天才魔法少女は弟を溺愛する
私の短編としては少し長めです。よろしくお願いします。
柑橘類をぎゅっと圧縮して濃くしたような匂いがする。
火にかけられコポコポと音を立てるビーカーに、その匂いの元となる液体をほんの少し加えながら、マリアは弟のエリックに言った。
「今、大事なところだから、ちょっとだけ待ってね」
ここはマリアの魔法研究室。誰も読み解けなかった古代魔法陣を12歳にして解き明かした彼女は紛れもなく魔法の天才だ。数々の魔法特許を有している彼女は自宅に研究室を構え、毎日魔法の研究に明け暮れている。
ビーカーからぼわんと煙があがるとともに、無色だった液体が黄緑色に染まった。
「これでよし、と。それで、どうしたのかしら?」
マリアは液体が入った試験管を台に置くと、手袋を外し弟に向き直る。研究室の隅には申し訳程度に応接セットがあり、テーブルを挟んで向かい合う様にソファが置かれている。エリックはソファに座ったまま、苛立ちを隠そうともせず、マリアに言葉を返す。
「だからもう、僕に構うのはやめて欲しいんだ」
エリックは物心つく前から5歳年上の姉のマリアに可愛がられていた。小さなころはそれがうれしくて、いつも姉にくっついて、彼女のそばにいた。
エリックが4歳のころ、原因不明の病で寝込んだことがあった。その際に高熱で意識を失ったため、その時の記憶はほとんど無いが、熱が引いて目を覚ました時、最初に見えたのが、自分の顔を覗き込んでいる姉だったことは覚えている。後から、大好きな姉がずっとそばにいてくれたのだと、ずっと自分を看病してくれていたんだとわかってうれしかった。
だが、その後からだろうか、姉の構い方が過保護といえるほどに過剰になったのは。
「姉として弟を可愛がるのことのどこが拙いっていうの?」
マリアはソファには腰かけず、エリックの隣に立つ。そして、少し屈む様にして座っているエリックの頭を引き寄せると撫で始める。
「だから、そういうことをするのをやめて欲しいんだ!」
エリックは頭を振って、マリアの手を振り払うと、興奮のあまり立ち上がる。はずみでテーブルのグラスが倒れて水がこぼれる。しかし、彼はそれを気にする様子もない。
「僕はもう14歳だ。小さな子供にするような可愛がり方はやめてくれないか!」
そう捲し立てたエリックは肩を上下させ大きく息をし、苦しげに顔を歪ませる。
「もう……放って……お、い……」
姉に対する抗議を最後まで言い切ることもできず、苦しそうに喉を抑えながら言葉を詰まらせる。呼吸をするのも困難な様子だ。そのまま崩れ落ちる様にエリックはソファに腰を落とす。
「まあ、大変。発作が出たのね」
マリアは倒れたコップを右手に持つと左手を上にかざす。彼女の左手がかすかに光り、手のひらから水が注がれる。続いて、棚の引き出しから取り出した粉末をグラスの水の中に注ぎ、再び左手をかざす。グラスの中の水がぐるぐると周りだし、粉が解けて淡いピンクの液体が出来上がった。
「エリック、これを飲んで」
マリアが手に持ったのグラスをエリックの口元にあて、傾ける。エリックは苦しそうな表情で、マリアにされるがまま、ピンクの液体を嚥下する。
エリックが飲み終えたのを見届けるとマリアはグラスをテーブルに置き、左手で彼の頭を抱きよせながら、空いた右手で彼の頭を撫でる。
エリックの息遣いが静かになっていく。
「興奮しすぎよ、エリック。あなたは体が弱いのだから、無理をしてはだめでしょう」
マリアは話しながらエリックの頭を優しく撫で続ける。エリックはそれを振り払うようなことはせず撫でられるままにされている。
「確かにあなたは成長したわ。だけど、私にとっては可愛い弟よ。だから、どうか私から離れるなんて言わないで」
マリアは優しく告げるが、その言葉には絶対に離さないと言う意思が籠っていた。エリックは先ほどの興奮が嘘だったかのように、マリアに対して従順に頷いた。
「はい、姉さま。わがままを言い、申し訳ありませんでした」
それを聞いたマリアはエリックから離れ、実験に使っていた器具を片付け始める。
「本日の研究はおしまい。実験の結果は明日まとめるとしましょう。今日は学園でどんなことがあったのか聞かせてくれるかしら。それに髪がくしゃくしゃよ。私が撫でまわしたせいね。お詫びにブラシをかけてあげるわ」
マリアは楽しそうにいい、エリックを立たせると二人で実験室を出る。姉弟は連れ立って団欒室へ向かった。
「行ってきます」
いつもの様に支度を終え、家を出る前に姉さんに挨拶をする。姉さんは僕を抱きしめながら「行ってらっしゃい」と言い、そして僕の頭を撫で回す。ここまでが毎朝の日課だった。
この年になって抱きしめられるのは恥ずかしいし、もう小さな子供ではないんだから距離をとって欲しいと思っている。それに、せっかく整えた髪が乱れてしまうからやめて欲しいと言ってもやめてくれない。仕方なく手で髪を整え直し、家を出る。
姉さんの僕への接し方は仲の良い姉弟という範疇を超えていると思う。だけど、本人にそれを言っても聞く耳をもたない。姉を諌めて欲しいと、父母に訴えても我慢するようにとしか返ってこない。この家の経済を支えている姉に、口を出しにくいのかもしれないが、息子が困っているのに、助けてくれない両親なんてどうなの? と僕は思う。
だけど、学園にいる間は姉のことを気にしないですむ。特に、最近編入してきた女生徒と仲良くなってからは、学園に通うのが楽しみになった。
きっかけは些細なことだった。学年の途中で編入してきた彼女は、手続き違いで、その日の授業に必要な教科書をまだ持っていなかった。それに気づいた僕が、彼女に教科書を貸したのだ。教科書が無くなった僕は隣の席のレオンに見せてもらったので問題はなかった。
授業の後、彼女から礼をされ、お互い自己紹介した。彼女はナナと名乗った。家庭の事情により、兄妹で親元を離れて暮らすことになり、この学園に編入となったそうだ。
兄がいると聞き、自分にも姉がいることを話した。そこから彼女とは時々話すようになる。そのうちにひょんなことから、お互いの兄、姉が自分を構いすぎて困っているという共通点が明らかになり、他人には話しづらい愚痴を言いあう、気の置けない友達になった。そして僕は気が付くと彼女が好きになっていた。
僕は、思い切って彼女に気持ちを打ち明けることにした。彼女は頬を赤く染めながら、自分も同じだと返事をしてくれた。天にも舞い上がりそうだった。
しかし、このことを姉に知られるわけにはいかない、という危機感があった。弟の僕に執着する姉が、彼女のことを知ったらどうなるかわからない。彼女も同じことを考えていたようで、二人だけの秘密とすることにした。
僕らは誰にも見つからないように、学園内でも人気のない、旧校舎の今は使われていない教室で二人の時間を過ごした。
僕が学園から帰宅すると、姉さんがいつものように僕を抱きしめてくる。今日は魔法研究はお休みとのことで、団欒室に連れていかれる。
団欒室の長椅子に座った彼女は、ポンポンと自分の横を手で軽くたたく。その横に座ると姉は僕の頭を引き寄せる。僕はされるがまま、姉の膝枕に頭を乗せた。
僕の髪に手を絡め、横に流しながら姉が話しかけてくる。
「最近のあなたは、なんだか楽しそうに見えるのだけど、学園で楽しいことでもあった?」
来た! と思った。自分では気を付けているつもりだったが、態度に出ていたのだろう。いずれ探りを入れてくるであろうことを予想していた僕は、平静を保つように勤めながらあらかじめ用意していた答えを言う。
「姉さんにもわかっちゃった? ここのところ、魔法の授業が楽しいんだ」
「まぁ、そうなのね? あなたは魔法には興味がないと思っていたのだけど……、そうじゃなかったのね」
姉は魔法の天才だけあって、僕が魔法に興味を持ったことが嬉しい様だ。そのまま僕は授業で習った魔法の公式をいくつか姉に話す。彼女にとっては初歩の初歩、今更人に聞かされるような話ではないが、弟の口から語られるのがうれしいのだろう、にこにこしながら僕の話を聞いていた。
そうやって姉さんを誤魔化しながら、学園ではナナと楽しく過ごす日々が続いた。
そんな生活を続けていたある日、ナナの態度が急変した。先に旧校舎に向かい待っていた僕の前に現れた彼女は、数歩手まえで立ち止まると、僕の顔を見ようとせず、うつ向きながら言った。
「もう、お付き合いするのはやめましょう」
どうして、そんなことを言うのか。僕は彼女に手を伸ばす。
「一体どういうことだい?」
ナナは僕が伸ばした手が触れられない位置まで後退る。
「とにかくっ。お伝えしましたから、もう私のことはお忘れになってください」
そういうと踵を返し、走り去っていった。
訳が分からなかった。お互い愛し合っていたはずの彼女がなぜ、別れようとするのか。彼女の心変わりが信じられない。
頭の中で彼女の様子を思い返す。僕に近づかず、視線を向けることもなかった。別れを切り出す彼女の声は震えていた。なぜ震えていた? そして、僕が手を伸ばした時、まるで僕の手に触れるのを恐れていたような……。不意に湧き上がる既知感。これは両親の僕に対する態度に似ている。何か余所余所しい、触れたくない者に近づきたくないような、そんな態度。
そこまで考えて、思い当たることが一つあった。姉が何かしたに違いない。思えば両親の態度も、姉に気を使っているような節があった。僕と仲良くなったナナに嫉妬した姉は、僕に近づかないようにとなんらかの手段で脅したに違いない!
僕は、姉に抗議するために家に向かって走り出した。
家に着くと姉の研究室に向かう。僕はノックもせず、勢いよく扉を開ける。中には誰も居なかった。
今日は研究を休んでいるのか? そんなことを考えるがそれはないだろうと思い直す。なぜなら、実験器具が出しっぱなしなのだ。姉は実験が終わると、いつも器具を綺麗に片付ける。それが出たままだということは、短期間だけ部屋を出ているということだ。
どこに居るのだろうか? 姉の居そうなところを頭の中に浮かべながら扉を閉じようとし、ふと思い出して止める。
そしてそのまま中に入り、研究室の奥を見る。入り口とは反対側にあるもう一つの扉、そこに居るのかもしれない。そう思った僕が奥の扉に向かい足を踏み出そうとしたとき、扉が開いて姉が出てきた。
「あら、エリック。来ていたのね」
姉は僕に気が付き声をかけてくる。僕はそれには答えずぎゅっと拳を握りしめると、姉に向かって問いただす。
「マリア姉さん! ナナに何をしたんだ!?」
僕の問いに姉は目を丸くするが、それは一瞬のことで、すぐに姉は口を開いた。
「私は彼女に何もしていないわ。ただ少しばかり、お話しさせていただいただけよ」
姉の声は淡々としていて、僕との温度差が激しかった。僕はそれにイラつき、叫んでいるような声量になってしまう。
「姉さんは話し合いって言うけど、それは、別れる様に脅したということじゃないのか!」
「なぜ、私があなたと恋人と別れさせる必要があるのかしら?」
姉は僕の勢いを無視して、淡々と言い返してくる。僕はそれに我慢できなくて、イライラが収まらなくなる。
「僕を! 姉さんは僕を独占して可愛がりたいんだろう! 弟を恋人から引き離して可愛がりたい姉など異常だ! 姉さんは異常者だ!」
姉は何も言わず僕をじっと見ている。怒りに任せて、姉を貶めることを叫んでしまった。自分が興奮しすぎて暴走していることは自覚している。このままでは拙い。だけどもう止まれない。
胸に激痛が走り、呼吸が苦しくなる。子供の頃高熱を出して寝込んでからというもの、興奮するといつもこうだ。胸を押さえ、息を吸おうとするが、自分の体がそれを拒むかのように小刻みに震えうまく息ができない。
姉が僕の元に駆け寄ってきて、背中をさすろうとする。あなたのせいでこうなったというのに、まだ僕に触れようというのか!
僕は姉が差し伸べた手を強く振り払った。その勢いでバランスをくずした姉さんはその場に転び、頭を打った。
僕は自分のしたことにはっとする。頭を押さえながら体を起こそうとする姉の手の隙間から、血が流れるのが見えた。
「違う、姉さんを気づつけようとしたんじゃない、はずみなんだ!」
呼吸が苦しかったはずの僕の口から言い訳が飛び出る。そうこれは言い訳だ。僕が姉さんを傷つけてしまったんだ。僕は彼女に手を挙げてしまった。
まだくすぶりながらも急速に引いていく怒りの感情と湧き上がってくる自責の念。思考が加速する、なぜこんなことに。自分を生み出しててくれた姉さんを傷つけるなど、許されざる罪だ。
もう弟ではいられない。あの人の弟である資格を自ら失ったのだ。自分は消えるべき存在、無に帰るべきなのだ。頭の中から僕のものとは違う、自分の声が聞こえる。一気に浮かび上がるその声に僕は混乱する。自分は、何を考えているのだ? 自分を生み出してくれたとは、いったいどういうことだ?
思考がさらに加速する。まるで、海の底に深く深く沈むように、奥へ奥へと進んでいく。暗い暗い奥底に、一か所だけ明るい場所があった。
その光の中には、幼いころの僕と姉が、いや、正確にはエリックとマリアが居た。僕は思い出した、自分の正体を。自分がどんな存在なのかを。
そうして、自分が自分であるという意識が薄れていき、闇に包まれた。
マリアは頭から手を放して起き上がった。ぶつけて怪我した個所はすぐに魔法で治しており、とうに痛みは引いている。立ち上がり軽く頭を振って、弟を見た。
彼女の弟だったものは、ただ静かに立っている。その顔からは感情が消えうせ、開いた眼は何も映さず、ただただ立っている。
マリアはエリックだったものの手を取り引き寄せると奥の扉に向かう。それは何の抵抗もなくマリアについて行く。二人は扉の向こうに消える。
扉の向こうは薄暗かった。ほのかに青白い光が浮かんでいる以外には、何の光源も見当たらない。その中に何人ものエリックが立っている。どれも皆、無表情で意思は感じられない。
マリアは連れてきた弟をその中に立たせると、涙を流した。
「私の可愛い弟……。お姉ちゃんは必ず、あなたを取り戻して見せるわ」
マリアは踵を返すと薄暗いその部屋から出る。
幼いころ、原因不明の高熱で亡くなってしまったエリック。弟を失ったことを受け入れられなかったマリアは、彼を取り戻すために、魔法の研究を始めた。
愛する弟を失った娘を不憫に思う両親は、マリアが魔法に打ち込むことを最大限援助した。高名な魔法使いを家庭教師として雇い、古代の魔法文献を入手して彼女に与えた。
マリアには途轍もない魔法の才能が眠っていた。家庭教師から教えられるままに知識を吸収した彼女は古代魔法を解明し、天才魔法少女と褒めたたえられた。
しかし、彼女はそんな賞嘆には興味を示さず、王家からの誘いも断って魔法の研究をつづけた。研究の中で彼女が見つけた魔法の理論は様々なものに応用され、彼女が見つけた魔法理論の特許収入により、家も潤った。
そうして、マリアは研究に没頭し続け、弟そっくりの、疑似生命体を生み出すに至った。自立して動くことのできる、人間と区別のつかない人工的な生命。国が彼女の研究結果を秘匿し、作り出した生命体はマリアの弟、エリックとして扱われることになる。
だが、それは完全なものでは無かった。ひと月もたたないうちに活動を停止してしまう。エリックを完全なものにするために、マリアはますます研究に没頭していった。
何体ものエリックを作り出しては、失敗をフィードバックすること十数回。遂に、自我を持ち、自分の判断を下すことが出来る、本物の人間と同じに思考ができ、反抗心まで持つことのできる疑似生命体を作り出すことに成功した。
だがまだ、完全ではない。定期的に魔力を補給しなければならないし、感情の起伏が激しくなると動作不良を起こしてしまう。マリアは弟の面倒を見ながら、さらなる研究を続けた。
両親は魔法で作り出された生命を、いくら似ていても自分たちの子供ではないとエリックを受け入れなかった。それでもマリアの行いをを止めることはなく、好きにさせた。
それが娘への愛情からなのか、エリックを復活させる研究の副産物として生まれてきた魔法の特許収入が惜しかったからなのかまではわからない。
国に研究成果を渡す見返りの一つとして、エリックを学園に通えるように取り計らってもらった。普通の人間として暮らしてほしかったからだ。
エリックが心を通わせた娘には、彼の秘密を打ち明けた。もちろん、復活させた古代の契約魔法で口外できないように縛った上でだが。
エリックの正体を知っても彼を愛してくれるならば、あの子にはもう私は必要ない。そう思って打ち明けたのだが、秘密を知った彼女はエリックを恐れ、彼と別れようとした。
そうしてとうとう精神が暴走し、壊れた彼は自我を持たない存在に変わり果ててしまった。
「まだ、研究がたりないのね」
マリアの目からあふれる涙はいつしか止まっていた。彼女は、必ず弟を取り戻すのだと決意を新たにすると、次の実験に取り掛かるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます
宜しければ、ブックマークや下にある星での評価を、是非ともお願い致します!
ご意見、ご感想もいただけたら嬉しいです!