鉢合わせ
「ただいまーーーー!!!!!今日あきよさんがおかず持たせてくれたから夕飯で食べようよーーー!!!」
アルバイト先から帰宅した海原あいりは、井田あきよが持たせてくれたおかず類を手にしながら玄関先より家族へ大声で伝えた。
「おかえり、あいり。ラッキー!あきよさんの所の飯、激ウマだし、お前があの店でバイトしてくれるおかげでいつも食い物持たせてくれるから、マジで助かるわ~!!!!とりあえずさっさと中に入って父さんに渡してこいよ。絶対に喜ぶから!」
丁度その日の仕事を終えたばかりの長兄海原優が額に汗をかきながら、実妹が手にしているおかずを指差しして喜んでいる様子だった。
「まぁね。いつもあきよさんには面倒掛けさせてちゃってるから申し訳ない気持ちもあるんだけどさ、こうやって家族分のおかずを持たせてくれるのは本当に助かるんだよね。」
あいりは只でさえ井田あきよの店でアルバイトさせてもらっているだけでも十分に有難い事であったのに、更に都度家族分の夕食まで持たせてくれる事に対して、本当に頭が下がる思いでいた。
「何しろウチに母さんと正平が出て行ってからと云うものの、あきよさんがしょっちゅう俺らの事気にかけてくれててさ、あの人には足を向けて寝られないよ。ははは。」
兄の優が暢気に言った瞬間、
「ちょっと優お兄ちゃん!!!!正平お兄ちゃんの事はともかく、『あの女』については触れるなって前にも言ったよね?もう何度言えば分かるの?」
あいりはその昔、次兄の萩田正平のみを連れて、この地を後にした実母の事について口にした長兄に対して思わず声を荒げた。
「おおっと、悪い悪い。そんなに怒りなさんなって。それよか早く飯にしようぜ。」
薄汚れた作業着を身にまとった優は、首に巻いた手ぬぐいで額の汗を拭きながら、あいりを諫めた。
「ゴメン、私もついムキになっちゃって…。折角のあきよさんの料理、父さんに渡してくるね。」
我に返ったあいりは台所で夕食用の味噌汁を作っている父親の所へ、そのおかずを渡しに行こうとした時、背後から玄関が開く音がした。
「……………………」
玄関の扉を開けた主こと実弟の海原亮太が、無言のまま家の中へ入ろうとした。
(やれやれ、あのバカが帰って来た…。)
あいりは亮太に対して汚物でも見る様な視線を向けた。
「何だよババア、そこ邪魔だからさっさとどけよ。」
実姉のあいりとは僅か2歳しか離れていないにも関わらず、ぶっきらぼうな口調で『ババア』呼ばわりした挙句、派手なシャツからタトゥーを覗かせた腕であいりの体を半ば力ずくでどかしてそのまま家の中へ入ろうとした。
しかしそんな生意気な弟の態度をあいりは見逃さなかった。
「ちょっと亮太、何すんのよ!いきなり人の事ババア呼ばわりした上にさ、乱暴働かされる理由がどこにあんのよ?」
更にあいりは言い続けた。
「大体アンタさ、高校退学処分になってから父さん達の仕事を手伝うどころか外で働いても全然長続きしないし、今だって何もしないで昼間っから何やってんの?」
他の家族が日々地味ながらも真っ当に生活している中、最終学歴高校中退で現在無職の19歳の海原亮太は、姉からこの様に罵られた途端、
「うっせぇんだよテメェ!!!!俺が何しようと勝手だろうがよ!!!!!!!」
と激高し、井田あきよが持たせたおかず類を持ったあいりの腕を力いっぱいつかみ出した。
「痛い!!!!何すんのよ!!!!ちょっと!!!!あきよさんが持たせてくれたおかずがダメになるじゃない!!
亮太、アンタいい加減にしなよ?そうやって家族や周りの人達に迷惑ばかりかけてさ!!!!!暴力事件を起こして高校辞める事になった時だって、正平お兄ちゃんが何とかしてくれたお陰で何とかなった様なモノじゃない!!!!」
あいりが次兄正平の名前を出した途端、亮太は実姉の事を馬鹿にした様な口調で言い返した。
「おい、お前今なんて言ったよ?そうやっていつもいつも正平の野郎の名前出しやがってよ。お前自分の血の繋がった兄貴に惚れ込んでんのかよ?あぁ?????オメーよ、自分でヤベェ事言ってんの分かってんのかよ?」
「ふざけんな!!!!アンタいくら身内云えども言って良い事と悪い事があるよ?正平お兄ちゃんの事を悪く言ったら例え実の弟だからって絶対に許さない!!!!!!!」
最早一触即発状態となったあいり・亮太姉弟はまさに互いに取っ組み合いの喧嘩勃発寸前にまで至った。
「おいお前ら、もういい加減にしろ!どうしてお前ら2人はいつも顔を合わせればそうやって喧嘩ばかりするんだ?いい年してみっともないと思わないのか?」
元々粗暴で喧嘩っ早い性格の亮太に、良くも悪くも長女気質であり、特に実弟の生意気な態度に何かと目くじらを立ててしまうあいりの間に長兄の優が無理矢理ねじ込み、2人を仲裁した。
「なぁ、お前ら後ろ見てみろ。りりかがお前らの様子を伺っているぞ?」
優からため息交じりでこう言われ、あいりと亮太は後ろを振り向いた。そこには末っ子の海原りりかが玄関口で2人のやり取りをずっと不思議そうに見つめていたのだ。
「嫌だ、りりか。アンタいつの間に帰って来てたの?」
実妹にみっともない姿を見られたあいりは、バツの悪そうな表情でりりかに言った。
「チッ!!!!!」
同じく醜態を晒した亮太は舌打ちした後、大きな足音を立てて自室のある2階へと上がって行った。
「すみません。10分程前程にこちらに到着しまして…。折角だからご家族の皆様に一言挨拶しようとしたのですが、何だかお取込み中の様子でしたので…。」
りりかを自宅まで送った野田英作が申し訳なさそうに優とあいりに言った。
「野田さん!!!とんでもない!!!!お恥ずかしい所をお見せして本当に申し訳ございません!!!!
こちらこそ野田さんにはいつも妹がお世話になってます。今日も送って頂いてありがとうございました。」
海原家を代表して長男の優が野田英作にお礼を述べた。
生まれながらにして知的障碍を抱えた15歳の末妹海原りりかは、特別支援学校中等科を卒業後地元の障碍者就労施設で勤務していた。そしてこの日も雇い主の野田英作がいつもの様にりりかを自宅まで車で送ってくれたのだ。
「ねぇねぇりりかね。今日もたっくさんお仕事頑張ったんだ!!!!!」
それまで殺伐とした空気が流れていた海原家であったが、りりかの純真無垢な笑顔のおかげで一気にその場の空気が和んだ。
「そうかそうか。良かったね、りりか。さあ、中に入ってみんなと一緒にご飯食べようか?」
それまでピリピリした雰囲気を醸し出していたあいりも優しい表情へ変わり、実妹を屋内へ入れた。