンの顔。それにより、一瞬だが隙が生まれた。そして、その隙を見逃す程、クラウドは甘くはない。
いつの間にか左手に握られていたナイフを、アンダースローでスウェンに投げつけ、クラウドはそれを追うように駆ける。
「チィッ……」
投げナイフに気付いたスウェンは体を僅かに捻ることで、それをかわす。
だが、これではクラウドまでは対処出来ない。
「疾ッ!」
順手に持った短刀が、スウェンを一文字に裂こうと逆袈裟に振るわれる。それには腰に履いている曲刀を抜いて対応するスウェン。
ぶつかり合う刃と刃。甲高く、ひび割れた音がフィールドに響く。
だが、これで終わらないのが、クラウドが『暗殺者』たる所以だろう。
短刀を振るった際、空いていた左手は背中に回されていた。勿論、銀糸は未だに装着されたままだ。
そして、短刀と曲刀がぶつかり合った時、左手首と指先が器用に動いた。それに合わせ、踊る銀糸。
クラウドの背後から現れる、予想外の一撃。これには、スウェンもなんの準備もしていなかった。
だが、これで殺られないのは、自然師の特権であろう。
「『加速』ッ!」
そう叫んで直ぐに、スウェンは両足に力を込めて地を蹴る。バックステップの要領で銀糸の射程範囲から逃れようとする。
ただのバックステップならばクラウドは逃さなかっただろう。だが、スウェンのバックステップは、“速かった”。
通常、人間の足は前へ行く動きをするため、筋肉や関節は、前進運動を効率良く行えるように配置されている。つまり、後ろに跳ぶより、前へ跳ぶ方が飛距離もスピードも断然上なのだ。
しかし、今のスウェンは、まるで“前へ跳んだかのような飛距離、スピードで後ろに跳んだ”。いや、下手をすればそれ以上で。
チャンスを逃したクラウドは、苦々しそうな表情で呟く。
「やはり『加速術』も使えたか……。一縷の望みに賭けたが、無駄だったか……。ったく、本当に面倒な……」
遠くに着地したスウェンを見ながら、これからの戦闘方法を思考する。
彼我の距離は、始めに相対した時とほぼ等しい。
「先ずは、軽く四系統魔術について説明するね」
エルヴィネーゼの声が大きく響く。生徒達は皆、真剣な表情で続きを待っている。
「四系統魔術は、三系統魔術よりもう一つ上の魔術ね。名前から分かる通り、『暖』『寒』『乾』『湿』の全てを所持していないと使えない魔術で、種類はたったの一つ!」
人差し指をピンと立てて生徒達に見せるエルヴィネーゼ。
「それは、『闇術』よ。歴史の中でも、そう多くは顕れなかった魔術だけど、その破壊力は、とんでもないものだそうよ」
はぁ~……、と溜め息にも似た吐息の生徒達。その様子に、エルヴィネーゼは大変満足している。
「ま、闇術に関してはそう語ることもないから、これで終了ね。それでは、お待ちかねの『無』についてでーす!」
ワァアアアア!
歓声と共に拍手も貰うエルヴィネーゼ。あまりの厚待遇にちょっと驚いている。
「ソラリスの魔術についての説明にも、あたしの補足、兼説明にもついぞ登場しなかった『無』。これはなんのためにあるのだろうか? 昔の人は『こんなもの必要無い』と言って、これに『無』と名付けたそうよ。
ところがどっこい、存在理由はちゃあんとあったんだなあ、これが」
ここでわざと切るエルヴィネーゼ。生徒達は早く早くと捲し立てる。
「それは、“自然に干渉する”ことよ」
「自然に……ですか?」
ソラリスが鸚鵡返しに訊く。
「そう。あたし達が魔術と呼んでいるこれは、何もない所から、現象を“顕現”させる術のことなの。でもね、『無』だけは、自然の物質に働きかけることで、現象を“発起”させることが出来る。そういう力を、あたし達は『自然術』と呼び、それの担い手を『自然師』と呼ぶわ」
「自然師って……クラウド先生が今戦っている……!?」
エルヴィネーゼが頷いたところで、ソラリスはフィールドを見る。クラウドと戦っている曲刀を持った男性。それをじっと見つめる。
「自然師は、四つの自然術を使えるわ。『加速術』、『減速術』、『収束術』、『発散術』の四つ。自然に及ぼす効果は、読んで字の如く。これらは、巧く使われたら非常に厄介なものよ」
「確かに、そうですね……」
そう言うソラリスの視線の先には、苦戦している様子のクラウドがいた。“スウェン自身”を対象に発動されている加速術のスピードに、翻弄されている。
「クラウド先生が圧されてる……」
心配そうに手を握り締めて、表情を固くするソラリスに、エルヴィネーゼは笑いかける。
「大丈夫。あの程度の自然師なら、クラウドはやられない。ちょっとは苦戦するかもだけど」
エルヴィネーゼは、本当に心配などしていない顔でクラウドの戦いを眺める。今は、接近戦へと戦況が変わっていた。
響く剣劇の音は無数。その間隔は、限りなく小さい。
まさに高速。まさに熾烈。まさに……“暗殺者”。
(コイツ、なんで──)
加速術を付与した肉体で曲刀を振るうスウェン。だが、その内心は驚愕に彩られていた。
(──なんで……『加速』に着いてこられるッ!?)
己を狙う短刀を曲刀で弾き、一度距離を取ろうとバックステップをする。先程はこれで容易に距離を稼げた。
しかし、クラウドは、容易くこれに追い付く。そして、また繰り返される剣劇の嵐。
(いやむしろ、俺が圧され──!?)
短刀と曲刀の斬り合いは、いつの間にか一方的な攻めと受けに別れていた。
(なんで……何が……どうなって……!?)
打ち合えば打ち合うほど混乱は深くなる。
そして、平静を失えば直ぐ様、太刀筋は鈍る。
ガキィイイイン──
「しまっ──!?」
短刀に弾かれた曲刀は、スウェンの右手を離れ、大きく弧を描きながら遠くに跳んでいく。
手を伸ばしても届かない。それを目で確認してしまったスウェンから、勝利の二文字は消え去った。
チャキ──
「──ッ!!」
首筋に当てられる冷たい感覚。見なくても分かるほどの、完璧な敗北であった。
「……俺の敗けだ……」
軽く苦笑いをしながら放たれた言葉に、クラウドは頷いて短刀を首筋から離した。そして、刃を仕舞い、懐に納めた。
「強いなオマエ……。加速術に着いてくるどころか、上回るなんてな。流石は二つ名だ」
「謙遜はしないが自慢もしない……。ただ、これがオレと貴様の実力の違いだ」
「……確かにな」
残念そうに肩を竦めるスウェン。だが、その顔には後悔の色はなく、清々しい表情だった。
「次やるまでに、自然術をもっと磨いて圧倒してやるよ」
「それは面倒だな……。だがまあ、一応こう答えておいてやる。──応」
《試合終了ォオオオオ!! 勝者クラウドォオオオオ、!!》
クラウド、二回戦突破