被差別コミュニティ
「ホラホラりりか。ごはんそんなにこぼさないで~。」
この日の海原家はいつもの通り、一家そろって食卓を囲んでいた。
長女のあいりは例によって介助が必要な実妹りりかの世話をしながら、バイト先の主人である井田あきよが持たせてくれたおかずと共に父が作った味噌汁と白米を口の中に入れた。
「どうだ皆、俺が作った味噌汁は?だいぶ母さんの味に近づいて来ただろ?」
一家の大黒柱である実父の海原洋が自慢げに言うと、
「父さん、その話はもういいから!」
とあいりが苦々しく言い返した。
「まぁまぁあいり。そんなに拒絶する様な言い方しなさんな。それよりもあきよちゃんのおかずはいつ食っても実に旨い!!!!!!」
実母の事を口に出した途端に不機嫌になったあいりに対して洋は窘める様に返した後、井田あきよお手製のおかずを食べ続けた。
「さて、本日お越しいただいたコメンテーターの方をご紹介します。蓮田麗羅先生です。」
テレビ画面から、ここ最近何かと話題のポピュリスト系女性政治家こと、蓮田麗羅が現れたのだ。
「こんばんは、蓮田麗羅です。」
「蓮田先生がモットーとしている事と云えばアレですよね。ええっと…。」
「モットーと云うか、別に大それた事は申し上げてはいないんですけど。ただ、アレなんですよね。『弱者のフリして搾取する人』が本当にダメなんですよ。いや、最早『人』とも呼称したくない。」
その蓮田と云う人物は画面越しで笑いながら、この様に断言した。
「この際ですから正直に申しますけどね、私から言わせたら彼らは『我々勤勉な人間を食い物にする穢れた輩共』なんですよ。」
その蓮田麗羅なる人物がこの様に得意気に断言した瞬間、
「おい、一体何なんだこの女。自称『救世主』なのか『真正ポピュリスト』なのか知らねぇけどよ、この蓮田とか云う政治家、本当に不愉快千万だ!!!!!!!!」
いくら画面越し云えども、折角の食卓を台無しにされた事によって気分を害した海原洋は即座にテレビのスイッチを切った。テレビを消した後も憤慨している父親の姿を横目で見ながら
(この蓮田麗羅って政治家だけど、最近妙に世間受けしているんだよね。こんな差別主義者のどこがいいんだか分からないけど。そういえば瀬川さんの所へ原稿を届けに行った帰りの電車内にいたおばちゃん達も彼女の名前を出してたっけ。)
あいりはふと電車内での出来事を思い出した。
もうお察しの事かと思うが、現代日本に於いては表向きでは差別も階級もない『皆平等』と謳われているが、海原一家や先述の井田あきよ等と云った特定エリア居住者、即ち『被差別コミュニティ』と称される一定の階層者が未だに存在しているのが実情であった。
そして彼ら『被差別コミュニティ』エリア住民を取り巻く環境については主に以下の通りである。
● 当事者以外の階層者(世間一般的には『一般市民階級』を中心)から見ると、『被差別コミュニティ』は前科者・不法滞在外国人・障碍者・無国籍者・性的マイノリティ等、所謂『一般的ではない』人達の集まりと見なされている。
● 外的環境としては地区数十年は経過したと思われる古い木造住宅やゴミが散乱した舗装されていない道路、時々工場などから来る異臭等が混じった、他の地域と比較して著しく寂れた印象があるエリアである。
● 貧困率・低学歴・離婚率・生活保護受給率が他階級と比較して著しく高い一方で、政府から税金で手厚い保障を受けている面もある。したがって生活レベルに関してはある程度保障されている。
● 『被差別コミュニティ』居住者の職業に関してはホワイトカラー職に就いている者もいなくはないが、主に土木業・解体業・清掃業(特殊系含む)など万年人手不足のブルーカラー業を中心に就く者が大半である。特に若年層女性では成人向け接客業(所謂風俗業)に就く者も他階層者と比較して多い傾向にある。
そして海原一家もこれらの特徴に漏れる事なく、代々続く解体業を営む一家であり、低学歴・障碍者・ブルーカラー業・お世辞にも裕福とは言えない家庭環境であったのだ。
先程あいりが出版社からの帰りに利用した公共交通機関に関しても、彼女の居住エリア内にある駅を利用する事を周囲に明かされてくない為に、わざわざ当該最寄り駅の前で意図的に乗降する住人達も少なくないのであった。次に大雑把ではあるが、海原一家の住人達について以下の通り紹介したい。
一家の大黒柱である実父海原洋は祖父の代から続く解体業を営みながら、『4人』の子供達を男手1つで育て上げた中高年男性であった。性格は基本的に大らかであり、子供達に対してもあまり干渉しない性格ではあるが、家庭環境故に子供達に対して負い目を感じている部分もあった。
その『4人』の子供達の長兄である海原優は父と共に家業に勤しみ励む、面倒見が良いがどこか達観した性格の持ち主である33歳、先天性知的障碍を抱えている末っ子の海原りりかは特別支援学校を卒業後、地元の障碍者就労支援施設にて雇用主の野田英作の元で元気に働いている15歳の純真無垢な少女であった。
残り2人、否、正確に言えば『3人』と言うべきなのだろう。
随分昔に実母と共に海原家から去って行った、今年の秋分の日に30歳の誕生日を迎える2人目の息子をを含めれば、海原家には『5人』の子供達がいるのである。
そして先程玄関前であいりとひと悶着を起こした、海原洋にとっては3人目の息子であり、あいりにとって実弟である19歳の海原亮太は感情のコントロールに大変難がある粗暴な性格、かつ身体の至る所にタトゥーを施しており、見るからして『厳つい』風貌をしていた。
過去には教師に暴力を振るった事で高校退学処分を受けた事もあり、退学後も仕事に就いてはトラブルを起こして解雇される繰り返しで、現在は家業の手伝いもせず、ただブラブラする毎日を送っていた。
最後に海原5兄妹の真ん中であり、長女である海原あいりは、実父・長兄優・実弟亮太・末妹りりか全員の最終学歴が中卒と云う環境下、唯一高校を出た後に、地元では難関と云われている公立芸術系専門学校文芸学科を卒業して以来、作家になる夢を抱いては様々な作品をコンクールに応募したりオンライン上で発表したりはしているが中々思う様には行かず、現在では地元で井田あきよが経営する食堂でアルバイトをしながら、自身の出自に対して理解を示し、全てを承知で受け入れてくれた瀬川健斗が勤務する出版会社にて、娯楽誌のゴーストライターとして生活する現状に甘んじていたのだ。
世間一般からかなり長い間に渡って自分達に対する差別的な眼差しは受けていたものの、それでも数年ほど前までは大して表沙汰になる事もなく、せいぜい冷たい目を向けられる程度で済まされていた。
しかし特にここ最近は蓮田麗羅の様な強固な保守系政治家が世間から大きな支持を受ける様になってから、『被差別コミュニティ』に対する目が厳しくなり、やがて『税金泥棒』だの『ハイエナ泥棒集団』だの『生産性に欠ける』だの、所謂『ヘイト発言』を彼方此方で目にする機会が多くなり、酷いケースだと自称『ジャーナリスト』の不審者達がコミュニティ内を不用意に嗅ぎまわっては動画や画像などをインターネット上である事ない事を嘲笑のネタとして晒す事も多々発生する様のなったのである。