少し前の出来事
「そういえばあいり、最近仕事の方はどうなんだ?まだ物書きしながらあきよさんの所でアルバイトやっているのかい?」
「うん、まぁ…。そう簡単に文章を書く仕事で一本立ちなんてできっこないよ。」
正平に近況を尋ねられたあいりは、ふとこの日アルバイト先での出来事を回想した。
「あきよさん、例の人又来てますよ。ここ最近来る頻度高くなってません?」
「あいりちゃんも私と同じ事考えてたんだ!そうそう、そうなんだよね。例の彼、ついこの間までは週に1度来るか来ないか位だったのがさ、最近じゃ最低でも週4日位は顔を出す様になってるんだよね。」
「ええっ?それってほぼ毎日じゃないですか…。どこからどう見ても外部から来た人にしか見えないし、何でそんなに頻繁にここ来るんだろう…?」
例によってこの日は井田あきよが経営する食堂でのアルバイトの日であった。
海原あいりと井田あきよの2人は、遠目からその男性の様子をうかがいながら、コソコソと噂話をしていた。
やがてその男性は自前のタブレットとモバイルキーボードをバッグの中にしまい、財布を取り出した。
「ごちそうさまです、お勘定お願いします。」
その男性は支払いを済ませて店を後にしようとしたその時、
「ごめんなさいね、ちょっといいかな?」
突然井田あきよが口を開いた。
「何でしょう?」
その男性客は表情を変えず、淡々とあきよの声に反応した。
「お客様に対して野暮な事を聞いて申し訳ないんだけど、あなたさ、ここがどういう場所なのか、理解しているよね?」
あきよの突拍子もない質問に、その場にいたあいりは驚いた。
「ちょっとあきよさん!!!!どうしたんですか!!!唐突にそんな事言ったりしたらお客様に対して失礼ですよ!!!!お客様、本当に申し訳ござません!!!!!」
あいりは慌てて店主の無礼を詫びた。
「いえ、別に気にしていないんで大丈夫です。あなた方が僕に対して不信感を持っているのは薄々感づいてたし、いつかこういう時がが来るんじゃないかと思ってました。」
そのこざっぱりとした身なりの男性は表情を変えず、淡々と返した。
「そう、まぁいいんだけどさ。」
井田あきよがその男性にこう言うと、次のように言い続けた。
「確かに貴方の言う通り、ここは色々と難しい事情を抱えたエリアだし、特に外部から来た人間に関してはどうしても警戒心を持ってしまうモノなんだよね。だけどさ…」
あきよは1枚の写真に目を向けた。
「ここの店を立ち上げた人物が『どんな人でも縁あってこの店に来てくれた時は笑顔で迎えたい』って常々口にしていたんだ。だからぶっちゃけ言うけど、ウチみたいに被差別エリアにあるちっぽけな食堂に、どうして貴方みたいな人が頻繁にやって来るのかなんて野暮な事は聞かないし、これからも歓迎するからさ、来たくなったらいつでもおいでよ。」
写真の中にいる小島周造の姿を見つめつつ、あきよはその男性がこれからも自身の店に足を運ぶ事を歓迎すると宣言したのだ。
「あ、ありがとうございます。何だかここまでハッキリ言われると却って気をつかっちゃうな…。」
男性客は戸惑いながらあきよの言葉に反応した。
「と言われてもやっぱり僕に対する不信感は拭えないですよね。名刺あるんで渡しておきます。それから僕、美味しいお店を探したりレポート書いたりする仕事しているんで。こちらの食堂も穴場だってネット上で評判ですよ。」
その『自称フードジャーナリスト』の男性は、ポケットから名刺入れを取り出し、あきよとあいりに名刺を渡した。そこには男性の名前『埴科透』と、連絡先の電話番号が記されていた。
(へぇ、埴科透さんって云うんだ。この人)
あいりが名刺に記されたその名をしばらく間じっと見つめた。
「お仕事の邪魔しちゃいけないんで、失礼します。」
少しこわばった笑顔を見せながら、埴科透は店を後にした。
そしてその後ろ姿がどういう訳か、あいりの中で脳裏に強く焼き付いたのだ。




