最期の一服 前編
次兄萩田正平が数年ぶりに帰省した宴も終わり、片付けと入浴を済ませた海原あいりは自室で就寝の支度を整えていた。気づいたら時計の針が丁度真夜中の0時を指した頃であった。
「明日は正平お兄ちゃんの誕生日会用の食事の支度もあるし、早めに寝るとするか。」
あいりは自室の電気を消し、布団の中へ入ろうとすろと、突然床下から
『ガタン!!!!!』
と、何か大きくて重い物体がぶつかった様な振動が発生した。
「えっ?何今の????地震!?」
あいりは慌てて周囲を見回した。しかし大きな振動はあったものの、周りの家具等が揺れている気配はなかった。
「地震じゃないみたいだ。あっ、そう言えばここの部屋の下って仕事用の器材とか沢山置いてある場所だったっけ?多分何か落ちたんでしょ。まぁいいや。どうせ明日父さんか優お兄ちゃんが片付けるだろうし。」
あいりは大して気にせず、そのまま部屋の電気を消して就寝した。
あいりが就寝する少し前の22時頃、自宅兼作業場内にある喫煙エリアにて、それまで自室に籠っていた実弟の海原亮太が一人で煙草を吸っていた。
(ああうぜぇ、何もかもうざってぇ…)
亮太は自分を取り巻く全てに対して鬱陶しいと感じながら、自身の20回目の誕生日である翌年の3月を待たずに、どこから手に入れたのか分からない、錆ついたベンチに座りながら一服し続けた。
「亮太、隣に座っていいか?」
誰かが唐突に亮太に問いかけた。次兄の萩田正平であった。
「……………どうぞ。」
正平に対し、亮太は目もくれず、面倒くさそうに反応した。
「悪いな、一服している所邪魔しちゃって。」
正平は亮太の隣へ腰を掛け、片手に持っていたペットボトルのミネラルウォーター飲み始めた。外から若い女性達がはしゃぐ声が聞こえて来た。
「こんなに遅い時間なのに、相変わらず彼女達は夜遅くまで『ご奉仕』をさせられているのか…。」
正平がこうつぶやくと
「ハァ?今更何言ってんだよ?お前らみたいに金にモノを言わせた奴らがあいつらを利用してんじゃねぇか?」
亮太が呆れ気味に返した。
「おいおい、他の人はともかく、俺は彼女達を利用する様なマネなんてしないさ。」
正平は他の男と一緒にしないでほしい様な表情で返事した。
察しの良い人であれば既にお気づきであるかと思うが、政界や財界、若しくは投資家など、所謂『勝ち組』に属する一部の男性にとって、被差別コミュニティ出身者である容姿端麗な若い女性は『遊び相手』として恰好のターゲットとなっており、彼女達に大金を払う代わりに身体を男性へ提供するサービスが常習化していた。
しかし一方で女性達にとっても『頭を使わずに楽に大金を稼げる』と云う安易な考えで肯定するケースも少なくなかったのだ。そして今、夜更けにも関わらず、海原家の外で通りすがりに甲高い声で騒いでいる女性たちは、恐らく『仕事帰り』なのか、若しくはこれから『出勤』するのかどちらかであったと思われたのだ。
ペットボトルの水を飲み干した正平が亮太の咥え煙草を指差し、突拍子もない事を言い出した。
「亮太、悪い。俺にも1本くれないか?」
次兄からの突然のお願いに亮太は驚きを隠せなかった。
品行方正で頭脳明晰、たとえ出自が出自でも今は官僚と云うエリート街道まっしぐら、酒や煙草など嗜む事など一切なさそうに見えた正平から、まさか煙草をほしいと頼まれた事自体、亮太にとってありえない事だったのだ。
「おいおい、待てよ!アンタさ、気でも違ったのかよ?まさかヤベェ薬とかやってねぇよな?」
亮太は訝し気な態度を示した。
「アハハ、別にそんなに驚く事じゃないさ。俺だって気分転換で煙草ぐらい吸う事はあるよ。」
「べ、別に驚いちゃいねぇけどよ。まぁいいさ。ホラ、1本やるよ。」
「悪いな亮太。それじゃあ1本吸わせてもらうよ。」
亮太は自身のシガレットケースから煙草を1本正平に渡し、正平がそれを口にくわえた後、亮太がポケットからライターを取り出し、火をつけた。
「ふぅ…………………」
正平は口から煙草の煙をゆっくりと出し、無言のまま天井を見上げた。